第11話:枯渇区画
『きたよ、ジンさま』
ウィキの声と同時に、暗闇から「それ」は現れた。
大ネズミ——だったのだと思う。
だがその背中は瘤のように盛り上がり、ところどころ毛が抜け落ち、黒い塊が皮膚を突き破って覗いていた。
右の前足だけが異様に太く、引き摺るたびにガリガリと床を削っている。
「なんですの、あれ…」
「気を付けろ!来るぞ!」
それは咆哮とも悲鳴ともつかない声を上げ、突進してきた。
「『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』!」
水の刃が黒い塊ごと胴を両断する。それはしばらく痙攣して、動かなくなった。
「……今のも、モンスターなのか?」
「上層のものとはずいぶん違いますわね…」
恐る恐る近づいて観察する。膨れ上がった組織。骨の形を無視して伸びた足。半分だけ白く濁った目。
「(これは…増殖の暴走だ。まるで——病気だ。腫瘍か何かの)」
「ジン殿、見てくれ。骸が…」
ランスロットの声に振り返ると、大ネズミの骸から黒い粒子がすうっと立ち上り、霧のように散っていくところだった。
「(あの黒い粒子…ギガントゴーレムが生まれた時も、あんなのが集まってなかったか?)」
疑問は増えるばかりだが、足を止める訳にもいかない。
三人は最深層への道を進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「妙ですわ…」
先頭のマリアが立ち止まったのは、それから間もなくだった。
「どうした?」
「光苔が…この先、生えていませんの」
言われて気付く。ここまで青白く道を照らしていた光苔が、ある一線を境にぷっつりと途絶えていた。
その先は、墨を流したような本物の闇だ。
『ジンさま、このさきは“すっからかん”のばしょだよ』
「(すっからかん…あぁ、ウェンスの森でお前が言ってた「まほうのもと」が無いってやつか)」
『うん。それでね、あのね、このさきだと、わたしの声も——』
ウィキの声が、ぷつりと途切れた。
「(ウィキ?おい、ウィキ?)」
返事はない。一線を越えた途端、頭の中が静かになった。
「マリア、試しに一発、小さいのを撃ってみてくれ」
「えぇ。『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』」
——何も起きなかった。
「まぁ…!」
マリアが自分の手のひらを見つめて固まる。
「発動しません…わたくし、こんなこと初めてですわ」
「俺もやってみる。『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』」
沈黙。あの【認証しました】すら聞こえない。
「(魔法が使えない。ウィキとも話せない。つまりこの先は——完全に自力ってことか)」
「引き返しますか、ジン殿」
「いや…旧坑道は最深層の先だ。ここを抜けなきゃ始まらない」
「では」
ランスロットが一歩前に出た。腰の剣を抜き、静かに構える。
「ここからは、私の仕事です」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからの数時間を、陣は生涯忘れないだろうと思った。
闇の中、松明の明かりだけを頼りに、ランスロットは舞い続けた。
瘤だらけの大蜘蛛が天井から降れば、着地より先に両断した。
膨れ上がったコウモリの群れが押し寄せれば、一歩も引かずに全て叩き落とした。
異様に長い腕のなにかが闇から伸びてくれば、マリアが悲鳴を上げるより早く、腕ごと持ち主を斬り伏せた。
エクソスの加速は無い。鎧はただの重りだ。それなのに。
「はぁっ!」
剣線は淀みなく、足運びは静かで、呼吸は乱れない。
「(強い…いや、強いのは知ってた。だが魔法もエクソスも無しでこれか)」
「(「鬼神」ってのは、大袈裟でもなんでもなかったんだな)」
最後の一体が崩れ落ちた時、松明の火は半分まで短くなっていた。
「……この先しばらくは気配がありません。今日はここで休みましょう」
そう言って剣を収めたランスロットに、マリアが駆け寄って手拭いを差し出す。
「ランスロット、お見事でしたわ!」
「もったいなきお言葉」
律儀に頭を下げながらも、耳が赤い。
リア充である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜——というのが地下で正しいのかは分からないが——マリアが寝入った後。
焚き火の番をしながら、ランスロットがぽつりと口を開いた。
「ジン殿は、不思議に思わなかったか」
「ん?何がだ」
「私が魔法を使えぬことを、だ。ガラハッドの家は、代々権限持ちを輩出してきた騎士の名門だ」
「へぇ…って、そうなのか?」
「……私だけだ。あの家で、権限が発現しなかったのは」
炎を見つめたまま、淡々とランスロットは続けた。
生まれた時の判定で、何の権限も与えられなかったこと。
「神に選ばれなかった子」と呼ばれたこと。
弟が生まれ、弟には権限があったこと。
居場所がなくなって、家を出たこと。
剣だけを振り続け、御前試合で王の目に留まり、姫付きの騎士になったこと。
「正直に言えば、姫が適合者で無くなられた時——お労しいと思うと同時に、ほんの少しだけ、救われた気がしたのだ」
「あの方は「自由になれた」と笑われた。神に選ばれなくとも、笑っていいのだと…そう言われた気がした」
「私は最低な従者だな」
自嘲するランスロットの横顔は、渋い偉丈夫のくせに、年相応の16歳に見えた。
陣は焚き火に枝を一本くべてから、口を開いた。
「なぁランスロット。今日、この区画で一番強かったのは誰だ?」
「…は?」
「魔法が使えない場所で、俺とマリアはただの荷物だった。お前だけが戦えた。そういうことだろ」
「それは、たまたま場所が…」
「選ばれなかったんじゃない。お前には最初から、必要なかったんだよ」
「————」
「少なくとも俺と姫さんは今日、神様とやらじゃなくてお前に守られたぜ。なぁ、鬼神殿?」
ランスロットはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと息を吐いて笑った。
「…ジン殿は、たまに卑怯だな」
「オッサンは伊達に歳を食ってないんでね」
焚き火が爆ぜて、火の粉が舞った。
「(——それにしても、だ)」
眠りに落ちる前、陣は今日の疑問を頭の中で並べ直す。
「(魔法の使えない区画。「まほうのもと」の枯渇。魔法ってのは、無限に湧く奇跡なんかじゃない…何かを「消費」してるんだ)」
「(じゃあその「何か」は、どこの誰が補充してるんだ?)」
答えの代わりに、睡魔がやってきた。




