第4話 変異種②
日暮れ時。
帰還したユウナの報告を最後まで聞いたギルド長は、深く眉間に皺を寄せた。
「17レベルの変異種、か……。しかもギガントボアが街道まで押し出されるほど、森の中が荒れていると」
一瞬重い沈黙が落ちるが、ギルド長はすぐに結論を出した。
「速やかにその変異種を討伐する必要がある」
視線がまっすぐ、ユウナとルシエラへ向けられる。
「戻ってきたばかりで悪いが、お前たちに頼みたい。お前たちでなければ大規模レイドを編成することになるが、その場合、人的な被害は計り知れないものになる」
ユウナは迷いなく頷いた。
「そのつもりよ」
そして肩をすくめる。
「もったいぶるわけじゃないけど一度戻ってきたのは、さすがに準備なしで挑める相手じゃなかったからね。それに――」
「分かっている」
言いかけたユウナを、ギルド長は手で制した。
報告もなしに変異種に挑んで、もし敗れた場合、ギルドが異常事態を察知するまでに時間がかかり、そのぶん被害は広がる。
それを避けるために一度戻ってきた。
その判断が正しいことはギルド長にも十分分かっていた。
「こちらも対策はしておく。それで、いつ出る?」
「今日よ。準備が終わったらすぐ行くわ」
「……大丈夫なのか?」
さすがにその確認だけは外せなかったのだろう。
しかしユウナはこともなげに答える。
「ええ。今日今夜のうちに片付ければ、余計な手間をかけずに済むでしょう?」
言い終えると同時にすっと立ち上がる。
「それじゃあ行ってくるわ。明日の昼までに戻らなければ、私たちは死んだと思って次の手を打って頂戴」
重い内容の事をさらりと言い放ち、そのまま軽い足取りで部屋を出ていく。
ルシエラも一礼し、あとに続いた。
ギルド長はしばらく閉まった扉を見つめていたが、やがて静かに息を吐く。
「……相変わらず、とんでもないことを平然と言う」
だがその声には、大きな信頼が混じっていた。
ギルドを出た二人は、そのまま必要な品を揃えるために街を歩いた。
日が暮れたばかりの街はまだ明るい。
店じまい前の店先には灯りがともり、石畳の街路では、人々が今日最後となる行き交いをしている。
その中でルシエラがぽつりと口を開いた。
「……報酬、交渉しなくてよかったのですか?」
声は遠慮がちだったが、問いはしっかりとしていた。
「ユウナならいくらでも有利な条件を引き出せたでしょう。今回の件は明らかにこちらが主導権を握っていました」
少し言いにくそうに続ける。
「いくらでも……足元を見れたはずです」
ユウナは歩みを止めない。
視線も前を向いたままだ。
数歩ぶんの沈黙。
やがて、淡々と答えた。
「ここで報酬を渋るような人物なら、そもそもギルド長になんてなれていないわ」
足音が石畳に規則正しく響く。
「あの人は理解している。今回の件の重さも、私たちの価値も」
その言葉に迷いはない。
長年の付き合いがある者だけの、確信がにじんでいた。
「だから、こちらが何も言わないこと自体が最大値を引き出す“交渉”なのよ」
ルシエラが目を瞬かせる。
ユウナの口元が、ほんのわずかだけ緩んだ。
「欲を見せた瞬間、値段は“取引”になる。でも何も言わなければ、“信頼への対価”になる」
そこで、ちらりとルシエラを見る。
「どちらが高くつくと思う?」
理屈は、冷静で計算にまみれたものだった。
だがそこには単なる打算だけではなく、積み重ねてきた実績と、ギルドとの信頼関係に対する誇りもあった。
ルシエラは小さく息を呑む。
打算的。
だけど、それだけではない。
ユウナのやり方には、強者としての矜持があった。
感銘を受けたルシエラだがしかし、次の瞬間。
ユウナがふいに足を止めて振り返る。
じっとりと細められた目。
「……お金好きとか、足元を見るとか」
声は平坦だが、視線だけは妙に鋭い。
「あなた、私を何だと思ってるわけ?」
ルシエラは一瞬たじろいだ。
「……経済観念のしっかりした人?」
「遠回しに言っても誤魔化せないわよ」
ぴしゃりと返ってくる。
だが怒っているわけではない。
その証拠に、口調の端にはいつもの調子が残っていた。
ユウナは胸を張る。
「私はね、“好き”で稼ぐの。自由が好き。選択肢が好き。誰にも縛られない状態が好き」
その言葉は真っ直ぐだった。
ルシエラが少し笑顔になりながら、そっと付け足す。
「……そして、美味しいスイーツも好き」
ユウナの表情が険しくなる。
けれど数秒の沈黙ののち、苦々しげに言った。
「まあ、そういうことよ」
反論はしない。
できないのだろう。
ルシエラが小さく吹き出すと、ユウナはふっと息を吐き、今度は真剣な顔で空を見上げた。
視線が向かうのは、森のある方角。
「それにね。今回は“値段を吊り上げる局面”じゃない」
夜の色へ変わり始めた空の下、その声だけが静かに響く。
「これは街の問題。私たちが動くのは当然」
そして視線を戻す。
「そのうえで、最大限をくれるところからはきちんともらう」
静かな自信だった。
言葉を飾らないぶん、その確かさがよく伝わる。
ルシエラは小さく頷く。
「分かりました。ユウナはただのお金好きじゃない」
「もう少しいい言い方はないの?」
間髪入れずに返してから、ユウナは再び歩き出した。
「さあ、準備よ」
その声に迷いはない。
「敵は17レベル。甘い相手じゃない…!」
そして、隣を歩くルシエラへ目を向ける。
「だからこそ、あなたのその価値――今回で街に刻むわよ」
その言葉に、ルシエラの胸が熱くなる。
恐れはある。
緊張もある。
だが、それ以上に。
この人の隣で、自分の価値を証明したい。
そう強く思えた。
戦うための物資を買い込んだ二人は夜が近い街を進んでいく。
向かう先は変異種の棲む森。
そしてそれはハイペリオン級ユウナの相棒、ルシエラの名を街へ刻みつける戦いの始まりでもあった。




