第25話:奪還
祭りの最終日前夜、大聖堂は眠りが浅かった。
「——シフトは頭に入ったな?」
「しふと…?」
「見張りの交代の時間割のことだ。悪い、前の仕事の癖でな」
深夜二の鐘。仕立屋の屋根裏で、最後の打ち合わせが行われていた。
「カーシャの手引きで俺とランスロットが西翼へ。姫さんの部屋の見張りは四人、交代は三の鐘。その隙に扉を開ける」
「合図と同時に、私が厨房の煙突に細工を。火事騒ぎで警備の目を東に集めます」
「派手にやりすぎるなよ?本物の火事になったら洒落にならん」
「まぁ。密偵歴八年、加減は存じております」
「……ジン殿。ひとつだけ聞いておきたい」
ランスロットが、剣の柄糸を巻き直しながら言った。
「昨夜の「確認」とやらの首尾は、聞かんでいいのだな」
「————あぁ」
陣は、一拍だけ黙った。
「全部終わったら話す。多分…長い話になる」
「承知した。ならば、行こう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三の鐘が鳴る。
東の空にカーシャの「加減された」煙が上がり、警備兵たちが駆け出していく。
「今だ」
西翼三階。見張りの減った廊下を、二つの影が走る。
角を曲がれば、姫の部屋——
その扉の前に、ゆらり、と火が灯った。
「——夜分にどうも」
白い法衣。緋色の裏地。指先の火。
「読みやすくて助かるよ、あんたたちは。煙が上がった瞬間、賭けに勝ったと思ったね」
「異端審問官…!」
「ランスロット、ここは」
「あぁ——私の獲物だ」
ランスロットが前に出た。抜刀と同時に、詠唱が走る。
『ミラリスの権限に基づき命ずる エクソス!!』
「ほう、それが噂の鬼神の脚か!」
疾風と火線が、廊下で交錯した。
「ジン殿は先へ!!」
「借りは返せよ!!」
陣は二人の脇を駆け抜け、姫の部屋の扉に体当たりした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
——その部屋の中で。
マリアは、ちょうど三人目の見張りを気絶させたところだった。
「……ふぅ」
手にしているのは、燭台。
足元には、白目を剥いた法衣が三人分、行儀よく転がっている。
牢での三日間、マリアはただ待っていたわけではなかった。
見張りの巡回、燭台の重さ、扉の蝶番の緩み。ダンジョンで学んだのだ——「助けは、待つものではなく、迎えに行くもの」だと。
四人目の見張りが、腰の剣を抜こうとした、その時。
扉が轟音と共に弾け、誰かが転がり込んできた。
「姫さん無事か——って、うおっ!?」
「あら、ジン様」
転がり込んだ陣が見たものは、燭台を八双に構えた姫と、床に伸びた法衣三人分だった。
「…………えーと。助けに来たんだが?」
「まぁ!ちょうどよかったですわ。四人目をどうしようかと思っておりましたの」
四人目の見張りは、姫と闖入者を交互に見て、そっと剣から手を離した。賢明な判断だった。
「(うちの姫さん、強くなりすぎでは?)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——さぁて、と」
廊下に出た二人の前に、しかし新手が立ち塞がった。
黒いコート。クルクル回る新品のステッキ。そして頭上には、真新しい——白いシルクハット。
つばに黒い帯を巻いた、嫌味なほど上品な純白の帽子だった。
「フォーフォッフォ……逃がしませんぞ、マリアよ。それに貧民」
「ニードハット卿…!」
「(また出たなこの俗物…ん?待てよ、あの帽子)」
陣の目が、白いシルクハットに吸い寄せられた。
「……おい、それ。今度はボ○サリーノか?」
「————ッッ!!」
ニードハット卿が、雷に打たれたように硬直した。
「ぼ、ボルサ…?無知め!!無知の極みめ!!これは大聖堂御用達、帽子工房の至宝——名匠ボルサリンガムの逸品だ!!」
「ボルサリンガム卿の白は百年に一つ!ワタクシはこの日のために三つの伯爵家と競り合い…!」
「あー、はいはい。で、それ、燃えやすいのか?」
「————」
ニードハット卿の顔から、血の気が引いた。
前回、ルブタリンの帽子とコートがどうなったかを、その身体は覚えていたのである。
「こ、こ、この…!野蛮人がァ!!ゴーレムよ!帽子に近寄らせるな!!」
「姫さん、右の三体頼めるか!」
「お任せあれ!『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』!」
水の刃がゴーレムを薙ぎ、陣の水流が卿の足元を掬う。
「うわわわっ!ぬ、濡れる!ボルサリンガムが濡れてしまう!!」
卿は戦闘そっちのけで帽子を庇い、あえなく廊下の隅で滑って転んだ。
拾い上げた白い帽子を、陣はぽん、と埃を払って——被った。
「な…!き、貴様、それはワタクシの…!」
「借りとくわ。人質ならぬ帽子質だ。追ってきたら——燃やす」
「もや…!?」
「行くぞ姫さん!」
「ふふっ、お似合いですわ、ジン様!」
「燃やすな!燃やすなよ!!ルブタリンの二の舞だけは!!頼む!!」
悲痛な叫びを背に、二人は廊下を駆け抜けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
合流地点の中庭では、決着がついていた。
壁を焦がす焼け跡と、床に走る無数の斬線。その真ん中で、ランスロットが剣を杖に膝をつき——その向こうで、ファイロが壁にもたれて座り込んでいた。
「ランスロット!」
「姫…!ご無事で…!」
「勝負ありか。追うか?」
陣が水を纏わせた手を向けると、ファイロは肩をすくめた。法衣は裂け、自慢の指先は震えて火も出せない。
「……やめておこう。あんたの水と、この鬼神の剣。両方相手はさすがに割に合わん」
「それにな、杖なし。ひとつ、貸しにしておきたい気分なんだ」
「あ?」
「昨日の晩、祭具室に入っただろう」
陣の心臓が、跳ねた。
「報告はまだしていない。……壊れた石版が光るところを見た警備兵は、腰を抜かして俺のところに来た。「異端だ」と騒ぐそいつを、黙らせたのは俺だ」
「————なんで、そんなことを」
ファイロは、焦げた前髪をかき上げて、嗤った。
「言ったろう。分からんものは検分する主義だが——俺は猊下と違って、分からんものが好きなんだよ」
「杖なしで二つの水を操り、壊れた御神体を目覚めさせる男。あんた、いったい何なんだ?」
「……さてな。俺にも、分からなくなってきたとこだ」
「はは。いい答えだ」
遠くで警備の増援の声がする。三人は屋根伝いに、祭りの残り火が揺れる街へと消えた。
壁にもたれたまま、ファイロはそれを見送り、独り言ちた。
「……管理者の覚醒、ね」
指先に、小さな火が、ようやく一つ灯った。




