ティダン神官の少女
それからさらに数週間後。
不愉快極まる依頼の事など、すっかり頭から追いやったある日のことだった。
食料品や日用品の買い出しに、ユウナとルシエラは連れ立って商業区へ出ていた。
吐く息は白く、頬を撫でる風は刺すように冷たい。
街路樹もすっかり葉を落とし、冬の訪れを静かに告げていた。
それでも昼下がりの通りは、人で溢れていた。
行商人は厚手の外套を羽織り、客たちは手を擦り合わせながら足早に店を巡る。
酒場からは賑やかな笑い声が漏れ聞こえる。
湯気を立てるスープや、煙を上げる串焼きの屋台には、自然と人だかりができていた。
どこを見ても、ヴァルクレアらしい活気に満ちた日常が広がっている――はずだった。
だが、その一角だけが不自然な密度を作っていた。
人垣。
ざわめき。
そして、空気にうっすらと混じる緊張の気配。
ユウナは眉をひそめ、足を止める。
ルシエラもすぐに異変を察し、視線を向けた。
人垣の中心にいたのは、四人の屈強な男たちと――
それに向き合うたった一人の少女だった。
「ですから、あなた方が一言謝ればよろしいのです!」
凛とした声が、ざわめきの中を真っ直ぐに通った。
少女は十歳ほどに見える。
肩口で切り揃えられている桃色がかった金色の髪は艶やかで、顔立ちこそ可愛らしい幼さを残しているが、その年齢にそぐわない、整った物腰とよく通る声。
身に纏う衣服も上質で、裕福な商家の娘か、あるいは貴族の子女であることが一目で知れた。
だが、その小さな身体が対峙している相手は、あまりにも違う世界の者だ。
「道いっぱいに広がって歩き、避けようとしたおばあさんを突き飛ばした挙句、笑いながら罵倒するなど……許されることではありません!」
「うるせえんだよ、ガキが! 殴られたいのか!?」
男たちは見るからに質が悪かった。
粗暴で、短絡的で、力任せ。
少女の三倍はあろうかという巨体が四つ、壁のように立ちはだかり、威圧するように睨みつけている。
普通ならそれだけで怯み、後ずさる場面だ。
だが――
「そうやって暴力の脅しをかければ、誰もが萎縮して思う通りになると思ったら大間違いです!」
少女は一歩も引かなかった。
背筋を伸ばし、真っ向から睨み返す。
そのすぐ横には、道に倒れ込んだ老婆がいる。
老婆は震える声で少女に呼びかけた。
「お嬢ちゃん、あたしのことはいいから、早く逃げて……」
「よくありません!」
少女は即座に言い切った。
「こういう輩は見逃せば見逃すほど増長し、好き放題に振る舞うのです!」
その言葉とともに、彼女の胸元で何かがきらりと光る。
それは聖印だった。
陽光を受けて輝いた聖印を見て、ユウナが小さく呟いた。
「ティダンか……」
太陽神ティダン。
正義と公明正大を重んじる神。
――太陽のごとく、公明正大に生きよ。
――弱き者に力を、驕れる者に戒めを。
その教えを、目の前の少女は文字通り体現していた。
だが――
ユウナは小さく息を吐く。
「行き過ぎたティダン神官は、ナイトメアの“穢れ”にまで過剰に反応したりするのよね……」
関わりたくない相手。
それが正直な感想だった。
だが、視線を逸らすには、状況はすでに行き過ぎていた。
少女の言葉は鋭い。
正論で、隙がなく、容赦がない。
だからこそ逆に――
男たちには通じなかった。
言葉で返せない苛立ちが、そのまま露骨な怒りへと変わっていく。
「このクソガキがぁ!!」
ついに一人が堪えきれず、拳を振り上げた。
そして体ごと振り下ろす。
――遅い。
ユウナがそう判断した直後、パンッ! と乾いた音が響いた。
少女は鮮やかな身のこなしで振り下ろされた拳をかわし、踏み込みと同時に腕を振り抜いていた。
小さな掌が、低くなった男の横面を鋭く打ち据える。
「!? ……っ!!」
自分が叩かれたことに理解が及ばない男。
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、ようやく我が身に起きたことを知った男の顔は、怒りで真っ赤に染まった。
「~~~~ッ!! 殺してやる!」
理性が切れた。
懐からナイフが抜かれる。
それを合図にするように、他の三人も同時に刃を抜いた。
そしてバラバラと散開して囲む。
逃げ道はない。
少女の肩が、わずかに震えた。
恐怖はあるのだろう。
それでも屈しない。
瞳の奥に宿る光は、まだ消えていなかった。
その姿を見て、ユウナは小さくため息をつく。
「……まあ、放ってはおけないか」
面倒ごとだ。
関われば後を引く可能性が高い。
相手はチンピラ。
問題の根は街の治安。
そして何より――ティダン神官。
どれも、できれば距離を置いていたい要素ばかりだった。
それでも。
目の前であそこまでやられていて見過ごすことはできない。
ユウナは歩き出した。
何の気負いもなく。
ただ、当たり前のように。
ルシエラも何も言わず、その隣へ並ぶ。
その歩みに迷いはなかった。
人垣が、自然に割れる。
誰かが二人に気づいたのだろう。
あるいは、ただの偶然かもしれない。
しかし、その進む先だけがするりと開いていく。
刃を構えた男たちと、少女。
そのあいだへ、二人はゆるやかに割って入った。
ユウナは首を軽く回しながら、
いつもの少し気だるげな調子で言った。
「はいはい、そこまでにしておきなさい」




