第20話:御神体
「参拝、ですか」
「あぁ。敵の本丸を一度この目で見ておきたい。祭りの当日にぶっつけ本番は怖いからな」
翌日。カーシャの手引きで、陣は大聖堂の一般参拝に紛れ込んだ。
同行はカーシャのみ。さすがに姫と騎士を本丸に入れる度胸はない。
「大祭前のこの時期だけ、モノリスの間が遠くから拝観できるのです。普段は高位の神官様しか入れません」
「へぇ。ありがたいこって」
白い肩掛けの巡礼たちに混ざり、長い回廊を進む。
外側の装飾は絢爛だった。だが奥へ進むほど、壁は例の灰色に、通路は四角く、飾り気がなくなっていく。
「(外側は千年物の大聖堂。中身は…どんどん「庁舎」になっていくな)」
陣の足が、ふと止まった。
回廊の壁に、古い浮き彫りが飾られている。聖人たちの列像——の、下。
台座に、掠れた文字が刻まれていた。
『総合受付 ←』
「(…………受付)」
「お客人?どうなさいました」
「いや…なんでも」
その先の広間には『神々の待合の間』と呼ばれる一角があった。長椅子が整然と並び、巡礼たちが祈りながら順番を待っている。
壁には数字を刻んだ札を掛ける金具が、ずらりと並んでいた。
「あれは、順番の聖札です。ミラ様の御前に出る順を、あの札で賜るのです」
「(整理券だ…整理券の発券機の成れの果てだ…)」
「(葬式で笑いを堪える時の顔になってる自信があるぞ、俺は今)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、モノリスの間に着いた。
そこは大聖堂の最深部——つまり、灰色の本体の中心だった。
吹き抜けの広間の奥、一段高い祭壇の上に、それは立っていた。
黒い、巨大な板。
高さは人の背の三倍ほど。表面は磨かれた黒曜石のようで、飾りの一つもない。
ただ、その前に立つ白髪の老司祭が恭しく香を焚き、巡礼たちが床に額づいている。
「あれが御神体——ミラ様の石版です」
「(————薄型の、バカでかい、ディスプレイだ)」
「(祭壇の位置、あの角度、下の台座…窓口のカウンターの上に据えられた案内板。役所のロビーの、あれだ)」
確信は、直後にやってきた。
石版の表面に、ふ、と光が走ったのだ。
『ォォォ…』と巡礼たちがどよめき、床に伏せる。老司祭が「天啓じゃ!心を鎮めよ!」と声を張る。
黒い板の上を、白い文字が流れていく。
誰にも読めない、神代の文字が。
——読めてしまう男、一人を除いて。
『定期報告 東部湖沼群ノ水位 基準値内』
『大気循環 正常』
『農耕支援ノ要請ヲ受理 第7管区』
「(……業務報告だ)」
「(がっつり業務報告が流れてるだけだ。天啓の正体、システムの定期レポートじゃねーか)」
笑いそうになって、しかし次の瞬間、陣の顔から表情が消えた。
流れる文字が、切り替わったのだ。
『特記事項』
『適合者権限ノ移動(再掲)』
『前権限者: マリア・ミラリス』
『現権限者: 管理者本人』
『移動日: 稼働372,850日目』
『現在: 稼働372,898日目』
「(かどう——37万日?)」
とっさに、頭の中で引き算が走る。
三十七万二千八百九十八、引く、三十七万二千八百五十。
——四十八。
四十八日前。
指を折るまでもない。マリアが資格を失った日。俺が、この世界に落ちてきた日だ。
それが。
世界で一番目立つ黒板に。
公式記録として、堂々と、掲示されている。
「(おいおいおいおい…壁新聞かよ。俺の秘密、思いっきり貼り出されてるじゃねーか)」
「(読める奴がいないのが唯一の救いだが…もし誰かが読めたら?もし教会が、断片的にでも解読してたら?)」
「(——「新たな適合者が現れた日」くらいは、あいつらも掴んでるんじゃないのか)」
背中を、冷たいものが伝った。
ランスロットに告げた「7日前」という嘘が、音を立てて軋み始めていた。
そして遅れて、もう一つの数字が頭の中で音を立てた。
「(——「稼働37万日」。割ることの365で……ざっと、千年ちょっと)」
「(千年。こいつは、千年動き続けてるのか)」
「(なら「神代」ってのは千年前のことで……あの地下の駅も、日本語の案内板も、千年前の——)」
そこから先は、頭が考えることを拒んだ。
「お客人。顔色が優れませんね」
「…荘厳すぎて、酔ったかな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、もう一つの異変は——頭の中で起きていた。
『…………』
「(ウィキ?さっきから静かだな)」
『ジンさま。ここ……』
ウィキの声は、囁くようだった。
『ここ、しってる。わたし、ここ、しってるの』
「(この大聖堂を、か?)」
『たてものじゃなくて……あの、くろい、いた』
『あのこの声、きこえるの。とぎれとぎれで、ちいさいけど……あのこ、ずっと、おはなししてるの』
「(——石版が、話してる?誰と?)」
『……おそらの、うえ』
ウィキの声が、ひどく遠くに聞こえた。
『おつきさまと、おはなし、してる』
「(————月、と)」
見上げた先、モノリスの黒い表面には、まだ文字が流れ続けている。
千年、誰にも読まれることのなかった報告書を、律儀に、途切れることなく。
「(お前は誰に報告してるんだ。……誰が、まだ聞いてるんだ?)」
黒い板は、答えなかった。
ただ祭壇の香の煙だけが、まっすぐに、天井へ——空へ向かって、のぼっていった。




