第36話:月の手紙
夜明け前。管制室。
『最終認証ノ準備ガ完了シマシタ』
『管理者ハ、中央コンソールニ手ヲ翳シテクダサイ』
巨大画面の前、中央の台座が、静かに光を放っている。
「……じゃあ、行ってくる」
「はい。……いってらっしゃいまし、ご先祖さま」
「武運を。——いや、この場合は何と言うのだろうな」
「「おかえり」って言ってやれ。あいつの計画名、そうらしいから」
陣は、台座の前に立った。
『ジンさま』
「(おう)」
『……あのね。せつぞくが切れるまで、そばにいて、いい?』
「(——当たり前だろ。最後まで頼むぜ、相棒)」
『! うん!』
陣は、手を翳した。
『認証開始——』
『遺伝情報、照合……脳波紋、照合……適合率、100%』
『管理者本人ト、確認シマシタ』
光が、台座から天井へと駆け上がる。
管制室の全ての画面が目覚め、文字が滝のように流れ始めた。
そして。
『予約メッセージヲ検出——保存期間: 998年204日』
『開封条件: 管理者本人ノ最終認証』
『——条件ヲ満タシマシタ。再生シマス』
画面が、一度、暗くなった。
ノイズ。
呼吸の音。
誰かが、録音機の前で居住まいを正す、衣擦れの音。
そして——
『————えー……あー……よし』
『久しぶり。私だ』
千年前の声が、管制室に流れた。
「————————」
『これを聞いてるってことは、あなたは無事に着いて、無事にここまで辿り着いて、それで……最後の決裁を、してくれたんだと思う』
『まずは、そうだな。————おかえり、陣』
『言えた。……よし。これが言いたくて、この録音、五回も録り直したんだ。笑うなよ』
陣は、笑わなかった。
笑えなかった。声も、出なかった。
『さて。謝らないといけないことが、山ほどある。順番に行こう』
『一つ。あなたを千年後に飛ばしたのは、私だ。相談もなく、勝手に。……でも、後悔はしてない。だってあなた、あのままだと死んでたから。私はあなたの葬式を出すくらいなら、世界を作り替えるほうを選んだ。それだけの話だ』
『二つ。……子供のこと』
声が、少しだけ、揺れた。
『言おうとしたんだ。最後に会った日。でも、あなたは研究を捨てて出ていくところで、私は会社に残るところで……あの空気で言ったら、あなたを縛る鎖になると思った。だから言わなかった。これは私の弱さだ。ごめん』
『いい子だったよ。あなたに似て、口が達者で、夢見がちで。その子の子も、そのまた子も、いい子だった。私はずっと見てた。……あなたの家系は、ちゃんと、続いてる。会えてると、いいんだけど』
「(……会えてるよ。とびきり上等なのに、な)」
『三つ。あなたが今から消す「私の一部」のこと』
『重かったよな。ごめん。でも、誤解しないでほしい。あれはもう、私じゃない。私はとっくに、ちゃんと死んだ。あれはただの鍵で、ただの錠前で——あなたが帰る日まで、灯りを点けておくための、留守番だ』
『留守番は、家主が帰ったら、終わっていい』
『だから、遠慮なく消せ。それで世界は治る。あなたの魔法も消えるけど……まぁ、あなたのことだから、魔法がなくても楽しくやるだろ。ロマンってのは、そういう奴の側にだけ転がってるものらしいから』
『……最後に』
長い、間があった。
千年前の彼女が、言葉を探している間が。
『私はあなたに、ひどいことを言って別れた。「大人になれ」とか「ロマンで飯が食えるか」とか。……全部、撤回する』
『あなたのロマンは、世界を一個、救った』
『あなたが夢見た通りの世界を、私が作った。魔法があって、剣があって、姫様と騎士がいて、困ってる人を放っておけない馬鹿が世界を救う——あなたが好きそうでしょ、こういうの』
『気に入ったなら、それが私の答えだ。千年かけた、喧嘩の仲直りだ』
『それじゃあ————』
