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第4話 変異種①

「ギガントボアはこんなところまで出てくる魔物じゃないわ」


 倒れ伏した巨大な猪の死骸を見下ろしながら、ユウナは静かに言った。


 強い魔物ほど、棲み処は奥へ寄る。

 洞窟なら最深部。

 山なら高地。

 沼なら深み。

 そして森なら、中心部だ。


「特に縄張り意識の強いギガントボアが、街道近くまで出てくる理由はひとつ」


 そう言って、ユウナはルシエラを見る。

 ルシエラはすぐに意図を察した。


「出て来ざるを得なかった……」


「そう」

 ユウナは頷く。


「より強力な存在に、縄張りを追いやられたのよ」

 短く息を吐き、森の奥へ視線を向ける。

「……大物が湧いたか」


 ルシエラも同じ方向を見る。

「どうしますか?」


 ユウナは視線を落とし、少しだけ考えた。


「少し森の中の様子を探る。

 大物が湧いたとして、その影響がどの程度のものか確かめたい」

 地面に転がるギガントボアの死体を顎で示す。

「このボアみたいに、森の奥にいた魔物が大量に外へ押し出されてくるのか」


 そこで一拍置く。


「それとも、奥から順に“大物→強い→普通→弱い”って新しい縄張り関係が再構築されるのか」

 最後に、ルシエラへ向き直った。

「そもそも、湧いた大物が何なのか。それが分からないと、どうしようもないわ」


 ルシエラは頷く。

「了解です」


「当然ながら、戦闘は避けていくわよ」

 そう確認しながら、ユウナは自分の鎧の留め具に手をかけた。

 ルシエラも同じく、無言で金属鎧を外し始める。


 金属鎧は防御力に優れる。

 だがユウナならスカウト、ルシエラならレンジャーとして動くときには、共通認識として明確な枷になる。


 音が鳴る。

 身を低くした際に細かな動作を妨げる。

 枝葉を払うだけで余計な気配を撒く。

 耳を澄ませる際にも邪魔になる。


 ユウナもルシエラも、普段はスカウト技能やレンジャー技能を戦闘補助として使っている。

 だが、こういう場面ではきちんと“本来の使い方”もできる。


 外し終えた鎧は、そのまま地面へ置いたりはしない。

 木の枝や葉で目立たないよう覆い、ロープでまとめて樹上へ吊るす。


 完全に隠せるものではない。

 だが、もしもの確率でいたとして、通りすがりの冒険者や盗賊にただプレゼントするよりは遥かにいい。


「よし、行くわよ。ルシエラ」


「はい」


 二人は森の奥に向けて足を踏み入れた。


 音を立てないように。

 周囲の気配を拾いながら。

 枝を避け、落葉を踏む角度まで気にしながら。

 戦いとは別種の集中が、二人を包む。


 森の中は思っていた以上に悪化していた。


 何度か足を止めた先で見つかったのは、動物や魔物の死骸だった。

 引き裂かれたもの。

 踏み潰されたもの。

 喰い散らかされたもの。


 争いが一点で終わっていない。


「随分と厄介なことになってる」

 ユウナが低く呟く。


 ルシエラも周囲を見渡しながら答えた。

「縄張り争いが広がってますね」


「ええ。“大物”の影響が大き――」

 そこでユウナの言葉が途切れた。

 ルシエラも同時に感じ取る。


 ………いる。


 向かう先から伝わってくる圧倒的な存在感。生き物としての格の違い。


 二人はそれ以上言葉を交わさなかった。


 気配をさらに薄くする。

 呼吸を浅くし、足運びをより慎重にする。

 枝一本、落葉一枚すら余計に鳴らさないよう神経を研ぎ澄ませながら、気配の元へ近づいていく。


 やがて森の奥、開けた場所に出た。


 その中央にいたのは、巨大な獣だった。


 つい先ほど仕留めたばかりなのだろう。

 大きな獲物に牙を立て、肉を喰い裂いている。


 ユウナの目が細くなる。

「(あれは……? 一見、ドルギラスに見えるけれど……)」


 ドルギラス。

 額に二本の角を持つ、サイによく似た大型草食獣。

 モンスターレベルは12。


 だが、目の前の個体は明らかにおかしい。


「(ドルギラスなら体長は七メートルから十メートル程度……でも、あれは軽く十五メートルはある)」


 さらに、決定的な違和感があった。


「(何より……肉を喰っている)」


 本来のドルギラスは草食性だ。

 それが獲物を貪っている時点で、ただの同種ではありえない。


 ユウナは懐から眼鏡を取り出し、静かに装着した。


 〈魔物見の眼鏡〉

 魔物の名とレベルを視認できる魔法具。

 ユウナはこのアイテムと、自らが読み込んで記憶した魔物に関する文献の記述を組み合わせることで、疑似的な魔物知識判定が行える技術を身につけていた。


 視界の向こうに文字が浮かぶ。


 [◇✕※▽◎〇 モンスターレベル17]


