第14話:圧力鍋
死んだ、と思った。
振り下ろされた前足を、陣は転がって躱した。二度目はない。それは分かった。
「(魔法なし、ウィキなし、短剣一本。詰みだ…いや待て)」
「(考えろ。考えるのが俺の仕事だろうが!)」
転がりながら、目だけは敵を見ていた。
そして、気付いた。
——傷が、塞がっていない。
さっきマリアが刻んだ脇腹の傷口が、開いたままだ。黒い粒子も、集まってこない。
「(そうか…!再生の材料はあの黒い粒子。で、ここは「すっからかん」の枯渇区画。つまりここじゃあいつも「治れない」!)」
「(——それだけじゃない。「まほうのもと」が無い場所じゃ、あの瘤の「病気」自体も、勢いが鈍るはずだ)」
現に、敵の動きはさっきよりわずかに重い。
だが、それでもなお巨体は巨体だ。素の膂力だけで、陣を挽き肉にするには十分すぎる。
「ジン殿!伏せろ!!」
風が唸った。
闇の中から跳び込んできたランスロットの剣が、濁った左目を横一文字に薙ぐ。
咆哮。巨体がのけぞる。
「立てるか!」
「助かった…!おいランスロット、こいつ、ここじゃ再生できてない!」
「なに?」
「だが物理じゃ削り切れん。図体はそのままだからな。……一度、境界の外まで下がるぞ。作戦がいる」
「作戦が、おありなのか」
「これから考える!」
「……ジン殿は、たまに実に頼もしいな!」
二人は挑発と回避を繰り返しながら、じりじりと境界線まで後退した。
巨体が追う。境界を越える。
その瞬間、傷口に黒い粒子が殺到し、左目の傷が見る間に塞がっていく。
そして陣の頭の中に、涙声が雪崩れ込んできた。
『ジンさまぁ!!もう!もう!しんじゃったかとおもった!!』
「(悪かった!で、泣いてるとこ悪いが作戦会議だ!)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「(あいつを倒す。条件を整理するぞ)」
マリアの水壁が時間を稼ぐ間、陣は境界線ぎりぎりに陣取って高速で考える。
「(一、再生の材料は黒い粒子。枯渇区画なら再生は止まるが、あそこじゃこっちの魔法も使えない)」
「(二、核は瘤の中心。ランスロットの剣なら届くが、斬っても塞がる)」
「(三、あの瘤の中心は…異常に熱い。陽炎が出るほどだ。ウィキ、あれはどのくらいの温度だ?)」
『んっとね、たぶん、300℃くらい!おねつがずっと出てるの。“びょうき”がいちばんひどいところだから』
「(300℃…!生き物の体温じゃねぇ…いや、待てよ)」
熱。水。密閉された瘤の内側。
「(————見えた)」
陣は、にやりと笑った。
「(ウィキ、確認だ。水が水蒸気になると、体積は何倍になる?)」
『1700ばい!』
即答だった。
「(よし。作戦名「圧力鍋」だ)」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——以上だ。頼めるか?」
「わたくしが、水を」
「あぁ。ランスロットが開けた裂け目に、第三階位の遠隔操作で水を押し込む。それもとびきり大量に、とびきり速くだ。姫さんにしか出来ない」
「刹那で瘤を割り、離脱する。私の役目はそれだけで良いのだな?」
「それが一番命懸けだけどな。開いた瞬間に姫さんの水が入る。息を合わせてくれ」
「ふふ…息ならいつも合っていますわ。ね、ランスロット?」
「ひ、姫…今は作戦中です…」
「(本番前にいちゃつくな)」
配置につく。囮はもちろん、言い出しっぺのオッサンである。
「おーいデカブツ!こっちだこっち!」
水弾を鼻先に当てると、濁った目がぎょろりとこちらを向いた。
突進。大地が揺れる。
「(頼むぞ、リア充ども…!)」
「今だランスロット!!」
『ミラリスの権限に基づき命ずる エクソス!!』
疾風が奔った。
神速の一閃が、瘤の中心を深々と斬り割る。裂け目から覗く、熱に濡れた黒い核。
「マリア!!」
「『我が権限に基づき命ずる——ウォーターカッター』!!」
だがそれは、刃ではなかった。
マリアの操る水は太い奔流となり、狙い過たず裂け目へ、瘤の内側へ、押し込むように叩き込まれた。
黒い粒子が集まり、裂け目が塞がる。
——水を、閉じ込めたまま。
「(300℃の核に、大量の水。逃げ場のない密室。そうなりゃ水は一気に沸いて——1700倍だ)」
一拍。
くぐもった音が、巨体の内側で鳴った。
次の瞬間、瘤が内側から膨れ上がり——爆ぜた。
轟音。白い蒸気が柱のように噴き上がり、黒い破片が礫となって飛び散る。
巨体はゆっくりと傾ぎ、大聖堂のような広間を揺らして、倒れた。
「……やった、のか?」
蒸気の晴れた先に、それは倒れていた。
瘤は跡形もなく弾け飛び、巨体の胴は半ば抉れている。さすがに、原型を留めてはいなかった。
その傷跡から、黒い粒子がすうっと立ち上っていく。今度は、集まらなかった。
霧のように散って、闇に溶けて、消えた。
——そして。
残った骸にも、まだ変化は続いていた。
身体のあちこちに食い込んでいた黒い塊が、ぼろぼろと崩れ、砂のようになって散っていく。
支えを失った骸はひと回り小さく萎み、後には傷だらけの、しかしただの熊が横たわっていた。
顔に張り付いていた瘤も剥がれ落ち、本来の面差しが覗いている。
固く閉じられた目は、どこか安らかにすら見えた。
「…元は、こんなにきれいな生き物でしたのね」
マリアが静かに歩み寄り、跪いて祈りを捧げる。
「病気が、治ったんだ。きっとな」
陣も、柄にもなく手を合わせた。
『ジンさま』
頭の中で、鈴を鳴らすような声がした。
『コアモンスター、3びきのうち——1びきめ、とまったよ』
『このちかの“びょうき”は、もうひろがらない。……ありがとう、ジンさま』
「(あぁ。……なぁ、ウィキ)」
『なぁに?』
「(あと2匹も、あんな風に苦しんでるのか)」
『…………うん』
「(そうか)」
陣は、眠る熊をもう一度だけ見た。
「(なら、急がないとな)」
遠く、ダンジョンの浅い層のほうで、モンスターたちの遠吠えが聞こえた気がした。
それはどこか、弔いの声のようにも聞こえた。




