選択
昼を回り、しばらく経った頃。
メイベルがようやく目を覚ました時には、屋敷の中はすでに落ち着きを取り戻していた。
軽い食事を取らせ、体調に問題がないことを確認してから、ユウナは彼女を庭へ連れ出した。
午後の光が、庭の芝を明るく照らしている。
昨日の夜から今朝にかけての冷たい空気は、もう残っていなかった。
門の向こうで一晩中立っていたことが、遠い出来事のように思えるほど、空は穏やかだった。
だが、これから行われることは、決して穏やかな遊びではない。
庭の中央で、ユウナ、ルシエラ、メイベルの三人が向かい合っていた。
少し離れた場所には、エリスが休憩用の椅子とテーブルを用意している。
湯気の立つ茶器と、軽い菓子。
その所作はいつも通り完璧で、まるで上品な茶会の準備のようだった。
ただ、庭の中央にいる三人が持っているものは日傘でも扇子でもない、木剣である。
「今日は時間もあんまりないし、触りの部分だけね」
ユウナが木剣を肩に担ぎながら言った。
「……と言っても、私は人に剣なんて教えたことないし、基本の基本くらいしか教わってないからどうやったらいいか分かってないんだけど……」
そう言いながらユウナがルシエラを見ると、
「…………」
ルシエラは無言で首を横に振った。
つまり、こちらも同じである。
二人とも、教本通りの剣を積み重ねてきたわけではない。
戦場で生き残るために、振って、受けて、倒して、逃げて、また振る。
その繰り返しの果てに今の技量へ至った者たちだった。
「お二人とも、誰にも習わずにそれほどの剣技を身につけたんですね!」
メイベルは感嘆の声を漏らした。
その瞳は、またきらきらと輝いている。
ユウナはそれを受けて肩をすくめた。
「剣技なんてものじゃないわ」
木剣を軽く振る。
その瞬間、メイベルの目から剣が消えた。
「っ!?」
鋭い風切り音だけが、今もユウナの手に木剣があることを教えていた。
「身体能力に任せて剣を振ってるだけ」
そう言って、今度はルシエラと向かい合う。
「相手の動きを見て、当てられそうなところのうち、一番効きそうなところに当てて」
木剣が走る。
ルシエラが受ける。
ヒュン! カン!
「相手の動きを見て、なるべく態勢を崩さないように受ける」
今度はルシエラが振る。
ユウナは半歩ずれて、すっとかわした。
ヒュン!
「態勢を残したまま避けられればベストね」
にやり、と笑う。
その顔に、ルシエラがむっとした。
もう一度、剣を振る。
「……っと!」
さっきよりも速い一撃に、今度はユウナが木剣で受ける。
その瞬間、今度はルシエラがにやりと笑った。
「……む」
そこから先は、もう説明ではなかった。
数分のあいだ、二人は無言で木剣を打ち合わせる。
突き。
弾き。
薙ぎ。
払い。
打ち下ろし。
躱し。
動きはどんどん速くなり、鋭くなっていく。
メイベルの目に見えたのは、最初のほんの数手までだった。
その後は、二人とも意地になって切り結んでいるようにしか見えない。
「え……? わ……っ!」
目で追えなくなったメイベルが、慌てて視線をあちこちへ走らせる。
『……まったく、大人げないですね』
少し離れたところで、エリスがわずかに呆れたように呟いた。
やがて勝負は一応の区切りを迎えた。
ユウナは脇腹を押さえ、ルシエラは肩と太ももをさすっていた。
「……ふう」
「……はあ」
結果だけ言えば、ユウナの有効打が二発。
ルシエラは一発。
だが、話はそこで終わらなかった。
「先に当てて、しかも二発取ったんだから私の勝ちでしょ?」
「一発でも致命になり得る打撃を入れたのは私です。重みではこちらの勝ちです」
「は?」
「は?」
空気が止まる。
数秒前までの鋭さはどこへやら、二人の間に妙に子供じみた険悪さが漂い始めた。
「二発よ、二発。数を数えられる?」
「軽い打撃を何発重ねても、致命打一つには及びません」
「軽い? 今、軽いって言った?」
「事実です」
「吹いたわね、じゃあ真剣で白黒つけようか」
「いいですね、受けて立ちます」
――その瞬間。
バシャッ!!
