第17話:異端審問官
峠の関所が見えた時点で、嫌な予感はしていた。
「…列が動いてませんわね」
「検問だな。それも、かなり念入りの」
街道を見下ろす茂みから観察する。関所の前には旅人の列。
そして列の脇に——白い法衣が、ゆらりと立っていた。
法衣の裏地が、翻るたびに緋色に光る。
「(あれか。女将の言ってた「火のお方」…)」
男は退屈そうに、旅人の顔を一人ずつ検めていた。時折、指先に小さな火を灯しては消している。
癖なのだろう。だがその小さな火だけで、旅人たちが震え上がっているのが遠目にも分かった。
「迂回しましょう。西の獣道なら…」
ランスロットが言いかけた、その時だった。
法衣の男が、ぴたりと動きを止めた。
そして——真っ直ぐに、こちらの茂みを見た。
「(気付かれ…!?この距離でか!)」
「そこの茂み。出てくるといい」
声は穏やかですらあった。
「隠れる者には二種類いる。ただの臆病者と、疚しい者だ。……さて、どちらかな?」
「走れ!!」
ランスロットの判断は速かった。三人は茂みを飛び出し、街道と反対の斜面を駆け下りる。
背後で、ごう、と空気の焼ける音がした。
「アドロスの御名において命ずる——フレイムランス」
振り向いた視界の端で、炎の槍が唸りを上げて飛来した。
「散れ!」
三人の間を炎槍が貫き、後方の巨木に着弾する。爆ぜた火の粉が、雨のように降り注いだ。
「(詠唱が違う…!「我が権限」じゃなく「アドロスの御名」…?それにあの火力、マリアのウォーターカッターより数段上だ)」
「逃げ足は臆病者、隠れ方は手練れ。ちぐはぐな一行だ」
炎を纏った男が、斜面をゆっくりと歩いてくる。急いでいない。狩人の歩き方だった。
「異端審問官、ファイロという者だ。慌てなくていい、確認したいことは三つだけ」
「一つ。そこの頭巾のお嬢さん、顔を見せてもらおうか」
「二つ。そこの大剣の騎士殿、その袖に隠した紋章は何かな」
「三つ——」
男の目が、陣を捉えた。
「そこの風来坊。あんた、杖はどうした?」
「(バレてる!!全部バレてるぞこの野郎!!)」
「姫は俺が。ジン殿、道を!」
ランスロットが姫を背に庇い、陣が前に出る。もう隠しても仕方がない。
「『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』!」
水の刃が奔る。ファイロは避けなかった。
「フレイムウォール」
炎の壁が水刃を受け止め、じゅっと音を立てて相殺する。白い蒸気が二人の間に立ち込めた。
「——今のを見たかったんだ」
蒸気の向こうで、ファイロが嗤った。
「素手の詠唱。本物だ。おいおい、こいつは驚いた。本当にいたのか」
「(火力も反応も向こうが上…まともにやり合うのはまずい。——ウィキ!何か手はないか!)」
『がけ!みぎうえのがけに、おっきなひびがはいってる!いま、おくるね!』
脳内に閃きが飛び込んでくる。崖の岩盤、その一点を走る亀裂のイメージ。
「(——見えた。あそこか!)」
陣は手のひらを、ファイロではなく——頭上の崖に向けた。
「『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』!!」
放たれた水流が崖の岩盤を薙ぎ払う。
砕けた岩と土砂が、雪崩となって斜面を滑り落ちた。
「ほう」
ファイロは炎で岩を砕きながら後退する。土砂は谷を埋め、街道と斜面の間を分断した。
「今のうちだ、走れ!」
土煙に紛れて、三人は谷底の川へ滑り降りる。
追撃の炎は——来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
土煙の向こうを見送りながら、ファイロは指先の火を灯したり消したりしていた。
「戦わずに、地形で切る。姫の顔も紋章も、結局見せなかった。……いい判断だ。実にいい」
「フ、ファイロ様!追わなくてよろしいので!」
遅れて駆けつけた従士に、ファイロは肩をすくめてみせた。
「この谷を今から降りるのか?お前が?」
「い、いえ…」
「行き先は分かってる。連中は北へ向かう。姫の里帰りだ」
「それより早馬を出せ。大司教猊下にお伝えしろ——」
指先の火が、ぽっ、と灯る。
「探し物は二つとも見つけた。網はいらん、祭りの日に向こうから来る、とな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——くしゅん!」
「大丈夫ですの?ジン様」
「あぁ、誰かが噂してるだけだ…それより二人とも、怪我はないな」
川沿いの岩陰で息を整える。濡れた服が重い。
「しかし、ジン殿。よく咄嗟に崖を狙ったな」
「まともにやったら負けると思ってな。戦いってのは殴り合いだけじゃない、ってのはダンジョンで学んだろ」
「あの、ジン様。一つ気になったのですけれど」
マリアが濡れた頭巾を絞りながら、首を傾げた。
「あの審問官の詠唱……『アドロスの御名において』と唱えていましたわ。あれは聖職者だけに許された、特別な詠唱の形式ですの」
「アドロス?」
「はい。ミラ様にお仕えする、その…天の御国の名前、と教わりましたわ。神官さまでも、位の高い方しか使いません」
「(アドロス…また知らない単語が出てきたな。天の御国、ねぇ)」
「(——ウィキ、聞いたことあるか?)」
『……アドロス』
ウィキの声が、少しだけ揺れた。
『しってる。しってるはず、なの。でも……おもいだせない。ごめんなさい』
「(いや、いい。……お前の「思い出せない」は、当たりの合図みたいなもんだしな)」
謎のリストに、また一行増えた。
陣は濡れた靴を絞って、北へ続く川筋を見た。
「行こう。祭りに遅れちまう」




