第10話:地下の遺跡
<ウェンス大迷宮>
ウェンスの地下に広がる大迷宮。上層は冒険者の狩場、中層から先は一攫千金を夢見る者たちの領域とされる。
最深層まで辿り着いた者は、ここ百年で数えるほどしかいない。
「はい、三人で銅貨六枚ね。……あんたら、ずいぶん軽装だけど中層より先は行きなさんなよ」
ダンジョンの入口は、街の中央にぽっかりと口を開けた大穴だった。
下へ下へと続く石段を、冒険者たちがまばらに降りていく。受付の老婆は銅貨と引き換えに木札を三枚くれた。
「(教会の白い法衣は…いないな。本当にここまでは来ないらしい)」
「では、参りましょうか」
フードを外したマリアはどこか晴れやかだった。
自分で決めた道だからだろう。足取りが軽い。
「油断は禁物です。姫は私の後ろに」
「はいはい、わかっていますわ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
上層は、拍子抜けするほど「ダンジョン」だった。
ごつごつした岩肌の洞窟。壁に灯る青白い光苔。時折現れるモンスター。
「ジン様、右です!」
「おう!『我が権限に基づき命ずる ウォーターカッター』!」
飛びかかってきた犬ほどもある大ネズミを、細く絞った水の刃が正確に両断する。
「お見事ですわ!出力の調整、もう完璧ですのね」
「ホースのイメージにもだいぶ慣れたよ」
「(にしても、でかいネズミだ…犬サイズって。この世界のモンスターってのはどれもこう、生き物の「やりすぎ」みたいな見た目なんだよな)」
ネズミ、コウモリ、ムカデ。どれも見覚えのある形のまま、あり得ない大きさをしている。
その違和感を頭の隅にメモして、陣は先へ進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異変は、中層への階段を降りた先で始まった。
「……なぁ、通路が四角くなってないか?」
ごつごつした洞窟が、いつの間にか整った四角い通路に変わっていた。
壁も天井も、継ぎ目のない灰色の何かで出来ている。
「(この壁…城壁の「神代の壁」と同じ材質だ)」
「中層から下は神代の遺跡ですのよ。ダンジョンの名物ですわ」
「大昔の神々の住処だったと言われている。触れるなよジン殿、罰が当たる」
「(もう触ってるんだよなぁ…冷たくて、ざらついてて…なんだろうな、この感じ)」
指先に残る感触が、また喉の奥の小骨を疼かせる。
先へ進むと、通路の壁に色褪せた板が現れた。
緑色の、四角い板。白い線で、扉と、走る人の姿が描かれている。
「あら、緑の御方ですわ」
「緑の…なんだって?」
「非常の時、人は緑の御方に導かれて災いから逃れられる——そういう言い伝えですの。ダンジョンのあちこちにいらっしゃるのよ」
「(………)」
陣は無言でその「緑の御方」を見つめた。
見間違えるはずがない。それは非常口の誘導灯だった。
「(いや待て、落ち着け。偶然だ。扉と走る人なんて、誰が描いても似るだろ)」
言い聞かせながら歩く陣の足が、次の広間で完全に止まった。
広い空間だった。等間隔に並ぶ四角い柱。天井の折れた梁。
壁際には、箱型の機械の残骸が一列に並んでいる。正面に小さな窓、その下に受け皿。
「(……券売機に、見える)」
その先には、腰の高さの機械が何台も並んだ狭い通路。
「(……改札に、見える)」
「ジン様?どうされましたの?」
「あ、あぁ…いや、なんでもない」
なんでもなくはなかった。心臓がうるさかった。
そして、広間の奥。
天井から吊るされた、錆びついた大きな板が目に入る。
表面はほとんど錆に食われていた。だが、掠れた文字の名残がかろうじて読み取れた。
読み取れて、しまった。
『← のりば1・2 佐呂間方面 →』
「————」
音が、遠くなった。
サロマ。神都サロマ。ミラ教の総本山。この世界の中心。
その名前が。
日本語で。漢字とカタカナで。
のりば、という間の抜けた三文字と一緒に、そこに書かれていた。
「(読める。読めるんだよ。だってこれは————日本語だ)」
ぐらり、と足元が揺れた気がした。
神代の壁。継ぎ目のない灰色の一枚岩——コンクリートだ。
御柱。等間隔に、一直線に、街へ延びる柱の列——高架の橋脚だ。
緑の御方——非常口。
神々の住処——駅だ。ここは、駅なんだ。
喉に刺さっていた小骨が、一気に抜けた。抜けた穴から、冷たいものが流れ込んでくる。
「(ここは異世界なんかじゃない。ここは……日本、なのか?)」
「ジン様!」
マリアの声で我に返る。いつの間にか案内板の真下まで歩いていたらしい。
「まぁ…ジン様、もしかしてこの文字が読めますの?」
「え」
「今、文字を目で追っていらしたわ。これは神代の文字ですのよ?神官さまでも読める方はほとんどいらっしゃらないのに…!」
「ジン殿、まことか!?」
「(やっべ)」
二人の視線が突き刺さる。とっさに、いつもの処世術が口を突いて出た。
「…俺の田舎に伝わる古い文字と、少し似てるんだ。全部は読めないけどな」
「まぁ!まぁまぁ!さすが東の大陸ですわ!」
「それは心強い。遺跡の警句が読めれば、罠も避けられましょうぞ」
「あはは…役に立てるといいけどな…」
「(嘘に嘘が重なっていく…胃が痛い)」
はしゃぐ二人の後ろで、陣はそっと球体に呼びかけた。
「(ウィキ。聞いてたよな。……ここは日本なのか?俺は、日本にいるのか?)」
『…………』
「(おい、ウィキ?)」
『ごめんなさい、ジンさま。……おもいだせないの』
「(お前もか)」
『このばしょの、ふるいなまえ。しってたはずなの。だいじなことのはずなの。でも、そこが、こわれちゃってて……ごめんなさい』
球体の声は、本当に泣き出しそうだった。
「(…いや、いい。責めてるんじゃない)」
「(それに、そうだ…仮にここが日本だとしても、わからないことだらけだ)」
夜空に浮かぶ、二つの月。
地球の空に、月は一つしかないはずなのだ。
「(月が二つある日本なんてあってたまるか。じゃあここはどこなんだ?あの案内板はなんなんだ?誰が、いつ、日本語であれを書いた?)」
謎は解けるどころか、深く、暗くなっていく。
まるでこのダンジョンみたいに——と考えたところで、ウィキの声が思考を破った。
『ジンさま、とまって』
「(ん?)」
『このさき、“びょうき”のこたちがいるの。いっぱい』
「(病気…?)」
通路の奥、光苔も届かない暗闇の先から。
何かを引き摺るような音が、ゆっくりと近づいてきていた。




