第38話:それから
モンスター禍の終息から、季節がふたつ回った。
聖都サロマの下町に、最近、妙な看板が出た。
『古代文字、読みます。遺跡の相談、承ります。——学士ジン』
「——なるほどねぇ。この水路、詰まりの原因は古代の「弁」だな。ここに『閉』って書いてある。回せば開くはずだ」
「ほ、本当だ!水が来た!さすが学士サマ!」
「はいよ、銀貨三枚。毎度あり」
魔法を失った男の再就職先は、存外あっさり見つかった。
世界には千年前の遺構が溢れている。読める者のいなかった警告板。動かし方の分からない古代の設備。危険なのか安全なのかも分からず、封印されてきた「神代の遺産」たち。
それを世界でただ一人読める男は、今や引っ張りだこだった。
「(就活二ヶ月全敗のオッサンが、まさかの手に職。……人生、わからんもんだ)」
ちなみに肩書きの「学士」は、グロリオが押し付けてきたものだ。
「杖なし」でも「御使い」でも困る。教会公認の学者、というのが一番治まりがいいらしい。帳簿の男の考えそうなことだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕方。仕事を終えて「事務所」に戻る。
事務所——つまり、カーシャの仕立屋の二階である。
「お帰りなさいませ、先生。お茶が入っておりますよ」
「先生はやめろって……で、今日はまた、なんの集まりだ?」
一階の店先が、やけに賑やかだった。
覗き込んで、陣は固まった。
店の中央に、正装のランスロットが直立不動で立っていた。
鎧ではない。仕立ての良い礼服。髪も撫でつけて、渋い顔は緊張で岩のようになっている。
その正面には、旅装のままのマリア。
そして店の隅には、なぜか祭壇用の燭台を掲げるファイロと——完全に観戦体勢のカーシャ。
湯気の立つカップを片手に、ハンカチをもう一方の手に構え、椅子は特等席の角度。
茶菓子まで用意されていた。
「……なにこれ」
「し————っ!先生、今いいところなんです! お茶、そちらにご用意してありますので!」
「(用意周到すぎるだろこの人)」
差し出されたカップを受け取り、陣もそっと壁際に並んだ。
本日の肴は、極上である。
ランスロットが、ごくりと喉を鳴らし、意を決したように膝をついた。
「マリア様。……いえ、マリア」
「は、はい」
「私は家を出た身だ。爵位も、権限もない。あるのは剣一本と、この身ひとつだ。……だが、陛下より賜った任がある。「姫がもう良いと言うまで守れ」と」
「その任を——生涯の誓いに、変えさせてほしい」
「騎士としてではなく、一人の男として、あなたの隣を歩かせてほしい」
店の空気が、止まった。
マリアは、目を丸くして、それから——泣き笑いの顔で、答えた。
「……わたくし、言いましたわよね。「もう良い」なんて、一生言わないと」
「————では」
「はい。一生、ですわ」
「「「うおおおおおおお!!」」」
店が、爆発した。
カーシャはカップを取り落としかけ、慌てて置いて、そのまま滝のように泣いた。
八年の密偵稼業で培った冷静さは、この日のために使われなかったらしい。
ファイロは燭台を掲げて祝福の炎を上げ(小火騒ぎになった)、陣は——
「(————報告することが、また増えたな)」
天井を見上げて、月のある方角に、小さく親指を立てた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜。恒例のモノリス通いである。
『それでそれで!?ランスロットさんは、なんて!?』
「「生涯の誓いに変えさせてほしい」だとよ。あの朴念仁が、よく言ったもんだ」
『きゃー!!』
石版いっぱいに、花丸やら星やらの記号が乱舞する。千年の御神体の、あんまりな使われ方だった。
『カーシャさんは!?ないた!?』
「バケツ三杯ぶんな。あと、例の帽子あるだろ、店の帽子掛けの。あれに祝いのリボンが二本に増えてた」
『ボルサリンガムの!あはは!』
ちなみにニードハット卿は、領地で二十二人の妻たちに囲まれて、慎ましく暮らしているらしい。
先日、匿名で「帽子を返してほしい」という嘆願書が教会に届いたが、グロリオが黙殺した。
『ねぇ、じんさま』
「ん?」
『こんどの、ごじゅうごにち、なんのひか、おぼえてる?』
「五十五日後?……いや、何かあったか?」
『えへへー。ひみつ!』
「(お前のひみつは、だいたい碌なことがないんだよなぁ……)」
石版の光が、機嫌よさそうに瞬いた。
窓の外では、二つの月が、いつも通りに並んで昇っていた。