「(名前は不明……でも、ドルギラスの変異種と見て間違いないわね)」


 そして、その数値に内心で舌打ちする。

 舌打ちした直後、その数字が深く浸みこんできた。

「(……っていうか、モンスターレベル17!?)」


 さすがのユウナも、その高さに眉をひそめた。

 動揺で気配が漏れないように注意しながら、そっと手で合図し、ルシエラを伴ってゆっくり後退した。


 十分な距離を取ってから、ようやく二人は小さく息を吐く。


「ヤバいわね、あれは……」


 ルシエラの表情も硬い。

「17レベル……」

 その声にはわずかに緊張が滲んでいた。

「どうするんですか?」


 ユウナは簡潔に答える。

「一旦戻って、ギルドに報告するわ」


 現状確認。

 危険度の再評価。

 街道封鎖の必要性。

 やるべきことは多い。


 だが、その先もユウナには見えていた。


「……まあ、結局は私たちに討伐依頼が回ってくるでしょうけどね」


 ルシエラが息を呑む。

「依頼が来るって……勝てるんですか?」


 少し震えた声だった。

 無理もない。

 相手はレベル17。

 常識で考えれば正面からぶつかる相手ではない。


 だが、ユウナはそこでニヤリと笑った。

 その笑みには、無謀さではなく確信があった。


「勝てるわ」


 そして、はっきりと言い切る。


「私とルシエラなら……!」


 その言葉に、ルシエラの胸の奥で何かが熱を持つ。


 恐れは消えない。

 だが、それ以上に。


 この人は本気で自分を戦力として数えている。


 森の奥には、常軌を逸した変異種。

 これから間違いなく、命懸けの戦いになる。


 それでも二人なら越えられると、ユウナは信じている。


 そして今は、ルシエラもまたそれを信じられる。

 ユウナがそう信じているのだから。


ーーー


 報告のために街道を戻る道すがら。


 ギガントボアと闘い、森の中を気を張って進み、17レベルと言う怪物を目の当たりにして精神的な疲労が溜まっているが、二人の足取りは止まらない。

 街道の安全を考えれば、一刻も早くギルドへ報告を上げるべき状況だった。


「しかし、まさか街道際にギガントボアが出るとはね……」

 ユウナが呟く。


 二人にとっては、さほど苦戦する相手ではなかった。

 だが、だからといって相手が弱いわけではない。


 ギガントボアのモンスターレベルは9。

 厄介な特殊能力を持つ類ではなく、比較的“分かりやすく強い”手合いではある。

 それでも、普通の旅人や商人にとっては絶望的だ。

 低レベルの護衛冒険者でも、正面から遭遇すればまず無事では済まない。

 ましてや、森の奥にはさらに格上がいる。


「しかも、奥の変異種はレベル17…これは報酬が期待できるわね」

 もちろん緊張の度合いの方が大きいが、その声はほんの少しだけ弾んでいた。


 その横顔を見ながら、ルシエラは思う。


 ユウナと出会ってまだ何日も経っていない。

 それでも、少しずつ分かってきたことがある。


 ――ユウナはお金の話になると少し機嫌がいい。


 ルシエラは半ば確かめるように問いかけた。

「……ユウナって、お金が好きなんですか?」


 一瞬の沈黙。

 ユウナは真顔で振り向いた。


「……経済活動に寄与しているだけよ」


 妙に堂々とした言い方だった。


「大きく稼いで、大きく使う。それがハイペリオン級の務めだもの」

 まるで高尚な理念のように言い放つ。


 だが、ルシエラはもう気づいている。

 今のユウナは、ほんの少しだけ声の調子が明るい。


「………」


 その様子に気が付いたのか、ユウナはこほん、と小さく咳払いをひとつして、わざとらしいくらい平静な声に戻した。


「お金は“自由”を保障するのよ」

 そう言って片手を上げ、指を一本ずつ立てていく。


「装備品。消耗品。誰にも邪魔されない住空間」


 さらに一本。


「嫌いな相手に頭を下げずに済むだけの交渉力」


 それは理屈として確かに正しかった。

 高レベルになればなるほど、装備も補給も高額になる。

 生き延びるための準備は、強くなるほど青天井に近づいていく。

 何より、この世界では金がある者ほど選択肢を持てる。


 ユウナの目が、ほんの少しだけ遠くを見る。


「特に、私たちみたいな存在にとっては……銀貨は鎧よ」

 その声は、先ほどまでより少しだけ低かった。


 迫害。

 偏見。

 孤立。


 そういうものは、完全には消えない。

 だが金があれば、ある程度は黙らせられる。

 金があれば、選ばなくていい屈辱もある。

 金があれば、逃げ込める場所を自分で作れる。


 ルシエラは黙ってその言葉を聞いていた。


 重みがある。

 実感のこもった言葉だった。


 しかし――


 一拍置いてからユウナは続けた。


「美味しいスイーツも好きに食べられるわ」

 完全に真顔だった。


 ルシエラは、思わず吹き出した。

 ユウナがじとりと視線だけで抗議してくる。


「今のが本音でしょう?」


「違うわ」

 間髪入れずに否定する。


「あくまで副次的効果よ」

 そう言って、ユウナは小さく笑った。


 その横顔を見て、ルシエラもまた、肩の力を抜いて笑う。


 お金は自由。

 銀貨は鎧。

 きっと、その通りなのだろう。


 でもこの人にとっては、それだけじゃない。


 美味しいものを食べること。

 気に入った場所で休むこと。

 帰る場所を整えること。

 そういう“生きることそのもの”を、ちゃんと大事にしている。


 だからこそ強いのだと、そんな気がしていた。

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