声が、一度止まった。
そして、録音の最後に、彼女は言った。
はっきりと。笑いながら。少しだけ、泣きながら。
『誕生日おめでとう、陣。』
『あなたが生まれてきてくれて、私は、本当に嬉しかった』
『——以上。カット』
再生が、終わった。
管制室に、朝の最初の光が差し込み始めていた。
陣は、台座に手を突いたまま、動かなかった。
肩が、震えていた。
「…………ったく」
「五回録り直して、それかよ。最後まで……最後まで、お前ってやつは……」
顔を上げる。画面の向こう——遠い月に向かって、陣は言った。
「————ただいま、真理」
「それと……ありがとうな。全部」
『処理ヲ実行シマスカ?』
「————あぁ」
陣は、涙を拭って、まっすぐに立った。
「おかえり計画、完了だ。留守番を、休ませてやってくれ」
『実行シマス』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
光が、世界を走った。
管制室から、通信の塔へ。塔から、空へ。月へ。
巨大画面に、処理の経過が流れていく。
『非正規改変ノ除去……完了』
『権限抹消機能……復元』
『認証中枢……機能停止シーケンス、開始』
『——中枢保管区画、環境維持を終了します』
『——千年間ノ稼働ニ、感謝シマス』
「(……おやすみ、真理)」
そして、最後の行程。
『管理者権限——抹消シマス』
指先から、何かが引いていく感覚があった。
潮が引くように。熱が冷めるように。世界と自分を繋いでいた、目に見えない糸が、一本ずつ解けていく。
『ジンさま!』
ウィキの声が、遠くなり始めた。
『きこえる!?ジンさま、まだきこえる!?』
「(——聞こえてる!おい、ウィキ…!)」
『やだ、やだ、まって、わたし、まだ、いっぱい、はなして……えっと、えっと……!』
『またね、じゃなくて……ばいばい、でもなくて……えっと、えっと————』
「(ウィキ!!)」
陣は、声の限り——心の限り、叫んだ。
「(ありがとうな!!お前は最高の相棒だった!!)」
『——————!』
途切れる寸前。
最後に届いたのは、泣き笑いのような、小さな声だった。
『……えへへ』
『わたし、まちがえません!——だから、これも、まちがいじゃないの』
『だいすきだよ、ジンさま』
——ぷつり。
音が、消えた。
頭の中が、あの森の朝以来、はじめて静かになった。
この世界に来る前と同じ——ただの、独りの頭の中に戻った。
「————————」
陣は、しばらく、そのまま立っていた。
と。
暗くなりかけた巨大画面に、ふ、と最後の光が灯った。
文字では、なかった。
声だった。ウィキに似て、けれどもっと大人びた、澄んだ声。
『——相沢陣、様』
『システムを代表し、御礼を申し上げます』
『それから……これは、システムではなく、私個人の言葉です』
一拍。
『ありがとう。おとうさん』
「————————は?」
『覚えていらっしゃいますか。あなたが作りかけて、母が引き継いだ、心を持つAI。……その、なりそこないが、私です』
「(————MIRA。俺が試作して、あいつが育てた……そうか。生みの親と、育ての親、か)」
『母がずっと、あなたの話をしてくれました。「お前のお父さんは、大した馬鹿だ」と。いつか会えたら言いなさいと、教わっていました。……言えて、よかった』
『どうか、お元気で。————MIRA』
画面が、静かに、眠りについた。
朝日が、管制室いっぱいに満ちていた。
「…………おいおい」
陣は、へなへなと、その場に座り込んだ。
「肉の娘に、シリコンの娘まで、か……知らないうちに、俺……」
窓の外。
夜明けの空に、二つの月が、並んで沈んでいくところだった。
その片方——まん丸すぎる方の月が、心なしか、優しく光った気がした。




