第2話:異世界転移
陣は多少変わった職種ではあるものの一般企業で働くという意味では普通のサラリーマンだ。
平和神話の崩壊した日本であっても、一部の人間を除いて普通のサラリーマンが目にする刃物といえば精々包丁がいいところだろう。
しかし、目の前の男が持つそれは包丁というにはあまりにも大きすぎた。
大きく 分厚く 重く そして美し過ぎた。
それは 正に剣だった。
「もう追ってきたのか!」
剣を持つ男が叫ぶ。
何度も言うが陣は至って普通のサラリーマンだ。今は「元」が付くが。
普通の(元)サラリーマンは剣を突き付けられる状況なんて想定も対応もできない。
「待て!俺は追ってきたんじゃない!ここで寝てただけだ!」
咄嗟に口から出たのは、交渉でも駆け引きでもない、ただの本音の絶叫だった。
だが、それがよかった。取り繕った言い訳より、腰の引けた本音の方がよほど信用に足る。
「教会の手の者ではないのか…?」
教会と聞いてもキリスト教くらいしか思いつかない。だが、突き付けられた剣先がわずかに揺れたのを陣は見逃さなかった。
——迷っている。この男は、斬りたくて斬ろうとしている訳じゃない。
学会で質問者の顔色ばかり読んでいた経験が、まさかこんなところで役に立った。
畳み掛けるようにブンブンと頷いて見せる。
「驚かせてすまなかった、私はランスロット・ガラハッドだ」
そう言い深々と頭を下げた男を改めて観察する。
髪は赤毛で身長は陣と変わらないが、身体は引き締まっておりかなり鍛え上げられていそうだ。
そしてその身体を包む鎧…ゲームや映画で目にする西洋の甲冑に似ているが、素材は金属とは違うようだった。
「いえ、こちらこそ失礼しました。えーと、相沢 陣といいます。」
「アイザワ ジン?変わった名前だな。ずいぶん軽装だが旅の者か?」
男の視線を感じ改めて自分の身なりを確認する。
汗と土草にまみれたグレーのスウェットに自作の草履…旅の者というより浮浪者に近い。
いい歳したオッサンがこんな身なりで更に迷子だなんて恥ずかしくてしょうがない。
「…旅みたいなものですね。えっと、その映画の撮影ですか?」
我ながら馬鹿な質問だと思う。漫画やアニメの主人公であるならばこんな状況でも即座に対応してみせるのだろうが、陣は一般人でさらに言えばアラサーオッサンなのだ。
「サツエイ?何の事かわからんが、我らは訳あって逃亡中だ。このことは他言せぬよう頼みたい。」
「ですよね…ドッキリって訳でも無さそうだし」
ドッキリという単語に首を傾げるランスロットを尻目に陣は様々な可能性を考える…が、ここまで来るアラサーオッサンと言えどもさすがに認めざるを得ない。
「おいおい…異世界転移ってロマンありすぎるだろ…」
陣がお得意のロマンに浸っている側で、なんとも不思議そうな顔をしているランスロットの背後から人影が現れた。
人影の正体は少女だった。海外の女優を思わせるような美しい金髪に白い肌、しかしその顔は外国人というよりも日本人と外国人のハーフのような柔らかい印象を与える美少女だった。
そしてその身に纏うのは少女の美しさに負けないドレスだ。桜を思わせる淡いピンク色のドレスは分かりやすい宝石など煌びやかな装飾があるわけでもないが、優雅な刺繍が細部にまで施されており、一目見て美しいと感じるものがあった。
「(………ん?)」
初対面のはずなのに、なぜか懐かしさを感じる顔立ちだった。疲れているのかもしれない。
「ランスロット?大丈夫ですか?」
夏の涼風になびく風鈴の音のような心地良い声だった。
「姫、ご心配感謝します。ただの旅の者のようです。」
「そうでしたか、マリア・ミラリスと申します。お休みのところ失礼いたしました。」
「…あ!いえ、こちらこそ失礼しました。」
人生初ともいえる美少女との対面に見とれていた陣だが、意識を切り替え改めて目の前の二人を観察する。
「(どう見てもお姫様と護衛の騎士って感じだな)」
二人はどこからどう見ても中世のお姫様とそれを守る騎士だった。
「(そんな二人が訳あって逃亡中ねぇ…こっちはただでさえ初めての異世界転移で困ってるんだ。これ以上の厄介事はごめんだな)」
「ジン様と仰いましたね?旅の途中なのですね。いろいろ道中のお話を聞かせて頂けませんか?お仕事は何を?」
「姫、また悪い癖です。」
「いいじゃありませんか、ずっと気を張っていてはこれから持ちませんわ」
やれやれ、という表情をするランスロット。一刻も早く二人と別れたい陣の思惑とは裏腹に、マリアからは好奇心に溢れた視線を向けられてしまう。
矢継ぎ早に質問されたものの異世界で絶賛迷子中の陣に語れる話などあるわけもない。
「今は無しょ…ではなくフリーランス(無職)をやってまして」
「何!フリーランス!?」
しょうがなく職業を…と考え、とっさに無職をフリーランスと言い換えてみたのだが、ランスロットが思わぬ食いつきを見せる。
「あら…これはミラ様の思し召しかもしれませんね。」
「えぇ、まさかこんなところでフリーランス(傭兵)を見つけられるとは、確かにミラ様のご加護かもしれません」
「え?ちょっと何の話を」
「ジン殿、急な話で申し訳ないが我らに雇われて欲しい。これは前金だが後で倍払わせてもらう」
そう言うランスロットからずっしりとした皮袋を手渡されてしまう。
駅で配られているポケットティッシュをついつい受け取ってしまうように、不意に目の前に出されたためとっさに受け取ってしまったのだ。
二人からすると契約成立と思われているとも知らずに。
「貴殿のご活躍を心よりお祈りいたしますわ」
マリアの微笑みと共に馴染み深いセリフがこの世界でも陣に突き刺さるのだった。




