第32話:愛の後始末
翌朝。陣は一睡もしないまま、最後の記録に辿り着いていた。
『システム改変履歴』
正規の更新記録がずらりと並ぶ、その最後尾に。
一件だけ、色の違う行があった。
『非正規改変: 権限抹消機能の無効化』
『施工者: 花咲里真理(管理者代行)』
『備考: 本改変ハ正規手続キヲ経テイナイ』
「(……あった。これだ)」
添付された、施工メモ。
真理の、あの素っ気ない文体だった。
『目的①: 行方不明者「相沢陣」の管理者権限を、抹消させないため。』
『権限は本人の帰還まで維持される必要がある。死亡判定による自動抹消は、本計画の根幹を破壊する。』
『目的②: 権限を「最も近い遺伝情報」へ漂流させることで、特定家系に権限を継承させ続けるため。』
『帰還した彼が、独りにならないように。彼の血縁が、必ずどこかで生きているように。』
「(————真理…お前、そこまで…)」
だが、メモには続きがあった。
『既知の副作用: 抹消されるべきエラーデータもまた、抹消されずに蓄積する。』
『長期運用下では、エラーの集積がナノマシン群の暴走(仮称: ガン化)を引き起こす可能性がある。』
『対策: 保守エージェントによる定期清掃で抑制可能と試算。ただし、エージェント自体が損耗した場合は——』
メモは、そこで途切れていた。
陣は、画面の前で長いこと動けなかった。
「(モンスター禍の根っこは……これだ)」
「(俺の権限を守るための改変が、千年かけて溢れて、獣を病気にして、人を襲わせてた)」
「(熊も。湖の主も。あの鶴も。————俺が生きて帰ってくるための、お釣りだったんだ)」
窓の外、鶴の声がまた、月へ昇っていく。
いたいよ、いたいよ、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——ジン殿。飯だ」
肩を叩かれて、我に返った。
いつの間にか朝だった。管制棟の外、簡易のかまどで、ランスロットが不格好な焼き魚をひっくり返している。マリアは湯を沸かし、慣れた手つきで携行食を割っていた。
「昨日から一睡もしておらんだろう。難しい顔で石版を睨むのは、腹に何か入れてからにしろ」
「……あぁ。悪い」
差し出された魚は、皮が焦げて身が生っぽい、微妙な出来だった。旅の間ずっと火の番をしてきたくせに、この男は未だに焼き加減だけは覚えない。
「相変わらず下手くそだな、お前の魚」
「ぐ……料理は騎士の嗜みではない」
「あら、わたくしは好きですわよ。ランスロットの焦がした魚」
「ひ、姫……!」
湯気の立つ椀と、微妙な魚と、赤くなる二人。
昨夜、千年前の記録に打ちのめされた頭に、その光景は、ふしぎとよく効いた。
(——あぁ。そうだ。俺が守りたかったのは、こういう朝だ)
千年の秘密も、死ぬはずだった過去も、今はいい。
まずは、飯だ。
陣は焦げた魚にかぶりついて、少しだけ、笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食事が済んで、椀を片付けた頃合いで、陣は二人に言った。
「聞いてほしい話がある。……長い話だ。それと多分、俺の人生で一番、変な話だ」
「望むところですわ」
「拳骨の準備はできている」
「隠してたんじゃねーよ!昨日の夜、わかったばっかりなんだよ!……いや、一個だけ、隠してたのもある。すまん」
陣は、話した。
この世界が、千年後の「日本」——陣の生まれた国の、成れの果てであること。
魔法も、モノリスも、二つ目の月も、全部千年前の人類の道具であること。
唯一神ミラの正体が、MIRAという「心を持つ機械」であり、それを作ったのが——花咲里真理。陣の、恋人だった人であること。
自分は千年前の災害で死ぬはずだった人間で、真理が千年がかりの仕組みで自分を「未来に逃がした」こと。
そして、モンスター禍の根が、その仕組みの副作用であること。
二人は、最後まで黙って聞いた。
マリアは何度か目元を拭い、ランスロットは腕を組んだまま、微動だにしなかった。
「——以上だ。信じられなくても無理は……」
「信じますわ」
即答だった。
「動く絵も、御使いの雷も、この目で見ましたもの。それに……ジン様は、もう嘘をつきませんわ」
「……あぁ。つかない。だから、最後の一個だ」
陣は、深呼吸をした。
「マリア。聖都の石版で、俺とあんたの「繋がり」を調べた。適合ってのは血の近さで決まる。で、あんたから俺に権限が移ったのは——俺たちの血が、誰よりも近かったからだ」
「石版は、こう表示した。『直系子孫』——あんたは、俺の子孫だ。三十四代くらい先の、な」
沈黙が、たっぷり十秒。
「…………し、しそん」
「あぁ」
「わたくしが……ジン様の……ひ、ひひひ、ひいひいひい……」
「「ひ」が三十個くらい付くな」
「————ご先祖さま!?!?」
マリアの声に、木々から鳥が飛び立った。
「で、では、あの、真理さまという方が、その、わたくしの……」
「多分な。俺は知らなかったんだが……あいつは、その、俺の子を」
「————まぁ」
マリアは、口元を両手で覆った。
その目から、ぽろりと涙が零れた。
「まぁ、まぁ……そう、でしたの。ミラ様は……わたくしたちの王家は、その方の……」
「道理で、ですわ。初めてお会いした時から、なぜか懐かしいお顔だと思っておりましたの……!」
「(あん時の既視感、お互い様だったのか……血ってのは、すげぇな)」
一方、ランスロットは。
「…………ジン殿」
「お、おう」
「姫の、ご先祖……つまり、その……私は、姫のご先祖を、殴った……?」
真っ青になっている騎士に、陣は吹き出した。
「あれはいい拳骨だったよ。ご先祖として礼を言う」
「〜〜〜っ、笑い事ではない!!」
「それより、だ。子孫の恋路に口を出す権利って、ご先祖にはあるのかね?」
「「!!」」
「冗談だよ。……まぁ、あれだ」
陣は、真っ赤になった二人を眺めて、目を細めた。
「三十四代も先まで、ちゃんと幸せの血が続いたんだ。見ろよ、この上等な子孫を。——あいつに、報告してやらねぇとな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——それで、だ。仕事の話に戻るぞ」
湿っぽさを振り払うように、陣は手を叩いた。
「あの鶴を楽にする。モンスター禍の大元は俺が引き受ける。段取りはこうだ——」
作戦会議が始まる。
その頭の上で、ウィキがぽつりと言った。
『ジンさま』
「(ん?)」
『まりさまはね、まちがえてないよ』
「(……何がだ?)」
『「お釣り」なんかじゃ、ないよ。だって——』
ウィキは、そこで言葉を選ぶように黙り、それから言った。
『わたし、けいさんしたの。まりさまのかいへんが無かったせかいと、あったせかい。モンスターがいても、ジンさまが来たせかいのほうが、たすかったいのちが、ずっとずっと多いの』
『だからジンさま、じぶんをせめるの、なし!』
「(————っ、はは。数字で殴ってくるなよ、お前は)」
「(……ありがとな、ウィキ)」
窓の外。朝日の中で、千年鶴が翼を広げるのが見えた。
決戦は、近い。




