表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

121/143

メイベル

 往来の真ん中で立ち話を続けるわけにもいかず、ユウナたちは近くのカフェへと場所を移した。


 落ち着いた店内の一角。

 運ばれてきた飲み物から湯気が立ちのぼる中、少女は背筋を伸ばして名乗った。


「わたくしはメイベルと申します」


 はっきりとした声だった。


 ユウナはカップを持ち上げかけた手を、一瞬だけ止めた。

 だがすぐに、何事もなかったようにそれを口元へ運ぶ。


 紅茶を一口。


 そして、静かに言った。


「……ラグール王家の末の王女様のお名前と同じだけど、偶然ではないですよね?」


 その言葉に、ルシエラがわずかに目を見開いた。


 メイベルは一瞬だけ息を呑み、それから小さく頷く。


「……はい。そのメイベルで合っています」


 ユウナは静かにカップを置いた。


「これは失礼をいたしました、王女殿下」


 言葉だけは丁寧だった。


 椅子から降りて顔を伏せて片膝をつく。

 その表情に敬意などなかったが、顔を伏せたので誰にも見られはしなかった。


 ユウナが膝をつくのを見て、ルシエラも慌ててそれに倣う。

 そんなルシエラの動きが視界の端に映り、ユウナは僅かに口を綻ばせた。


「お、おやめください……っ」


 メイベルは目に見えて慌てた。


 自分も椅子から降りると、膝をついたユウナに高さを合わせるように、その前で立て膝になる。


「どうか、そのようなことはなさらないでください」


 ユウナは顔を伏せたまま、何も言わない。


 メイベルは少し早口になりながら続けた。


「王子が四人、王女が三人おります。私は一番下ですから、継承権などほとんどありません」


 それは謙遜というより、事実の説明だった。


「どうか普通にお話になってください。敬称も不要です。メイベルと呼んでいただきたいです」


 ユウナは一拍置いてから、ようやく顔を上げた。


「……そう。なら、そうさせてもらうわ」


 三人は改めて席へ戻った。


「継承権もないに等しく、特に尖った才能もなかったわたくしですが、父も母も、できる限りの愛情を注いでくださいました」


 その声には、親への感謝があった。

 飾りではない、素直なものだった。


「教育も十分に受けさせてもらいました。神の声を聞いたと分かれば、すぐに神殿との縁もつないでくださいました」


 ユウナは黙って聞いていたが、そこで小さく息をつく。


「それで、私の噂を聞いて会いたいと言ったあなたの願いを、王家が叶えようとした……と」


「はい」


 メイベルの顔が、ぱっと明るくなった。


「ユウナ様のご活躍は、吟遊詩人の歌で大人気なんです! 数々の魔域を収め、数多の蛮族を討伐し、スタンピードを退けた英雄――私が特に好きなのは――」


「ああ、わかったわ。もういいから」


 ユウナはうんざりした顔で手を上げ、話を遮った。


「それだけ詳しいなら、私の話なんて聞く必要もないでしょう? 吟遊詩人の歌の方が、きちんとまとまっていて格好いいわ」


 皮肉めいた笑みを浮かべる。


「私の話なんて聞いたら、幻滅するわよ」


 歌は、英雄を美しく飾る。

 汚れも、迷いも、吐いた弱音も、削り落としてくれる。

 だが現実の冒険譚は、もっと泥臭い。

 もっと醜く、もっと必死で、時に笑えないほど残酷だ。


 メイベルの表情が、少し曇った。


「いえ……本当は、ただ冒険譚を聞きたいだけではなかったんです」


 その声の調子に、ユウナの目が、少し細くなる。

 カップを置き、椅子の背にもたれた。


「王女様が、ただ平民の冒険譚を聞くためだけに、わがままを言ったのではない、と言うことかしら」


 メイベルは、こくりと頷いた。


 一度、深く息を吸う。

 それから、言葉を選ぶように口を開いた。


「私は、吟遊詩人の歌でユウナ様の名を知りました。

 最初は、本当にただ、それだけだったんです。すごい人がいるのだと、憧れました」


 その瞳に、幼い熱が揺れる。


「けれど、調べるうちに知りました。ユウナ様がナイトメアであることを」


 そこで、メイベルは指先をきゅっと握りしめた。


「ナイトメアという種族。その特徴自体は、もちろん知っていました」


 彼女は王族だ。

 教育を受けている。

 歴史も、神学も、種族についての知識も学んでいる。


 だが、知識と理解は違う。


「ですが、“知っていただけ”でした」


 メイベルの声が、少し低くなる。


「この国で、ナイトメアがどんな扱いを受けているのか。それを、本当の意味で理解してはいなかったんです」


 ユウナは無言だった。

 ただその沈黙は、続きを促していた。


「知った時、わたくしは――腹が立ちました」


