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【 キョーコの真実 】
稲井響子は昔から気弱な性格だった。
そのせいもあってか、学校という場所は彼女にとってトラウマともいえる場所となっていた。
「稲井さ、うちらの代わりに放課後の掃除変わってよ」
「え、私今日は用事が……」
「それって、私たちの用事よりも大事なわけ?」
「それは……」
「じゃあ決まりだね」
そのため彼女は、学校という場所を嫌っていた。しかしそれでも彼女が学校に通い続けたのは、一人の恩師の存在があったからだった。
「稲井は今日も残ってるのか? 」
「竹垣先生……」
竹垣という男の教師はキョーコの担任であり、彼女の憧れでもあった。彼はキョーコのクラスでの立ち位置を気にしており、相談に乗ってくれる頼りになる存在だった。
竹垣はキョーコの悩みを受け、彼女の知らないところでいじめの加害者に注意をして回り、彼女に対するいじめを抑止していった。その姿にキョーコは、それまでよりも強い憧れの念を抱くようになった。
「先生、私、教師になりたいんです」
「教師に? それは良いな。稲井ならきっと、いい先生になれるよ」
「私が、良い先生に……?」
「人の弱さを知っている人間は、人にも優しくできるんだよ。稲井が苦しんでいたのは事実だけど、裏を返せばそれは、稲井が同じような立場に居る子を救うことだって出来るってことだと、俺は思うよ」
稲垣のその言葉を胸に、キョーコは教師になることを誓った。そして血のにじむような努力の結果、彼女はかつて自分が通っていた中学校に赴任することになり、初年度から1つのクラスを受け持つことになる。
「今年からこの学校でお世話になります、稲井響子と言います。よろしくお願いします! 」
キョーコは緊張がありながらも、自分の憧れていた職に就けたことに対して喜びも感じていた。
彼女が受け持ったのは2年3組。クラスの3分の1ほどが去年のクラスの面子と同じであるようで、キョーコが初めてクラスに挨拶に行く前からクラスの中はにぎわっていた。
「みんなおはよう! 」
声を上げて教室の中に入ると、数人の男子が席を立っており、一人の席の近くに集まっているのが見えた。その中心に居たのは、かつての自分を想起させる、気弱そうな少年の姿だった。
「ちっ、もう来やがった」
そんな声が聞こえた気がした。キョーコの姿を確認して、立っていた男子たちはふてくされたようにして席に戻っていく。
キョーコはすぐに切り替えてクラスに挨拶をしたものの、男子たちに何かを言い寄られていたように見えた少年の姿が頭から離れることは無かった。
キョーコはそれから何度か、同じような光景を目にした。しかしその度に、教師である彼女の前では問題を起こす気が無いのか、クラスの生徒たちはキョーコの前では良い生徒であることを装い続けた。
その裏で、確かにいじめは起きていた。
「おい加藤、早くこの虫食えよ」
「無理に決まってるだろ……」
「は? それを決めるのはお前じゃなくね? 」
男子の一人が、加藤と呼ばれた生徒の腕を背後から掴み、もう一人が口を無理矢理に開かせる。そして話しかけた男子が、何かを手に持って加藤という生徒の口に放り込んだ。
「むぐっ! ……おえええっ」
「はははっ! 貴重なタンパク質なんだから吐いてんじゃねぇよ」
加藤を抑えていた男子たちもそれに合わせてその光景を見て一緒に笑う。彼らは加藤と去年から同じクラスであり、学年が上がってもいじめの加害者と被害者という関係性は変わっていなかった。同じクラスの生徒たちもその光景には見慣れており、関与しないように距離を取っている者がほとんどだった。
キョーコがそのいじめの件を知ったのは、4月の後半の事だった。まだクラスが始まって間もない頃、加藤が直接キョーコに相談を持ち掛けてきたのだった。
「……先生、話を聞いてくれませんか? 」
「どうしたの、加藤君」
そしてキョーコは、加藤が今まで受けてきたいじめの内容について聞かされることになる。それは今まで彼女が受けてきたいじめとは比べ物にならないほど過酷なものであり、キョーコは彼に同情の意を向けずにはいられなかった。
「分かったわ。先生に任せて! 」
キョーコは自信を持ってそう言った。自分が学生だった時に竹垣から救われたように、今度は自分が加藤のことを救う番だと息巻いた。
「……信じてたのに」
それが、キョーコの聞いた加藤の最後の言葉になった。彼女は最善を尽くしたつもりだった。加藤をいじめていた男子たちと個別に話し、何度も注意を促した。それでも彼らの中で何かが変わることは無かったのだった。
5月のゴールデンウィーク明けの登校日、彼女の授業の時に、加藤の姿が見られなかった。
「……加藤君は? 」
「さあ? 俺たちが知ってるわけないじゃん」
男子生徒たちはそう言う。彼らは茶化しているような雰囲気ではなく、本当に何も知らないような様子だった。
「じゃあどこに……」
その瞬間、キョーコの視界の横を何かの物体が通り過ぎた。上から落ちた、何か。キョーコの中に最悪の選択肢が浮かんでしまう。
キョーコはすぐに教室の窓を開け、下の方を覗き込んだ。そこには、ぐしゃりとつぶれたようになった人体の姿があった。地面にはじわじわと血の海が広がっていき、1階の教室からは悲鳴が起きる。
「え、なになに!? 」
「お、おいあれ死んでるだろ! 」
教室の中に動揺が広がるのに時間はかからなかった。そしてクラス内でのいじめのことが発覚するのも、加藤が死んですぐの事だった。
そして生徒たちは反省するかのように思われた。しかしその出来事は、彼らの行動には逆に拍車をかけることになる。今まで加藤に向けられていたいじめの矛先は、教師であるキョーコに向けられた。
加藤が受けていたものほどあからさまではなくなったものの、常人ならば精神が崩壊してもおかしくないほどの苦痛を、キョーコは浴び続けることになる。
そして彼女の精神もまた、崩壊する。
進級が間近に迫ったある日、クラスの生徒たちはキョーコに寄せ書きを送った。
◇
響子先生のおかげで、とても楽しい学校生活でした!
先生が皆のために頑張ってた姿は、忘れません!
先生の仕事は大変だと思うけど、来年も頑張ってね!
◇
それは感謝や励ましの言葉などではない。あくまでも標的はお前だ、と言わんばかりの、脅迫に近い悪趣味なものだった。精神的にも幼い子供たちの無邪気な行動は、キョーコの心を蝕んでしまったのだ。
そして彼女は行動に出る。彼女の実家の裏山には、人間を簡単に死に至らしめる猛毒を持つ植物が自生していた。キンポウゲ目キンポウゲ科。日本各地に分布しているその植物は、「トリカブト」という。
彼女は中学での学校給食にそれを混入させた。トリカブトから絞り出した汁を混ぜ込み、クラスの生徒たち全員がそれを口にした。勿論それはキョーコも例外では無かった。
結果としてキョーコのクラスでは32人の集団食中毒事件が起こることになる。その内の3名は呼吸困難による意識不明の重体。これは県内のニュースで連日報道されるほどの大事件となったものの、混入経路、そして犯人の特定には至らなかった。
それが、彼女なりの復讐であり、贖罪であった。
◇ ◇ ◇
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