第23話:降臨祭
降臨祭の朝は、鐘の音で始まった。
七つの鐘楼が順に鳴り、聖歌隊の声が街に満ち、大通りは白い肩掛けの波で埋まっていく。
聖都サロマ、年に一度の晴れの日である。
「——手筈のおさらいです」
仕立屋の奥の間。カーシャが街の図面を指でなぞる。
「陛下の行列は正午に大聖堂へ。慣例では、御拝の後に東の回廊を渡られ、バルコニーから民に手をお振りになります」
「その東回廊の手前、控えの間に至る渡り廊下——ここの警備が、今朝の配置替えで手薄になりました」
「手薄に「なった」ねぇ」
陣は図面に腕を組んだ。
「うますぎないか?そこだけぽっかり穴が空くなんてよ」
「……えぇ。私も同じことを思います。ですが、陛下のお姿を間近で拝せる機会は、ここしかないのも事実」
「罠なら罠で構いませんわ」
きっぱりと言ったのはマリアだった。今日のマリアは巡礼服の下に、あの桜色のドレスを着込んでいる。
「わたくしが行かなければ、何も始まりませんもの。それに——罠を張るということは、あちらはわたくしを「来る」と信じている。なら、お父様も本当にいらっしゃるということですわ」
「(……言うようになったなぁ、姫さんも)」
「ジン殿と私が両脇を固める。カーシャ殿は退路を」
「はい。……皆様、どうかご無事で」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正午。大聖堂の鐘が、ひときわ高く鳴った。
王の行列が広場を渡っていく。歓声。花弁。振られる小旗。
その喧騒の裏側で、三人は使用人用の通用口から、するりと大聖堂の裏手に入り込んだ。
「(警備、本当に薄いな…むしろ薄すぎて背中がかゆい)」
渡り廊下は、静かだった。
祭りの喧騒が嘘のように遠い。磨かれた床に、高窓の光が落ちている。
そして——その光の中に、一人の男が立っていた。
歳は五十ほど。白と金の礼服。歩き疲れたような猫背に、深い皺。
けれどマリアは、その姿を見た瞬間に立ち竦んだ。
「————お、とう…さま…」
ミラリス王。この国の頂点に立つ男は、娘の声に振り返り——泣き笑いのような顔をした。
「…………マリア。……いい顔を、するようになったな」
「お父様……!わたくし、わたくし……!」
駆け出したマリアが、父の胸に飛び込む。
王は細い身体を抱き止め、白くなった髭を娘の栗色に染めた髪に埋めた。
「無事で、いてくれた。それだけでよい。それだけで……」
「お父様、わたくし、お話ししたいことが、たくさん…!資格のことも、これからのことも…!」
「あぁ、あぁ。聞こう。全部聞こう。だがな、マリア。その前に——」
王は娘の肩を掴んだまま、顔を上げた。
その目は、陣とランスロットを——いや、その背後を見ていた。
「————すまぬ」
「え…?」
渡り廊下の両端で、扉という扉が、一斉に開いた。
雪崩れ込んでくる白い法衣。黒いローブのゴーレム。瞬く間に、前も後ろも塞がれる。
「(やっぱり罠か…!だが読めてたはずだ、退路は——)」
退路のはずの中庭側の窓の外に、ゆらりと火が灯った。
「やぁ。二度目まして、だな」
窓枠に腰掛けて、異端審問官ファイロが手を振っていた。
「言ったろう?隠れる者には二種類いる、と。……あんたらは三種類目だ。分かってて罠に入る馬鹿、いや——勇者、か」
「陛下!これはどういうことです!!」
ランスロットの叫びに、王は目を伏せた。
「……教会に知られておったのだ。わしが娘と接触を図ること。止められなかった。せめてこの場に、わしが立ち会うことしか」
「そういうことです、ガラハッド卿」
法衣の波が割れ、大司教グロリオが進み出た。
「陛下は聡明であらせられる。王権は民を治め、聖権は天意を預かる。千年、そういう約束でこの国は回ってきた。——姫の身柄は、天意の側の管轄です」
「グロリオ卿!娘は、娘はもう適合者ではない!教会が拘束する理由が…!」
「ございます」
グロリオの声は、事務的ですらあった。
「千年で初めて聖寵を失った御方。その御身に何が起きたのか、検分せねばなりません。それに——」
視線が、陣に向いた。
「「簒奪者」の確保にも、姫は良い餌でしたのでな」
「(……この爺さん、俺の顔をまるで疑ってない。最初から全部割れてたか)」
「ジン殿…!」
ランスロットの手が剣にかかる。陣はそれを目で制した。
「(数が多すぎる。ここで暴れたら姫さんも王様も巻き込む。それに——)」
「(俺が暴れる姿こそ、連中の欲しい「異形の証拠」だ)」
「大人しくしてりゃいいんだな?」
陣は両手を上げてみせた。
「賢明だ」とグロリオが頷く。
——その時。
「お待ちになって!!」
マリアが父の腕を振りほどき、陣たちの前に両手を広げて立った。
「この方々はわたくしの恩人です!連れて行くなら、わたくしだけになさい!」
「姫様、それは聞けない相談です」
ファイロが窓から降り立ち、パチンと指を鳴らした。
法衣の間から、ゴーレムたちが一斉に動く。狙いは陣とランスロット。
「くっ…!」
「ランスロット!姫さん頼んだ、俺に構うな!」
乱戦になった。
正確には、乱戦に見せかけた。ランスロットの剣が最小限の動きでゴーレムを裂き、陣の水流が床を薙いで包囲に穴を開ける。
「東の窓だ!跳べ!」
「姫を置いてはいけない!!」
「置いてくんじゃない!生きて取り返すんだ!捕まったら終わりだぞ!」
歯を食いしばるランスロットの襟首を掴み、陣は窓から中庭へ転がり出た。
背後で、炎の壁が窓を塞ぐ。
最後に見えたのは——白い法衣に囲まれながら、こちらに向かって精一杯の笑顔を作る、マリアの顔だった。
大丈夫、と。その唇が、確かにそう動いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「追いますか」
炎の向こうを眺めながら、ファイロが問う。
「捨て置け。杖なしは必ず姫を取りに来る。……骨のある男だ、また会えるさ」
グロリオは踵を返した。
「姫を丁重に「奥の間」へ。それと——ニードハット卿に伝えろ。取り決めはまだ先だ。今は指一本触れさせるな」
祭りの歓声は、何も知らずに続いている。
バルコニーに立った王が、震える手で民に応えるのを、聖都中が笑顔で見上げていた。




