1.1/fゆらぎ
「えっ、嫌だよ」
くたくたに草臥れた週末。久しぶりに訪れたいきつけのバーには幼馴染の姿があった。近頃連絡すら取っていなかったが、以前は大学も近かったのもありよくつるんでいたのだ。その頃から通うバーなので居てもおかしくないのだが、賑やかな場を好むこの男が一人で来ることはまずなかったはずだ。
珍しいこともあるものだと思うのとほぼ同時に切り出されたのはルームシェアをしないかという提案だった。
「そこをなんとか。すげー仲良い女友達いるんだけど、幼馴染の女の子と同居してるらしいんだよ。だけど、もうすぐ更新らしくてさ。そのまま住むか、同居解消するか、それともどっか引っ越すか悩んでるんだって」
「だから?俺そいつら知らないし」
「これから知り合えばいいじゃん?お前確か部屋余してて勿体無いっていってたろ?」
「いつの話だよ・・・まぁ、今もほぼ使ってないけど」
長くなりそうな話に顔を顰めながらオイルライターに火をつける。ヤスリの擦れる音と火がつく独特の音の調和がとても好きだ。炎の揺らめき。その後にパチンと蓋をしめる一連の動作。これだけで心が落ち着く。このためだけに煙草を吸ってると言っても良いかもしれない。
煙草を深く吸い込むとジジッと先端が鳴く。煙を吐き出せば少しばかり視界にモヤが掛かり、スーッと消えていった。
今住んでいる家は元々母方の祖父の持ち物だった。なかなかのお嬢様だった母親が嫁いだのは田舎で働くうだつの上がらない教師だ。どこぞで運命の出会いを経て、紆余曲折の末結婚。よくある三文小説の主人公のような二人だが、幸せな夫婦であるのは間違いない。
母親はなかなか適応力が高く、田舎暮らしを物ともせず過ごした末に夫婦で気に入った田舎町に家を建てて今も二人仲良く暮らしている。父親はパッとしない人だが、今も慎ましくも教師を続けていた。
就職した年に祖父が亡くなり、財産分与でかなりの額の金やら不動産やらが母親に分与されることとなった。お金は有難く受け取ったが、不動産に関しては管理が大変だと母親は全て放棄した。そんな中、祖父の跡を継いでいる叔父が自分の就職先に近い場所にある物件だけは待っとけと半ば無理矢理押しつけてきたのだ。なんならもともと割り振られる予定だった不動産を手放しただか、貸しただかの金で贈与税は元より未だ管理費すら叔父が処理してくれている。今のところ有難くおんぶに抱っこだが、あと数年で全部こちらに引き渡すと言われているので頭が痛い案件だった。
だが、それを差し引いても高級分譲マンションの一室を持っているのはとても箔がつく。そういう意味でも大事にしろと遣り手な叔父に言われているのでそこは従うまでであった。
「聞いてるか!?」
「・・・聞いてねぇよ。静かにしろよ。皆んな静かに飲みに来てんだ」
落ち着いた趣の店だ。週末にしては珍しくいつもより人が少しばかり少ないがいない訳ではない。ある程度顔見知りの常連客は面白そうにマスターとこちらを観察しているが、そちらは気付かないフリをしておいた。
「毎月それぞれ家賃入れるし、出張の多いお前に変わって家事は俺らで当番制にする。お前掃除も洗濯も嫌いだろ?どうせいいだけ溜めて家事代行でも頼んでんだろ?その分浮くぞ!」
「・・・それに頼らねぇと生活できないほど少ない稼ぎじゃねぇよ」
「言ってみたいわそんなセリフ!とにかく!可愛い女の子達と暮らせるし、家事の心配もない。どうせお前は食生活もぐだくだなんだろ?それでなんとかもつのは今だけだぞ?あと数年で三十だし、その後はガタガタになってく一方なんだ!だから!ルームシェア!しよう!」
一度言い出したら聞かないのがこの幼馴染だ。煙草の煙と一緒に深い溜息をつく。
ルームシェアをして何か利点があるものなのか。まぁ、こういう場で悩んだのなら父や叔父は同じ事を言うだろう。何事も経験すれば糧となる、と。
「・・・お前、うちでそいつらに手を出さないと約束出来るか?ヤルなら外に連れ出してヤレ。家ん中で致したら潰すからな」