冷水が、二人に容赦なく降り注いだ。
『終了です』
エリスが無表情で言い放つ。
二人は一瞬固まり、同時に顔をしかめた。
「……冷たい」
「……覚えてなさいよ、エリス」
『記録しました』
まったく堪えていない。
その一連の流れに、メイベルは思わず吹き出した。
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
ユウナは濡れた前髪をかき上げながら、メイベルへ視線を向けた。
「さて」
その声に、メイベルはすぐ表情を引き締める。
「あなたの習ったものを見せてもらおうかしら」
「はい!」
木剣を構え、そこから一通りの動きを見せる
振る。
突く。
踏み込む。
引く。
構え直す。
また踏み込む。
まだ幼く、腕も細い。
体格も、筋力も、当然ながら未熟だ。
それでも、基礎は明らかに仕込まれていた。
足運び。
重心の移動。
間合いの取り方。
剣を振った後に体勢を崩しすぎない意識。
粗はあるし力も足りない。
だが、ただの素人ではなかった。
そこらの新米冒険者より、よほど“使える”。
十歳という年齢を考えれば、驚くべきものと言ってよかった
それを見たユウナとルシエラは、ほとんど同時に頷く。
「なるほど……」
「対人に特化してますね」
「そう。騎士の剣術ね」
メイベルは緊張した面持ちで二人を見た。
ユウナは木剣を肩に担ぎながら言う。
「メイベル、あなたには二つの道があるわ」
「二つの道……」
メイベルが息を呑む。
「一つは、そのままで精度を上げていくこと」
「対人特化の剣は、あなたの“軍部で上を目指す”って目的には最善とも言える。
軍で評価されるのは、まず人を相手にした戦い。
隊列、規律、対人戦、指揮下での動き。そういうものに噛み合う剣よ。
蛮族やアンデッドの多くは人型だし、それらを特に相手取るティダンの神官としても合致してるわね」
そこまで言ってから、ユウナは少し間を置いた。
「もう一つは、万能型」
「私たちみたいな冒険者は、大体こっちね」
木剣の先で地面を軽く指す。
「どこでも、何が相手でも、同じように戦える。
でも、弱点が少ないぶん、強みも薄い。何にでも対応できる代わりに、何か一つの場面で最適化された剣には劣ることもある」
そしてユウナは、少しだけ顔をしかめた。
「小っ恥ずかしくてイヤだけど……私たちみたいに冒険者として名声を高めて、庶民側から認めさせるならこっちね。
それに、こっちを選んだ場合――今まで身につけたものを、一度大きく崩す必要がある」
メイベルの表情が、真剣そのものになる。
それは単なる剣の話ではなかった。
生き方の選択に近いものだと、彼女にも伝わったのだろう。
ユウナはそんなメイベルをじっと見つめた。
「発言力を求めて軍の中でのし上がるなら、前者」
「名声を得て、存在感を知らしめるところから始めるなら、後者」
「どっちも中途半端が一番駄目よ」
メイベルは木剣を握りしめ
「わたくしは、相手が何であろうと戦える強さが欲しいです」
迷いなくそう答えた。
ユウナは、その返事に目を細める。
「そう。じゃあ軍で上を目指さずに、冒険者として名声を高めるのね?」
だがメイベルは首を横に振った。
「いいえ。一番の近道が軍である以上、わたくしが目指すのはそこでございます」
それを聞いて、ユウナははっきりとため息をついた。
「それが中途半端だって言ってるの」
「目指すところがあるなら、最短距離を選びなさい。時間も、才能も、限りがあるのよ」
メイベルにも、ユウナが言わんとすることは分かっている。
だが、その目は揺れない。
「わたくしが目指すのは、軍部で上を目指すこと。
そして、何者からも国民を守れる強さを身につけること。
だから、対人剣術だけではいけないのです」
ユウナの眉がわずかに寄る。
「子供の理想論は要らないわ」
鋭く、冷たい声だった。
「理想論ではありません、目指すべき“現実”です」
一歩も引かず、言い切った。
庭の空気が、ぴんと張る。
ルシエラは腕を組んだまま、じっと二人を見ていた。
エリスも、茶器に手を添えたまま静かに立っている。
「聞こえのいいこと言ってるんじゃないわよ」
ユウナの目がメイベルを鋭く見据えた。
だがメイベルは、臆することなく真正面からその視線を受け止めた。
「それは違います。
わたくしの目指すもの、目指すお方が、目の前に居ます」
その言葉に、ユウナの動きがわずかに止まる。
メイベルは続けた。
「その方から剣技を学べる。だからそれが現実なのです」
「……」
ユウナは何も言わない。
ただ、目の前の小さな王女を見つめている。
「ユウナ様の剣は、王国の騎士団長をも圧倒するでしょう。
そして、魔獣や幻獣相手でも決して曇らない……
そんなお方から学んで、中途半端などあり得ません」
そこまで言い切ってから言葉を切ると、しばしの沈黙が訪れた。
やがてユウナは、ふっと息を吐いた。
「……随分と買いかぶられたものね」
その声には、呆れと、ほんの少しの苦笑が混じっていた。
そして、木剣を肩に担ぎ直す。
「わかったわ」
メイベルの表情が引き締まる。
だが、ユウナの目はまだ厳しいままだった。
「でも……“それ”を目指した以上、泣き言は許さない」
その一言とともに、目に見えない圧が放たれる。
メイベルの肩がわずかに震えた。
しかし、それでも退かない。
「一言でも弱音を吐けば、放り出すわよ」
その言葉は脅しではなかった。
条件だった。
覚悟を問う、最後の線引きだった。
メイベルは、その圧を真正面から受け止めた。
「っ……感謝いたします」
そして、一歩も下がらぬまま、完璧な礼をしてみせた。
王女として学んだ優美で社交的な礼ではない。
剣を持つ者としての、先達に対する敬礼だった。




