年上組の相談会
工房に戻ったエリスは、リリアへの挨拶もそこそこに、椅子に座るなり、すぐさま精密作業を再開した。
細い工具が、魔動部品の隙間へ滑り込む。
指先の動きに迷いはない。
角度も、力加減も、寸分の狂いなく制御されている。
――はずだった。
その様子を、傍らでじっと見つめている者がいた。
もちろんリリアである。
彼女は、これ以上ないほど満面の笑みを浮かべていた。
「によによによ……」
『……リリア様、どうかいたしましたか?』
エリスが、手を止めずに尋ねる。
リリアはにこにこと笑ったまま、楽しげに首を傾げた。
「ふふっ。……“遭遇”しちゃいましたか~?」
ガタンッ。
正確無比であるはずのエリスの手元が、明確に狂った。
工具が作業台に当たり、乾いた音を立てる。
『……遭遇など、しておりません』
「ん~~~? 何に遭遇しなかったんですか~?」
『……』
エリスは無言で作業を続けようとした。
しかし、リリアの視線は逃がしてくれない。
その目は、「じっくりたっぷりお話しましょうね」と、雄弁に語っていた。
数秒の沈黙。
やがて、誤魔化しきれないと判断したのか、エリスは観念したように小さく息を吐いた。
『……視覚情報として確認したわけではございません』
「はいはい~」
『ですが、状況から推察するには十分でした』
「なるほどなるほど~」
『通信機で一度連絡を入れてから戻るべきでした』
「まあ、昼間からあのお二人がそうなっちゃってるとは思わないでしょうから、仕方ないですよ~」
リリアはけらけらと笑う。
だが、エリスはふと手を止め、リリアを見た。
『リリア様は……こうなることを分かっておられたのですか?』
「可能性だけなら、ですね~」
リリアは人差し指を立てた。
そして、楽しげに推論を披露し始める。
「今日は軽く訓練しようと決めた二人は、まずギルドに行くでしょう?」
『はい』
「だけど、そこでギルド長から待ったがかかります。毎回訓練場をボロボロにする二人は、他所でやってくれとお願いされるわけですよ~」
『……なるほど』
「仕方ないので二人は、今日は完全オフにしようと決めて買い物だけして帰宅」
『非常に妥当な推論です』
「気怠い昼下がり、最近バタバタしてて“ご無沙汰”だった二人は、誰もいない新居でつい……。
って感じの流れじゃないですかね~?」
『……』
恐るべき洞察力だった。
もしこの場にユウナがいたら、「あんた千里眼か!?」と叫んでいただろう。
「……で?」
リリアは頬杖をつき、エリスの顔を覗き込む。
「エリスさんは、どう思いました~?」
『何を、でしょうか』
「そういう場面に遭遇して、どう感じたのかな~って」
エリスの内部演算が、一瞬だけ停止した。
思考を整理する。
情報を分類する。
感情らしき反応を言語化する。
最適な返答を選択する。
その結果、彼女の口から出たのは、とても人間らしい、しかし少し意外な言葉だった。
『……安心いたしました』
「おや。それは意外ですね~」
リリアが目を細める。
エリスは工具を置き、確認するかのように続けた。
『お二人は、互いに強く惹かれ合い、依存し合いながらも、それを表に出すことは多くありません』
「恋人って言うよりは、相棒って感じですものね~」
『しかし本日は、それが自然な形で発露したのだと推察します』
ユウナとルシエラの、慌てふためいていた顔を思い出す。
赤くなった頬。
泳いだ視線。
必死に整えられた室内。
何もなかったと主張するには、あまりにも分かり易すぎる二人。
その光景を思い返して、エリスの胸の奥に生まれたのは、困惑だけではなかった。
少しの申し訳なさ。
それを大きく上回る、安堵。
『それは、お二人の精神衛生上、非常に健全であると判断します』
そう言うと、エリスの口元に微かな笑みが浮かんだ。
ほんの小さなものだった。
けれど確かに、人間らしい表情だった。
「いいですね~」
リリアが満足そうに頷く。
「今のエリスさん、とっても良い表情です~」
『……そうでしょうか』
「はい~。とっても」
その言葉に、エリスは少し戸惑ったかのように目を伏せる。
それから、珍しく迷うような間を置いた。
『……もう隠しても仕方ないので、一つご相談したいのですが』
「お~、相談とは珍しい!」
リリアの顔がぱっと明るくなる。
「というか、初めてですね~。いいですよ~。お姉さんが何でも聞いちゃいます!」
『……実年齢としてはお姉さんではありませんが、お心遣いに感謝いたします』
エリスは真面目に一礼した。
そして、少しだけ声量を落とす。
『それで……夜間の私の待機場所は、お二人の寝室から物理的に距離を置いた場所がいいと提言したいのですが』
「…………」
『どうすれば、お二人を傷つけずに、自然に話せるでしょうか?』
「…………」
リリアは黙った。
エリスも黙った。
工房の中に、一瞬だけ静寂が落ちる。
そして――
「あはははははははっ!」
リリアの、今日一番の大きな笑い声が工房中に響き渡った。




