湯煙の中で
窓の外では、ヴァルクレアの街並みが夜の帳に深く沈んでいた。
遠くで時折聞こえる夜警の笛の音が、静寂を際立たせている。
けれど、新居の広間だけは別世界だった。
魔動機文明式の照明に照らされた空間は、祝杯の酒と賑やかな笑い声、そして豪勢な料理の香りに満ちている。
新居完成の宴は、いよいよ最高潮を迎えていた。
「リリア、もうこんな時間だし……物騒らから、今日は泊まっていきにゃしゃいよ~」
ろれつが回っていない。
ユウナはすっかり出来上がっていた。
空になったグラスを指揮棒のように振り回しながら、妙に堂々と宣言する。
実際には、高レベルのアルケミストであり操霊術士でもあるリリアが、街中の夜道程度で危険に晒されることなどまずない。
暴漢が十人束になってかかってこようと、鼻歌交じりに撃退するだろう。
だが、酔ったユウナにそんな理屈は通じなかった。
「今日は完成記念にゃのよ! みんにゃで一緒にお風呂に入って、みんにゃで一緒に寝るの! これが新しい我が家の最初のルールよ!」
けらけらと上機嫌に笑うユウナに、リリアは困ったように眉を下げた。
「ふふ、ユウナさん、完全に酔ってますね~」
『ユウナ様の呼気から計測される推定血中アルコール濃度は約〇・一五パーセント。軽度の泥酔状態にあります』
エリスが冷静に分析する。
『これ以上の飲酒は、肝機能および運動中枢への悪影響が懸念されるため、控えるべきかと判断します』
だが、当のユウナは聞いていない。
更にグラスに酒を注ごうと、酒瓶を傾ける。
それを押しとどめながら、ルシエラが申し訳なさそうにリリアへ頭を下げた。
「ごめんなさい、リリア。こうなったらもう、言う通りにしないとユウナの独演会が朝まで止まらないんです……。せっかくですし、泊まっていってください」
「いえいえ~、全然大丈夫ですよ~。このお屋敷のお風呂にも、とっても興味がありましたし~」
「よし決まり! 裸の付き合いよー! あっははははは!」
その場で勢いよく服を脱ぎ始めようとするユウナ。
その襟足を、ルシエラが熟練の手つきで掴み取った。
「ユウナ! 脱ぐのは脱衣所です!」
「むぐっ」
「それに、まだお湯も張っていません。ほら、お水を飲んでください」
「……ごくごく」
『ただちに最適温度での給湯を開始いたします。所要時間は5分です。』
甲斐甲斐しく世話を焼くルシエラ。
小走りに浴場へ向かうエリス。
その騒がしくも温かい光景を、リリアは穏やかな笑みで見つめていた。
「賑やかですね~」
―――
湯気に煙る、広々とした大浴場。
最新の魔動機設備により、湯は驚くほど簡単に張られていた。
かつては魔法、時には桶や焼き石なども駆使して苦労していた入浴準備が、今ではエリスがいくつかの操作をするだけで済んでしまう。
「あっはっは。もう【クリエイト・ウォーター】を連発しないで済むと思うと、感慨深いわね~」
「……毎回、頑張ってましたからね」
陽気に笑うユウナと、しみじみ呟くルシエラ。
「……それにしても、こうして並ぶと、圧巻ですね~」
リリアが、感嘆するような吐息を漏らしながら呟いた。
その視線が向けられている先にあるのは、日々の過酷な冒険と鍛錬によって磨き上げられた、無駄な脂肪の一切ない、引き締まった肉体美。
そして女性であることを象徴する、豊かに弧を描くたわわな双丘。
「あ……あんまりじっと見られると……その、恥ずかしいです」
ルシエラは頬を赤らめ、身を隠すように腕を胸の前で交差させた。
「いいじゃない、立派なんだから! 減るもんじゃないわよ!」
未だ酔いの覚めやらぬユウナが、ルシエラのガードを易々とすり抜け、その柔らかな膨らみを両手で背後から鷲掴みにした。
「ひゃっ!? こ、こら! やめてくださいユウナ!」
「そ・れ・にぃ~」
ユウナの目が、肉食獣のようにキラリと光る。その標的はリリアへと移った。
「圧巻とか言ってるけど、リリアの身体は“絶景”よ! この繊細なライン、職人魂を刺激されるわね……」
リリアは二人と比べれば小柄で細身だが、その身体つきは非常にバランスが良く、主張すべきところはしっかりと主張している。
「もう、ユウナさん。その言い方はなんだかえっちですよ~」
さすがのリリアも、上気した顔をさらに赤く染めて身を縮めた。
『ユウナ様。アルコール摂取直後の浴室での過度な運動は、血圧の急激な変動を招き危険です。どうか、やんわりと……いえ、静かになさってください』
エリスがその後ろから、嗜めるというよりは、保護者のような眼差しで諭した。
その声に反応して、ユウナの視線がエリスを捉える。
立ち昇る湯気の中に浮かび上がるエリスの姿。
滑らかな肌は人間と見分けがつかないが、首筋に薄く走る細い金属部分が、彼女が「造られた美」であることを示していた。
だが、それがむしろ神秘的な造形美を際立たせている。
均整の取れたしなやかな四肢と、モデルのような立ち姿。
しかし、何事かを言い放とうとしたユウナの視線がその胸元で止まった時、彼女の酔いは一瞬で冷めたかのように静まった。
「あ……うん……ごめん。なんか、ごめんね……」
しゅん、と目に見えて肩を落とし、心底申し訳なさそうに謝罪するユウナ。
エリスの胸元は、控えめに言っても“かなり慎ましやか”であった。
『……今の謝罪の意図について、論理的な説明を要求します』
エリスの目が、すっと細くなる。
『何か……非常に釈然としないものを感じるのですが』
エリスは機械の身体。そのプロポーションは製作者の意図一つでどうにでもなったはずなので、本人が気にする要素はないはずである。
――だが、これには理由があった。
ガイノイドボディの製作者は、妙な倫理観と言うか、こだわりを持ってたらしい。
魂を移す際、エリスが違和感を抱かないよう、生前の彼女の体型を寸分違わず再現していたのだ。
つまり、人間だった頃のエリスもまた、“かなり慎ましやか”だったのである。
「ユウナ! 今のはいくらなんでも失礼すぎます!」
ルシエラが鋭く叱咤する。
「そうですよ~、ユウナさん! プンプンです! エリスさんのその奥ゆかしさこそが美学なんですから~!」
リリアも同調して頬を膨らませた。
『……あの、お二人方とも』
エリスが困ったように小さく手を上げる。
『全力で庇っていただくほどに、私の胸中に数値化できない悲しみが蓄積されていくのですが……』
その言葉に、三人は一瞬固まり――
次の瞬間、誰からともなく笑いがこぼれた。
湯気に包まれた浴場に、楽し気な声が響く。
新しい我が家で過ごす最初の夜は、こうして賑やかに更けていった。




