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2.ひらりひらり舞う花よ 散り散り散りていざ還らん





鬼神様はロクと名乗った。ロクはもう数百年この大きな社で一人役目を担っていたという。まだその立場としては若いそうで、人の歳であてはめれば兄か、それより少し上くらいという感じらしい。


厳密にいえばロクは神ではない。けれど、それにとてつもなく近しい存在。土地神と私達が呼んでいたのも同様で、ロクは守り役と彼等を呼んだ。


守り役は定期的にロクの元に挨拶に訪れる。かわるがわる現れる彼らに最初こそ驚いたけれど、日に日にそれに慣れ、彼等の言葉が分かるようになってくる。


彼等はセイを伴侶様と呼んだ。


セイは否定をするも、ロクはいつもそれに何も言わなかった。


ロクは毎日セイに口付けた。口付けられる回数が重なれば重なるほどそれは深く、長くなっていった。そして身体の中が少しずつ少しずつ作り変わっていくのがわかる。


「っ・・・あっ、ロク様」


自分自身が聞いたこともないような色を帯びた声が。ロクに縋りつく己の腕が。上気する己の全身が。


こんな自分をセイは知らなかった。


どうしたら良いかわからないセイを鈍色の瞳が捉えて離さない。


逃げようにも逃げられない。(かいな)の中で逃れようと惑うセイの姿にロクは目を細めた。


セイがロクに感じるようになった感情が羞恥だと分かったのは間も無くのことだった。


口付けを受ける日々はセイを変えていった。花が香れば心がなぎ、月が輝けばその美しさに目を細める。


ロクの口付けに、愛おしげに目を細めるその仕草に、愛されているような錯覚を覚え、その先を求める物足りない感情を知り驚愕したのはどのくらいたった頃だっただろうか。


今まで動かなかった感情がどんどんと溢れていった。


セイがロクの元へやってきて十月(とつき)


セイの元へ訪問者が現れた。


記憶の中では短い黒髪、日に焼けた肌のその人は長い髪を一つに括り、透き通るような白い肌になっていた。


しかし、意志の強い黒の瞳は変わらない。少し大人びたが、セイと似た面影を持つ兄の姿がそこにはあった。


「間際の霊山が長、ツネの甥であり、後継であるイサクと申します。此度は我が妹に手を差し伸ばして頂けたこと深謝致します。厚かましい願いでありますが、どうか妹に目通りの機会を与えて頂けないでしょうか?」


ツネは叔母の名だ。そこまで偉い立場だったことを初めて知った。そしてたった6年でその後継となった兄に驚いたのは言うまでもない。


暫く御簾越しに兄を見ていたロクはセイに兄の元に向かうよう背を押した。


社の裏手は果てしなく花畑が広がっている。先の先は白く霞がかかり、その先は決してみえない。ここが人の世界でないことが良くわかる境とも言えるかもしれない。


「兄さん、お久しぶりです」


「セイ、息災で何より。綺麗になったな」


頭一つ分は大きい大柄の兄がセイの頭を撫ぜた。感情が出ないセイを兄弟達は気にかけてくれた。特にこの兄は特別気遣いが出来る人で人の輪から外れがちなセイを常に心配してくれていた記憶がある。


「霊山で後継者となったのですか?」


「あの後、霊山を訪れた途端に弾けるように力が溢れた。歴代でも類をみない力だと褒めやされ次代の長に早々に決まったが修行が必要でな。先代が一昨年儚くなり、今は叔母上が繋ぎでその座についている。叔母上には負担が大きいから早く代われと言われていてな。今回のこの訪問を終えればとうとうその座につかねばならぬらしい。勤めで妻や子ども達になかなか会えなくなるのは辛いものだな」


はっはっはと声高に兄は笑った。田舎の里の息子らしい若干の粗暴さはなりを顰め、話し方も歩き方一つも変わったように見える。貴族の子息と言われても間違えてしまうかもしれない。


「して、セイ。家族は皆、元気だ。それをまず伝えたかった」


父も母も弟達も無事に霊山の麓までついたという。上の弟は狩の腕を買われ、下の弟は巫女になるにしろならないにしろその力の制御の仕方を学び出したそうだ。


そんな中で偶然姉夫婦が薬の行商で現れるとそのまま霊山の麓に根を下ろした。皆、そこで楽しく暮らしているらしい。


家族が無事で本当に良かった。心が温かくなる感覚は初めてで戸惑うも、その新しい感情もすとんと腑に落ちた。


そして里はもうないという。


霊山の長でありながら、叔母は無理を押し切りセイの元にやって来たという。だが、もう里にはセイの姿はなく、セイがいなくなって一月も経たないそこは累々と屍が積み重なっていたそうだ。里を抜け出したと思しき者達は獣に喰われた痕跡が残っており、恐らく生き残りはいないだろうという話だった。