青褪めながらコクコクと頷いた。コイツは顔がいい。自分も有難いことに見た目は悪くない。なので昔はお互いに利があってつるんでいた。だからこそコイツの手の速さは知っているつもりだ。
「とりあえず一年ごとに更新制。家賃は今それぞれ住んでるとこのを据え置き。最初にある程度ルール提示するからそれのめるなら住めばいい。あとはその都度考える」
「俺はちょっと安く・・・」
「文句あるならこの話はなし」
「ごめん!あとで連絡する!それじゃ!」
逃げるように帰る幼馴染の後ろ姿を見送り氷が溶けて薄くなったウィスキーのグラスを傾けるのだった。
* * *
ルームシェアは蓋を開ければ10ヶ月で半ば終わりを告げた。仲がいい女友達とやらの方と8ヶ月目でくっつき、その後二人でイチャつきたいとでていったからだ。思ったより長くかかったものだと妙な感心をしたものだ。
そして残されたのは少し切長の目をした黒髪のボブカット女だった。社会学の専門書を読んでいたかと思えば次の日にはライトノベルを読んでいたりと生粋の活字中毒者だ。
彼女は大企業とまではいかないまでも文房具のそれなりに名前のある会社に勤めており、事務員をしている。年に数度企画部外から製品の企画が募られるらしく、入社2年目で採用になった金属製のブックマーカーを愛用していた。因みにその後も書籍関連の文具を中心に意見を求められるらしく、意外にも遣り手の位置付けなのかもしれない。
「まさか出張から帰ったら明日引っ越すからと宣言されるとは思わなかった」
朝イチで引越し業者がやってきて、1時間ほどで荷物が出され、嵐のように奴等も居なくなった。
今までありがとう!また来るね!
そう声を合わせて出て行った2人に呆気にとられたのは言うまでもない。
「・・・思い立ったら即行動出来る所があの2人の似たところよね」
まさしく似た物カップルというやつだ。出て行った以上、上手くいく事を一応願ってやることにしよう。
「光里はこれからどうしたい?」
何故か襲う疲労感で共用部分にあるソファに身体を沈める。残された同居人は大きめのマグカップにいれたばかりの紅茶を持ってきた。仕事ではコーヒーばかりなので家では紅茶党らしい。定期的茶葉を入れ替え楽しんでいる彼女がよくいれてくれるので、いつの間にか自分も専ら紅茶党になっていた。
「私はあの子の分も合わせた家賃をこれからずっとは入れれないもの。もともと巡君はこのルームシェアに乗り気ではなかったでしょ?今少し忙しいから1〜2ヶ月先にはなるけど、ちゃんと物件探して出て行こうと考えてはいるよ」
アイツらは自分達が巻き込んでルームシェアをしたにも関わらず、彼女に何も相談なしに引越しを決めたそうだ。聞かされたのも自分の数日前でしかなく、悪質だといっていいかもしれない。
「あの大量の本を持って?安い物件だと床抜けるぞ」
「うっ」
「それに今まで家賃半分ずつ出してきたわけだろ?1人で払うとして、今の金額に1〜2万プラスした所でロクな物件ないと思うけど」
「う〜」
目の前でリアルに頭を抱えている。家賃を含めた必要経費以外のほぼ全てを本代に注ぎ込んでいると思しき活字道楽だ。現実問題、貯金も多い方ではないだろう。
「あのさ、今まで指摘しなかったけど、俺の分の洗濯や共用部分の掃除の大部分ってやってたの光里だろ?」
「・・・まぁ、そうね。最初の約束だったし、あの人達さほど家事能力高くなかったし」
家事代行に依頼していた分の家事の肩代わりもルームシェアの条件だった。だが、蓋を開けると奴らは自分達の洗濯物はある程度溜め込むと近所のコインランドリーに持ち込んでいたし、掃除は最低限、食事も外食が中心だった。稼ぎはそこまで多くないはずなのでどうやって生活費を回していたのかはなかなかの謎であるが、その点はもうどうでもいい事だ。
出歩くのが好きな奴らと違い、家で本を読んでいることの多い彼女は俺の分の洗濯物や掃除を担い、時折早く帰ればささっとある物で食事まで作ってくれた。
分担制など最初の数週間で崩壊していた。それに怒る事もせず、俺に告げ口をする事もなく、彼女は毎日の生活を淡々とこなしていたのだ。
