第22話:嘘の値段
その報せは、祭りの二日前に届いた。
「——教会が、新しい布告を出しました」
仕立屋の奥の間。偵察から戻ったカーシャの顔から、いつもの茶目っ気が消えていた。
茶器に手も伸ばさない。この人がお茶を淹れないのは、面白い話ではないという合図だ。
「読み上げます。『去ル四十八日前、簒奪者現ル。姫ノ聖寵ヲ奪イシ者、杖ヲ持タザル異形ナリ。民ヨ、決シテ近寄ルベカラズ』……姫様の資格の件を、教会が初めて公にしました」
「簒奪者…わたくしの資格を、奪った…?」
「祭りを前に、杖なしの男を完全に孤立させる腹でしょう。ですが、妙なのです。四十八日前という日付……教会は何かを掴んでいる」
「四十八日前といえば、姫が資格を失われた日だが…それが杖なしの、何の関係が…」
ランスロットが呟き——ふと、口を噤んだ。
奥の間が、静かになった。
「…………ジン殿」
「(——来た)」
ランスロットの目は、峠の焚き火の夜と同じ目をしていた。
いや。あの夜より、ずっと静かで、ずっと重かった。
「貴公は、いつからこのホーカイ大陸にいる」
「ランスロット?急に何を…」
「あの夜、貴公は「7日ほど前」と答えた。姫が資格を失われたのは、その5日前。……ならば、無関係のはずだ」
「だが教会は「四十八日前に簒奪者が現れた」と言う。四十八日前——姫が資格を失われた、まさにその日にだ」
「ジン殿。もう一度だけ聞く」
剣の柄に、手は掛かっていなかった。
その代わり、声が震えていた。
「貴公がこの大陸に来たのは、いつだ」
陣は、目を閉じた。
嘘は細部を盛りすぎないに限る。ごまかす手管なら、いくらでも覚えてきた。
四十八日と嘘の7日を繋ぐ言い訳を、頭は勝手に三つほど組み立てている。
「(————もう、いいか)」
だが、口をついて出たのは、言い訳ではなかった。
「————四十八日前だ」
「姫さんが資格を失った、その日。俺はこの世界に来た」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
沈黙は、長かった。
「…話せ。全部だ」
陣は、話した。
遠い東の果ての国で、眠っていたら突然この大陸に落ちてきたこと。
夢の中に現れた「球体」に、力を与えられたこと。
その力が、適合者の権限そのものであったこと。
姫の資格を奪ったのは——おそらく、自分の転移であること。
コアモンスターと、モンスター増殖と、世界を救えという、途方もない頼まれ事のこと。
ダンジョンに潜った本当の理由のこと。
「…だから、あの熊を倒した後、貴公は言ったのか。「あと2匹」と」
「あぁ。聞こえてたか」
「峠で聞いた時、なぜ正直に言わなかった」
「言えるかよ」
陣は、乾いた笑いを漏らした。
「「あんたの姫さんの人生を狂わせたのは俺です」って?出会って二日の、剣を持った男にか?」
「————」
「殺されても文句は言えねぇと思った。だから黙った。そのあとは……言い出す勇気が、なかった。旅が、居心地よくてな」
「それだけだ。すまなかった」
頭を下げた陣に、ランスロットは何も言わなかった。
代わりに、ゆらりと立ち上がる。
「ランスロット!」
マリアの制止より、拳の方が早かった。
——ごっ、という鈍い音。
陣の視界に星が散り、床に尻餅をつく。
「痛っ……てぇ……」
「————それは、姫を欺いた分だ」
ランスロットは拳を下ろし、大きく息を吐いた。
「次に隠し事をしたら、次は剣だ。……いいな」
「…おう。肝に銘じる」
「ちょ、ちょっと、殿方たち!?解決した顔をしないでくださいまし!ジン様、お顔が!腫れて!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——それで、あの、ジン様」
冷やした布を陣の頬に当てながら、マリアはずっと俯いていた。
「姫さんも、殴るか?利き手じゃない方の頬なら空いてるぞ」
「殴りませんわ!!」
マリアは、布を持ったまま、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。
「……わたくしの資格は、あなたのせいで消えたのですね」
「…あぁ。多分、そうなる」
「そう、ですの」
「恨んでくれていい。あんたは巫女の座を追われて、家を追われて、命まで狙われた。全部、俺が落ちてきたせいだ」
「————ふふ」
小さな笑い声に、陣は顔を上げた。
マリアは、笑っていた。泣きそうな顔で、でも確かに、笑っていた。
「ジン様。わたくし、あなたに感謝していますのよ」
「…は?」
「適合者だったわたくしは、朝の祈りの時間も、口にする言葉も、嫁ぐお相手も、ぜんぶ決められておりましたの。文句を言ってはいけないと思っておりました。ミラ様に選ばれるとは、そういうことだと」
「あなたが来て、ぜんぶ、なくなって」
「怖かった。悲しかった。でも——今のわたくしは、自分の足でダンジョンを歩いて、自分の口で行き先を決めて、その…す、好きな人の隣を、自分で選んで歩いていますのよ」
「これを自由と呼ばずに、何と呼びますの?」
だから、とマリアは陣の目をまっすぐに見た。
「わたくしの自由は、あなたが運んできてくださったのです。……ありがとう、ジン様」
「————」
参った、と思った。
十五の少女に、四十八日分の罪悪感を、まるごと祝福に変えられてしまった。
「……あー…くそ。オッサンを泣かせるなよ、姫さんや」
「あら。泣いていいんですのよ?」
「泣かねー。……ありがとうな」
部屋の隅で、ランスロットが憮然と呟いた。
「……す、好きな人の隣、とは、どこの誰のことでしょうな。姫」
「!!し、知りませんわ!!言葉の綾ですわ!!」
「(真っ赤になるくらいなら言うなよ…)」
『よかったね、ジンさま』
「(……あぁ。よかった)」
こうして、陣の一番古い嘘は精算された。
——もっとも。
一番大きな秘密だけは、まだ胸の奥に沈んでいる。
石版の示した「稼働千年」の数字。地下の駅。日本語の案内板。カタカナの成れの果てめいた、この街の文字。
それらの指す先にある「ここは千年後の日本かもしれない」という仮説は——確信も裏付けも足りず、言ったところで、誰にも通じない。
「(こいつはまだ、俺だけの宿題だ)」
窓の外、大聖堂の尖塔の向こうに、二つの月が並んでいた。
祭りまで、あと二日。




