第24話:管理者本人
「——落ち着け。落ち着けランスロット。座れ。飯を食え」
「これが落ち着いていられるか!姫が!姫が敵の手に!」
日暮れの仕立屋。テーブルを挟んで、若い騎士は三度目の「今すぐ殴り込む」を却下されたところだった。
「殴り込んでどうする。大聖堂の警備は祭りで三倍増しだぞ。お前が縦に真っ二つにされたら、姫さんは誰が迎えに行くんだ」
「ぐ……」
「幸い、あちらは姫様を丁重に扱っています」
戻ってきたカーシャが、外套を脱ぎながら言った。
「西翼の三階、賓客用の「窓のない間」です。見張りは常時四人。手荒なことをされた様子はありません」
「当然だ。連中にとって姫さんは調べもの…「検分」の対象だからな。壊れ物扱いのはずだ」
「なぜ、そう言い切れる」
「グロリオの言葉を思い出せ。あの爺さんの目的は「千年で初めて資格を失った姫に何が起きたか」の解明だ。……つまりあいつらは、答えを知らない」
陣は、カーシャが淹れたまま冷めてしまった茶を一口飲んだ。
この人が茶を淹れて放置するくらいには、事態は動いている。
「答えを知ってるのは、この世界で俺だけだ。……なぁカーシャ、大聖堂の見取り図はあるか?それと、昼間の警備配置も」
「ございます。……何をなさるおつもりで?」
「明日の晩、姫さんを取り返す。ただその前に——どうしても確かめたいことが一つある」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃。大聖堂、西翼の「窓のない間」。
「——お加減はいかがかな、姫」
燭台の灯りの下、グロリオは椅子を勧められもせずに座った。
マリアは寝台の端に、背筋を伸ばして座っている。怯えは、もう顔に出さないと決めていた。
「結構ですわ。囚われの身にしては」
「囚われとは人聞きの悪い。保護です」
「では保護されている身として伺いますわ。大司教様。あなたは——何をご存知ですの」
グロリオの眉が、わずかに動いた。
「わたくし、巫女を十年務めましたのよ。天啓の儀のたび、あなたが石版の文字を書き写させていたことも、古い書庫に「読んではならない書」があることも、存じておりますわ」
「あなたは、ミラ様が何なのか、ご存知なのでしょう?」
しばらくの沈黙ののち、老人は静かに笑った。
「……惜しい御方だ。あなたが資格を失わなければ、いずれ私の後を継げたでしょうに」
「ミラ様が何か、私は知りません。ですが何でないかなら、いくつか知っています」
「ミラ様は、祈りに応えません。ミラ様は、雨を降らせません。天啓は願いに関係なく流れ、災いは信心に関係なく起きる。——千年分の記録が、そう言っています」
「それを、民に隠して」
「隠す?」
グロリオは初めて、声に熱を入れた。
「姫。明日、広場の民に告げてごらんなさい。「天啓はただの独り言で、ミラ様は誰の祈りも聞いていない」と。……何人が絶望で膝を折るか。何人が畑を捨てるか。何人が、隣人を疑い始めるか」
「信仰は嘘だが、信仰が支えている生活は本物です。私は嘘の番人だ。誇りを持ってやっている」
「————」
「あなたの資格に何が起きたのか。「簒奪者」とは何なのか。それを検分し、必要なら排除して、また元の千年に戻す。それが私の仕事です」
「……あの方は、簒奪者などではありませんわ」
「ほう?」
「あの方は——」
マリアは、まっすぐに老人を見た。
「わたくしの資格を持って行った代わりに、自由を置いていってくださった方ですわ」
グロリオは何も答えず、席を立った。
扉が閉まる寸前、独り言のような声がした。
「……検分の儀は、明後日。祭りの最終日だ。それまでに、迎えが来るといいですな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深夜。大聖堂の裏手。
「いいか、俺の役目は下見と「確認」だ。今夜は姫さんには手を出さない。見つかる前に戻る」
「……くれぐれも、頼む」
ランスロットとカーシャを闇に残し、陣は単身、昼間に下調べした排水路から大聖堂へ潜り込んだ。
『みぎ。つぎのかどを、ひだり』
「(お前がいると屋内戦は無敵だな…探知能力さまさまだ)」
ウィキの誘導で見張りを躱し、灰色の本体へ。
目指すのは、モノリスの間——ではない。その裏手の、小さな祭具室だ。
昼間の参拝で、陣は見つけていた。祭具室の奥、布を被せられた「壊れた石版」を。
モノリスと同じ黒い材質の、人の背丈ほどの板。ひび割れて、打ち捨てられて、それでも。
「(各地にあったコンソールの一つ…の、残骸。モノリス本体はさすがに警備が固すぎる。だがこいつなら)」
「(——ウィキ。こいつ、まだ生きてるか?)」
『…………ちょっとだけ。ねてるけど、しんでない』
「(起こせるか)」
『ジンさまが、さわれば』
陣は、ひび割れた黒い表面に手のひらを当てた。
一拍。
ひびの間から、弱々しい光が滲んだ。
掠れた文字が、瀕死の呼吸のように、明滅しながら浮かび上がる。
『……認証……』
『管理者本人ト確認』
「(……あぁ、そうかい。俺が「本人」ね。もう驚かねーぞ、それは)」
確かめたいのは、その先だ。
陣は昼間から組み立てていた質問を、指先に込めるように念じる。
「(俺の権限は、元はマリアにあった。あの子と俺の「適合」の関係を表示できるか)」
文字が、切り替わった。
『照会……血縁認証記録』
『現管理者: 本人』
『前権限保持者: マリア・ミラリス』
『両者ノ関係——』
明滅。ノイズ。ひびの走った画面が、一度暗転して。
それでも、その一行は表示された。
『同系統血縁ヲ検出: 直系子孫(世代数: 推定三十四)』
「(————は?)」
読み間違いかと思った。三度、読んだ。
直系。子孫。
マリアが。俺の。
「(いやいやいや待て待て待て。俺に子供はいない。いないんだ。彼女いない歴も更新中で——)」
「(————いや)」
「(………本当に、いないのか?)」
思考が、ひと月半前の夜に飛ぶ。
連絡先を消せなかった、あの名前に飛ぶ。
別れ際の真理の、妙に長い沈黙。
「言いたいことがある」と言いかけて、「……やっぱりいい」と首を振った、あの横顔——
「(……真理。お前、まさか)」
心臓が、痛いくらいに鳴っていた。
その時。瀕死の画面が、最後の力で明滅した。
表示が勝手に切り替わる。定期報告の末尾、送信記録のような一行。
『報告先: MIRA』
四つの文字。ただの、四つの文字。
M。I。R。A。
「(……みら。ミラ。——まり、とも読めるよな。並べ替えれば)」
「(おいおい。おいおいおい。待てよ。そんな、まさか、そんな都合のいい話が——)」
『ジンさま!』
ウィキの鋭い声。廊下に足音。
陣は石版から手を離した。光が消える。
闇の中、荒い呼吸を三つ数えて、無理やり頭を切り替えた。
「(——考えるのは後だ。全部、後だ)」
「(まず姫さんを取り返す。俺の…………俺の、家族かもしれない子を)」
その言葉の重さに、自分で驚いた。
祭具室の小窓から、二つの月が見えた。
千年前から変わらず並んでいるはずのそれが、今夜はなぜか、ひどく近くに感じられた。