一ヶ月経ったところで食費の提供を申し出れば光熱費は出していないのだからこれくらいさせてくれと言われる。その上、洗濯物も二度手間なので嫌じゃなければ一緒に回していいかと確認された。むしろ恋人でもない男の洗濯物を一緒に回す事は嫌じゃないのかを確認するも俺なら気にならないという。俺の幼馴染に関してはなんかイヤ、と言っていたので生理的に受け入れられる存在であるのはきっと間違いない。
彼女の作る食事は素朴な家庭料理ばかりだが、なかなかに美味しい。きっと食の好みが似てる事もあるが、仕事から帰って食事が出てくる喜びを一度知るとそれを手放すのはなかなかに難儀だ。
「今まで通り俺の洗濯と掃除とかお願いする代わりにこのまま一緒に住もうったらどうする?」
マグカップを目の前のローテーブルに置き、横に座った彼女に向き直る。男女の関係ではない。けれど、自分達は男と女だ。同性同士の同居よりハードルは高い。
「願ったりではあるんだけど・・・突然恋人出来たからすぐ出てってくれっていうのは無理よ?」
一瞬目を彷徨わせたが、彼女はおずおずと確認してくる。
今後彼女に恋人が、という事は頭の片隅にあったが、自分が恋人を作るという想像はとんと出来ない。現状を望む自分が新しい何かを求めることなど必要ないのだ。
「忙しいし、恋愛が煩わしい俺だぞ?だからある程度気心しれたお前にこんなこと頼んでんだ。家賃もいらないんだが・・・そういうとお前は気にするだろうし今まで光里が払ってた額より安くする。アイツらがいなくなって、確実に光熱費は減るんだ。もともと家賃収入が欲しいわけでもない。だから同居人兼家政婦みたいな事やらせてもいいだろうか?」
「いいけど・・・今まであるルールの他に何か追加はある?」
「アイツらと違って常識的なお前にこれ以上何か求めることはないな。あ、でも一個だけ、っ」
言いかけて、まるで恋人に強請るようなセリフに躊躇う。俺は彼女をどうしたいのだろう。関係を進めるわけではない。今の時点でお互いに変化は望んでいない。なのに繋ごうとした言葉は恋人へのおねだりのようで憚られ、気恥ずかしさが襲う。
「なに?」
「あー・・・あのさ、たまにでいいんだ」
「うん?」
「今までみたいに時折夕ご飯作ってくれないか?俺、光里の飯食べるの好きなんだ」
最後は少し消え入るような声量で発露した一つの本音に何故か一気に羞恥が襲った。何故だか分からないが物凄く恥ずかしい。彼女は予想していなかったのか、きょとんとすると次の習慣とても嬉しそうに破顔した。こんな顔をするのかとドキリとしてしまったのは不意打ちだったからと思いたい。
「それじゃあ食べられる時一緒に食べよ?嫌じゃ無ければ2人だけだしお互いの予定連絡したりして」
それじゃあ恋人みたいじゃないか。そう思うもそれを口にしてはいけない気がした。
この日からまめに彼女への連絡を入れた。酷い時は月の半分以上、日が変わってから帰ったり出張だったりとまともに家にいないのだ。それは奴らが出ていく前から変わらない状況で、家の事は完全に彼女任せになっていた。
けれど、それに怒ることはなく、家に帰れば冷蔵庫には夜食が準備されていたり、次の日が休みなら彼女は本を読んで帰りを待ってくれている日もあった。
休日が被ればソファで隣り合って本を読んだり映画を見る事もある。触れるか触れないかの距離はもどかしく、けれどそれを縮めることは今の有意義な時間が壊れてしまう気がして出来なかった。
学生時代はそれなりに彼女を作り遊んだ。不誠実なことはしてこなかったつもりだが、大抵向こうから飽きられて去られてしまう。そんな繰り返しだったせいか、恋愛は遠のいて久しい。
今の関係に新たな名前がつけばお互いの見方が変わるだろう。そうなれば自ずと相手が自分に付き合いきれずに別れがくる。
彼女と自分のペースはカチリと噛み合っている気がしてるのは自分だけなんだろうか。漠然とした不安の中でこの先の関係に発展させる勇気はなかった。




