第19話:神都サロマ
神都サロマは、湖のほとりにあった。
「見えましたわ……あぁ、帰ってきてしまいましたのね」
なだらかな丘の上、巡礼の列の先に、白い街が広がっている。
その中心に聳えるのは、ひときわ巨大な建造物——大聖堂だ。
「(……なるほど、ね)」
大聖堂は、奇妙な建物だった。
中心にあるのは、飾り気のない四角い灰色の建物。見覚えのある、継ぎ目のない「神代の壁」の材質だ。
その四角い本体を包み込むように、後代の尖塔と回廊が増築され、白い外装で飾り立てられている。
「(真ん中のあの四角いの…役所とか、庁舎とか、そういう建物にしか見えないんだよな。それを千年かけてデコレーションした、と)」
「大聖堂の本殿は神代からある建物ですのよ。ミラ様が降臨なさった場所と言われていますわ」
「へぇ…降臨、ね」
門の検問は、拍子抜けするほどあっさり通れた。
祭りを前に人が多すぎるのだ。栗色の髪の「妹」と、農夫姿の「息子」と、ほうきの柄を杖と言い張る「父親」は、人波に紛れて聖都の敷居をまたいだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「すごい人だな…祭りまでまだ三日あるんだろ?」
大通りは巡礼と屋台と旅芸人でごった返していた。
聖歌が流れ、香が焚かれ、露店は聖印の焼き菓子を売っている。
陣はふと、店先の看板に目を留めた。
くねくねと連なる、この世界の文字。読めるはずがない。読めるはずがないのだが。
「(……なんだろうな。ところどころ、カタカナの出来損ないみたいな字が混ざってる気がするんだよな)」
「(あの字なんか「ン」に見えるし、あれは「リ」っぽい。気のせいか?いや…)」
「お客さん、うちの看板に何か?」
「あー、いや。字ってのは面白いなと思ってな」
「(発音は日本語臭い、文字はカタカナの親戚臭い…この世界、調べれば調べるほど「遠い親戚」みたいな顔しやがる)」
謎リストにまた一行増やしたところで、マリアが袖を引いた。
「ジン様、こちらですわ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マリアの案内で裏路地を抜け、辿り着いたのは大通りから外れた小さな仕立屋だった。
「ここは…?」
「わたくしの、信じられる人のところですわ」
扉の鈴が鳴る。奥から出てきたのは、二十代半ばの、そばかすの似合う女性だった。
その人は、栗色の髪の「巡礼の娘」を一目見て——抱きしめた。
「————姫様」
「カーシャ…!ただいま、戻りましたわ」
「えぇ、えぇ。お帰りなさいませ。ご無事で、ようございました…!」
カーシャと呼ばれた女性は目元を拭うと、素早く表の札を「休業」に返し、鎧戸を閉めた。
その手際は、仕立屋のものではなかった。
「彼女はカーシャ。王宮でわたくし付きの女官をしてくれていましたの」
「今は訳あって、街の仕立屋でございます」
「訳あって、ねぇ」
陣の視線に、カーシャはにっこりと笑った。
「陛下の御命により、姫様をお守りするのが私の本当のお役目です。……姫様が聖都を出られてからは、教会の動きを見張っておりました」
「(王様の密偵か。……つまり王様は、娘を見捨てちゃいなかったわけだ)」
「お父様の…?カーシャ、それはどういう…」
「陛下は表向き、姫様の捜索を教会に委ねる他ありませんでした。ですが裏では、私共に「姫の望むように」と。——逃げたいなら逃がせ、帰りたいなら守れ、と仰せです」
マリアの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「お父様……」
「で、そちらの殿方は?」
カーシャの目が、ランスロットと陣に向く。
「ガラハッド卿は存じております。姫様の騎士様。……もう一方の、ほうきをお持ちの方は?」
「ほうきじゃない、杖だ」
「相沢陣。旅の途中で二人に雇われた、しがない魔法使いですわ」
「まぁ。……まぁまぁまぁ」
カーシャは陣をしげしげと眺め、それから何かに気付いたように、マリアとランスロットを交互に見た。
正確には——二人の間の、微妙な距離を。
「…………姫様?」
「な、なんですの?」
「王宮を出られた時より、ガラハッド卿との椅子の間隔が、だいぶお近いようですけれど?」
「「!!」」
飛び跳ねる二人。みるみる赤くなる二人。あからさまに目を逸らす二人。
カーシャは口元を両手で覆い、それから——おもむろに立ち上がって、奥の棚から茶器を持ち出した。
慣れた手つきで湯を注ぎ、香りを立て、椅子を引いて、ゆっくりと腰を下ろす。
そして紅茶を一口含んでから、うっとりと目を細めて言った。
「……詳しく。詳しくお聞かせください。旅のお話を、それはもう詳しく」
「(——ほう?)」
陣は、この女官の目の輝きに見覚えがあった。
毎晩焚き火の向こうでリア充を観察してきた、自分と同じ目だ。
「(茶まで淹れて、腰を据えて聞く気か。……本物だな、この人)」
「橋から落ちかけた姫さんを、こいつが横抱きでキャッチしてな」
「ジン様!?」
「まぁ!!それでそれで!?」
「ジン殿!!余計なことを!!」
「そのまま下ろし忘れて十秒固まった」
「「まぁぁぁ!!」」
カーシャは紅茶を噴きかけ、優雅に飲み下してから、カップをそっと置いた。
「カーシャまで悲鳴を上げないでくださいまし!!」
赤面する二人を肴に、陣とカーシャはがっちりと握手を交わした。
「お客人、わかっていらっしゃる」
「そっちこそ、わかっていらっしゃる」
「「うんうん」」
「息がぴったりですわね…初対面ですのに…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ひとしきり観戦報告会(主にマリアの抗議で中断)が済んだ後、カーシャは表情を改めた。
「——本題です。姫様、なぜ聖都へ?ここは今、世界で一番危険な場所ですよ」
「お父様に会いに参りましたの。逃げたままでは、何も終わらないから」
「……そうおっしゃると思っておりました」
カーシャは声を落とした。
「なら、機会は一つです。三日後の降臨祭、陛下が大聖堂にお成りになります」
「大祭の陛下は慣例で民に姿をお見せになる。警備の隙も、人混みも、接触の機会もある。……ですが」
「ですが?」
「教会も、同じことを考えているはずです」
窓の外、大聖堂の尖塔が夕日に染まっていた。
その足元の灰色の本体は、飾られてなお、黙り込んだ役所のように無愛想だった。