セイが居なくなったことで急速に祟りが広がったのだ。祟りは人々を蝕み、土地を汚した。暫くその地に生き物は住めないと叔母はいったという。


叔母はセイの痕跡を辿り、行き着いたのは大石だった。そこで途切れた痕跡。大石に触れてもセイの微かな存在は感じ取れてもセイと会う事は叶わない。力が足りなかったのだ。


そこで霊山に戻り、巫女や一族で話し合い、兄がここまでやってきたという話だった。


「・・・この狭間の地に来れたのは私の力が強かっただけではない。青鈍の御方が迎え入れてくれたからに他ならない」


兄は手にしていた包みを広げた。


「本当に美しくなった。綺麗な花に生まれ変わったのだろう。お前の笑みを見れたことは私の宝になろう」


包みの中は白無垢だった。美しいそれは田舎の里の娘には勿体無いほどの代物だと一目でわかる。


「・・・心配をするな。私は霊山麓の異能一族の長。一族から鈍角(にびつの)の一族に花嫁を出すのだ。これくらい準備しても一族は揺るがないし、なんなら足りないくらいだと思ってよい」


兄は視線をセイからずらす。セイの少し後ろにはいつのまにかロクの姿があった。


「これからセイは人であった時とは比べ物にならないほど長い時を過ごすのだろう。アチラに程近いコチラの狭間とは違い、私は人の世に程近い狭間に身を置く。だが、霊山が持つ異能に愛された私はコチラにやや近くなる。セイほどではないにしろ、長い時を過ごす事となるだろう。ココからならば霊山までさほど遠くもない。困った事があれば尋ねてくるといい。いや、寂しく思い出を語らうたくなったならば来なさい。どんな形であれ、私はセイの兄なのだから」


まぁ、青鈍の御方が許して下さるならば、だが。そういった兄はセイの手を取り、そしてロクの手に差し出した。


「霊山麓の異能一族が次期長、イサク。私が代表して我が妹の婚姻を言祝いでもよろしいか?」


「宜しく頼む」


どこから取り出したのか分からない扇子を開き、パチンとそれを兄が閉じるとぶわりと風が舞った。気が付けば兄が持っていたままだった白無垢がセイの身体に纏われ、キラキラと光を放っている。


何がどういう仕掛けなのか何もわからずただ驚いていると、隣には青鈍色の礼服を纏ったロクの姿があった。人の世で、本来その色は喪の色だ。だが、ここは人の世ではなく、狭間の場所だ。それがもっともロクに似合う衣装であった。


朗々と兄に似合わない言葉が紡がれていく。そして夫婦の契りを交わすことは酒を交わす事では無かった。


兄が祝詞を終えるとロクはセイに口付けた。まだ一年経っていないからなのか、まだ足りない力を一気に注ぎ込むようブワリと大きな力の波がセイを飲み込んだ。


「・・・我が愛しの妻よ。永遠の愛を誓おう」


流されるまま婚姻の契りをセイは結んだ。自分がロクの伴侶であると幾度言われても理解出来なかったし、兄から決定事項のように進められる一連の事柄にセイは内心混乱をしていたのだ。


だが、セイはやっとこの状況を受け入れた。言葉少ない彼が初めて愛を囁き、愛を誓ってくれたのだ。ホロリと流れた涙は人生初めての嬉し涙だった。


手がかからぬと言われ、逆に心配が尽きず手が掛かった妹。その結婚をただ一人兄であるイサクは見守った。


妹の伴侶がその力で妹を包み込んだ。それはなんと美しい光景であったか。


力が収束した次の瞬間。イサクは妹が完全に人ならず物になった事を理解して、どこか感傷的に目を細めた。


黒の瞳は鈍色に変わり、その額の生え際に青鈍色のツノが煌めいていた。







昔、霊山の巫女の長とされたイサクという男がいた。彼は霊山の異能に愛されし子であり、いつまでも壮年の姿のまま変わりなかったと言われている。300年生きたとも、500年生きたとも後年の記録に残されているが、事実は誰も分からない。


イサクは家族をとても愛した。自分の妻や子ども達を始め、父母や姉や弟達、その家族になった者、そして一族、子孫達。どれをとっても大切にしていたという。中でもセイという妹はいつまでも長く交流があった。鈍角の一族に嫁いだ妹とあり、人ならず者ともあるが、この詳細も不明だ。だが、数百年に渡り、イサクと交流し、イサクが没したと思しき後もイサクの愛した一族と交流が続いていたらしい記録が残されている。


イサクの末裔だという一族の蔵から見つけ出されたイサクの書とされるそれには流麗な文字で記された言葉がある。それは妹にあてた言葉なのではというのが有力な説である。



"ひらりひらり舞う花よ

散り散り散りていざ還らん


散りた花は再び芽吹き

大輪を揺らし微笑むのだ


愛しき花よ

この先も幸多からん"








ひらりひらり舞う花よ 散り散り散りていざ還らん…fin.






 

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