第27話:祭りの後
聖都を救った英雄を、教会は捕らえられなかった。
湖の主が倒れる瞬間を、城壁の上から、湖岸から、家々の窓から——数千の民が見ていたからだ。
「杖なしの魔法使い様が、主様を鎮めなさった」
「聖女様の水と、鬼神様の剣と、雷の御使い様じゃ」
「教会は「近寄るな」と言うたが、わしらを救ったのはあのお三方じゃぞ」
昼を待たず、聖都は英雄譚で沸き返った。
布告の「簒奪者」は、一夜にして「雷の御使い」になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——というわけで、だ。あんたの負けだよ、大司教殿」
大聖堂、西翼最上階の執務室。
陣は、勧められた椅子にどっかりと座っていた。敵の本丸へ、今度は正面の扉から入った。手土産は、白いシルクハット(借り物)である。
「民の前で俺たちを裁いてみろ。祭りの奇跡を否定することになる。かといって放置すれば、教会の面子が立たない。……詰んでるだろ?」
「……口の減らん男だ」
グロリオは、羽ペンを置いた。
その顔には敗北の色というより、値踏みの色があった。
「条件を言え、雷の御使い殿」
「一つ。マリア・ミラリスへの追跡と「検分」の全面中止。あの子は自由だ」
「二つ。俺たちはこれから、各地の「災いの元」を止めて回る。湖の主みたいなやつをもう一体な。教会は邪魔をしないこと」
「……見返りは」
「昨日の湖で見た通りだ。俺たちは災いを止める。あんたらはそれを教会の功績として好きに広報していい。「ミラ様の御使いを、教会が導いている」とでも何とでもな」
グロリオの眉が、初めて動いた。
「————ほう」
「あんたの商売は「秩序」なんだろ。なら考えろ。俺を異端として消すのと、御使いとして帳簿に載せるの、どっちが千年の秩序に安くつく?」
長い、長い沈黙があった。
やがて老人は、抽斗から一枚の羊皮紙を取り出し、羽ペンを走らせ始めた。
「……「聖庁は、雷の御使い一行の巡礼を公認し、その道行きを妨げない」。これでよいか」
「上等だ」
「ただし、だ」
署名の手を止め、グロリオは陣を見た。
「「検分」は取り下げん。形を変えるだけだ。——お前が何者なのか、私は必ず突き止める。帳簿に載らんものを、私は信じん」
「……あっそ。まぁ、頑張れよ爺さん」
「(俺が何者か、ね。……悪いが、それは俺が一番知りたいんだ)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「では、行ってしまうのだな。マリア」
その日の夕暮れ。王宮の小さな庭園で、今度こそ邪魔の入らない親子の時間が流れていた。
「はい、お父様。……ごめんなさい」
「謝ることはない。だが、聞かせておくれ。城には…戻らんのか。教会の追跡は、もう無いのだろう?」
マリアは、首を横に振った。
「戻れば、わたくしはまた「元・適合者の姫」ですわ。誰かの決めた部屋で、誰かの決めた明日を待つ暮らしに戻ります」
「今のわたくしには、やることがありますの。この目で世界を見て、この足で歩いて——それから、災いを止める旅のお手伝いも」
「……ジン殿、と言ったな」
王は、庭園の入り口で所在なげに立っている男に目をやった。
「娘を、頼めるか」
「あー…いや、陛下。頼まれなくても、あの子はもう勝手に育ちますよ」
陣は、頭を掻いた。
「ダンジョンじゃ俺より肝が据わってるし、牢屋じゃ見張りを三人伸してた。……大したお姫さんです。誇っていい」
「————そうか。そうか…」
王は目尻の皺を深くして、何度も頷いた。
「ランスロット・ガラハッド」
「はっ…!」
「そなたには、改めて姫の護衛を命ずる。任の期限は——そうさな。姫が「もう良い」と言うまで、だ」
「……! 命に、代えましても!」
「ふふ。あら、それでは一生ですわね?わたくし、「もう良い」なんて言いませんもの」
「ひ、姫!?陛下の御前です!!」
「(お父さん公認かぁ…ごちそうさまです)」
隣ではカーシャが、いつの間に用意したのか、庭園の木陰で優雅に紅茶を傾けていた。
これ以上ない茶請けを肴に、その目はきらきらと輝いている。同志である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なお、その頃。
「なぜだ!!なぜワタクシが謹慎なのだ!!」
ニードハット卿は、領地への強制送還馬車の中で吠えていた。
祭りの夜の大捕物は、「ニードハット卿の私兵が警備を混乱させたため」失敗した——というのが、教会の公式見解である。
誰かが責任を取らねばならず、献金しか取り柄のない成金は、ちょうどよい大きさの生贄だった。
「ワタクシの私兵が!ゴーレムが!献金がァァ!!それに帽子!ワタクシのボルサリンガム!!返せ貧民んんん!!」
帽子は返ってこない。
ちなみに現在、その帽子は聖都の仕立屋の帽子掛けで、カーシャの私物のリボンを巻かれて余生を送っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
出立の朝は、よく晴れた。
「本当に、行っておしまいになるのですね」
街道の外れまで見送りに来たカーシャが、名残惜しそうに三人を見た。
「観戦記録、文で送ってくださいましね?進展があったら必ずですよ? こちらはお茶を用意して待っておりますので」
「おう、任せろ。二人が手ぇ繋いだら早馬を出す」
「「や め て く だ さ い ま し(ください)!!」」
そして、もう一人。
街道の脇に、白い法衣が直立不動で立っていた。
「……何の用だ、あんた」
「はっ!御使い様の御出立を、お見送りに参りました!」
ファイロは、輝くような笑顔で腰の袋を差し出した。
「こちら、道中の火種にどうぞ!私が祝福した炭です!それと、各地の聖庁への紹介状!困ったことがあれば、いつでも私めの名前をお出しください!」
「(うわぁ、めんどくさいのに懐かれた)」
「あんた、俺を捕まえる側だろうが」
「はっ!猊下の御命令とあらば、いつでも喜んで捕縛いたします!ですが本日は非番ですので、一信徒として御使い様をお慕いする所存!」
「公私の区別が斬新すぎるんだよなぁ…」
『いいひとだね、ジンさま!』
「(お前の「いいひと」の基準はガバガバか)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖都が、丘の向こうに小さくなる。
「さて、と。……次の行き先だが」
歩きながら、陣は空を見上げた。
昼の空に、薄く透けて浮かぶ二つの月。
「(ウィキ。3匹目の場所、そろそろ聞かせてくれ)」
『うん。……あのね、ジンさま。3びきめはね、いままでのこと、ちょっとちがうの』
「(違う?何がだ)」
『3びきめはね——おつきさまと、おはなししてるこなの』
「(——月と、話してる)」
『ずーっと、ずーっと、おはなししてるの。だれもいないのに。……モノリスのあのこと、おんなじように』
陣の足が、止まった。
モノリスは、月と話していた。
コアモンスターも、月と話している。
「(……おいおい。そうなると、聞き手は誰だ?)」
「(誰が、月にいるんだ?)」
見上げた先で、二つの月は何も言わない。
ただ、片方の月が——昔から少しだけ、まん丸すぎると言われている方の月が、白々と光っていた。
「ジン様?どうかなさいまして?」
「……いや」
陣は、白い帽子を目深に被り直した。
「次の旅は、少し長くなりそうだと思ってな」
——第三章・了