 声に、かすかな熱が混じる。


「何故、生まれながらの特徴だけで人が踏みにじられなければならないのか。


 何故、弱い立場に置かれた者を、さらに弱いままで縛りつけるような仕組みが、当たり前のように続いているのか」


 言葉は幼い。

 しかし、そこに宿る怒りは本物だった。


「そう思った、その時でした」

 メイベルは顔を上げる。


「ティダン様の声を聞いたのです」


 ユウナの眉が、わずかに動いた。

「……へえ」


「被差別階級のような暗黙のルールの撤廃こそが、自分に与えられた使命だと確信しました。

 わたくしにしかできないことなのだと、そう思ったんです」


「なるほど」

 ユウナはようやく、短く相槌を打った。


 だがその声に、肯定の色はまだない。


 メイベルは続ける。

「けれど私は、王女とはいえ末子です。今のままでは発言権などほとんどありません。

 理想を語っても、子供の綺麗事で終わります」


 自分の立場を、彼女なりに理解している。

 その事実に、ユウナは少しだけ目を細めた。


「だから――力が必要です」


 その瞬間、ユウナの視線がすっと鋭くなる。

「軍部でのし上がるつもりね」


 メイベルが驚いたように目を見開いた。


「……はい」


「王家の末娘が神殿で正義を説くより、武勲を立てて軍部に食い込んだ方が現実的だと考えた」

 ユウナは淡々と続ける。


「そこで権限を得て、発言力を持つ。違う?」


「違いません」

 メイベルの声に、今度ははっきりとした決意が宿る。


「ですから、ユウナ様に戦い方を教えていただきたいのです。」


 言葉に力が入る。

「わたくしは強くなりたい。

 理想を語るだけではなく、それを実行できるだけの力がほしい」


 しばしの沈黙。

 カフェのざわめきが、遠く聞こえる。


 やがてユウナは、小さく頷いた。

「なるほど……理想を語るだけじゃないってわけね」


 その一言に、メイベルの顔が明るくなる。


 だが次の瞬間。


「無理ね」

 あまりにもあっさりと、ユウナは切り捨てた。


 メイベルの表情が固まる。

「何故ですか?」


「あなたがちょっと発言力を得たからって、覆せるほど甘い社会じゃないわ」


 その声は冷たかった。

 慰めも、曖昧な期待も、一切なかった。


 メイベルは唇を引き結ぶ。


 それでも、食い下がった。


「でも、この街の人たちは……」

 その瞳には、さっきまで広場で見た光景がまだ焼きついている。


「この街では、穢れを持った、王都でなら迫害されるはずの人たちが、人々と共に笑って、社会を作る一員になっていました」


 こぶしを握る。

「そうなったのは、ユウナ様のご活躍があったからです。

 ナイトメアという弱い立場から、あなたは自分の場所を勝ち取った……そして、それはやがて周囲の人々にまで波及した。


 あなたは、やってみせたんです。だから私も……!」


「……無理よ」

 ユウナは、今度は少し強く言い切った。


 メイベルの声が止まる。


「市井の人たちと、権力者を一緒にしないことね。

 確かに人は変わるわ。それでもそれは目の前で何かを見て、積み重ねて、ようやく少しずつよ」


 次いで出たのは突き放したような声。

「でも権力者は根本的に違う。彼らは、自分が得をしている構造を守るために生きている。そこにいる限り、正義も理想も、都合よく切り刻まれるだけ」


 メイベルは何か言おうとして、言葉を失う。


 ユウナは立ち上がった。

「夢を見るのは勝手だけど、叶わないとわかっている夢を応援するほど、私は暇でもお人好しでもないの。王都へ帰りなさい、お姫様」


 メイベルは、その場に取り残されたまま、ただ見上げるしかできなかった。


「行くわよ、ルシエラ」


 ユウナの言葉でルシエラもゆっくりと席を立つ。

「……はい」


 二人はそのまま店を出ていった。


 席に残されたメイベルの手は、膝の上で強く握られていた。


 その小さな指先に宿る熱は、本物だった。

 理想もまた、本気なのだろう。


 だがユウナは、それでも振り返らなかった。


 夢だけでは、何も変わらない。

 正しさだけでは、何も守れない。

 それを知っているからこそ、簡単に手を貸すことはできなかった。


 カフェの扉が閉まり、外の光が少しだけ揺れる。


 一人残されたメイベルは、しばらく動かなかった。


 自分の言葉が軽かったのか。

 覚悟が足りなかったのか。

 それとも、ユウナが見ている現実が、自分の想像よりずっと深く重いのか。


 分からないまま、それでも膝の上で握った手だけは、ほどけなかった。


 冷めきった紅茶を前に、メイベルはただ一人、唇を噛みしめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