第38話
『アト』というのは、俺の呼び名の一つだということは覚えている。まあ向こうにいた時は通称『アートランド』で通ってはいたのだけれど、結構人によって飛び方はまちまちで『アート』とか『アトランド』なんて呼ばれ方もしていたのだ。なぜか『アルト』と正しく読んでくれた人間はびっくりするくらい少なかったけど、そんなことは些末なことだと思う。
だから、今更誰か に『アト』と呼ばれたことに違和感はない。
だから問題は、そう呼ぶ人間というのが俺にとってどういう人間なのか、だ。ぶっちゃけると、自分という人格に不安を感じるわけだ。だってアトだぞ?
俺の認識だと人の呼ぶ方っていうのは親しさに準じて『苗字さん付け』→『苗字』→『名前』→『あだ名』って感じだ。まあ向こうで本名を読んでもらう機会が全くなかったから多少感覚がずれている気もするけれど、とにかく俺の認識の中では俺を『アト』って呼ぶ彼女は俺と仲がいいことになる。しかも三年間出席番号が前後で同じクラスだったという龍胆 との呼び方がお互い苗字なあたり、人付き合いの基本は浅く広くってタイプだろう。そう考えれば、俺と彼女は単に仲がいいわけじゃない。かなり仲がいいはずだ。
……気持ち見ず知らずの女の子を見ながら、彼女と仲がいいはずだ! とか、自分で言っててかなり痛いな。夢で見た女の子に運命だとかいうくらい痛いんじゃないか? そんな体験したことないから知らんけど。
とりあえず呼び方どうしよう、ハスモトさん……でいいのかな?
「ええと、ハスモトさん?」
「なんだよ、気軽にアムちんって呼べよ。それより今日このあと暇か?」
「いや、暇かって言われても」
話の流れがよめん。それと暇じゃないぞ、塾行くし。あとアムちんって何? あだ名? 俺普段そんな呼び方してたの? 絶対ないと思うんだけど。
「なんだよ蘭堂、蓮下は陸上部の仲間だろ」
「いや、仲間って言われても陸上部男女別だからな?」
ええい、横から入ってくるんじゃない龍胆。俺処理能力あんまりないんだぞ。いまきっとアムちん……もとい蓮下さんはすっごく友好的なタイプなんだなって結論出そうとしてたのに。
っていうかあれだよな。この状況で他の奴が来ないところを見ると、俺、クラスにあんまり友達いないのかな。それともこの二人が特に仲がいいのかな。想像するだに切ねえ。チラッと周囲を確認したらもうほとんどクラスメートはチラチラこっちを見てるけど、見てるだけで何もしようとしない。
とりあえず一言言わせてくれ、ちらちらこっち見るくらいなら来いよ。ああもう気になるなぁ! お前らホームルームの時はあんなに騒いでただろ!
……まあ今の相手は蓮下だ。とりあえずそっからな。ってももう言うこと特に無いような気もするけど。
部活も引退してるわけだし。
「練習する場所もかぶんないし、仲間だと思うのは大会の時くらいだったよ」
「おいおい冷たいな。私達はライバルじゃないか」
ライバル!? え、嘘、そんな感じなの? 名前とか呼び方だけならともかく、そんな具体的な関係出されると流石に予測が揺らぐんだけど。
いやでもちょっと待った、俺ら男と女だよ? 同じ陸上部で男女のライバルってどうなの? リレーかなんかの成績でも競ってるの? それとも個人成績? 確かに元々背は高い! って言えるほど高くなかったし、蓮下さんの身長は以前の俺よりちょっと低いくらいに見えるけど、それでも勝負になってたって俺やばくないか?
ええと、俺が好きだったのは走り高跳びと走り幅跳びと、後100メートル走と400メートル走。
「卓球の」
「いやそんな覚えはない」
それだけは絶対ない。なんか知らんけど、魂が言ってる。それだけはありえない。
絶対にない。
なんかよくわかんないけど、卓球大嫌いって気がする。
いやだってさ、卓球のライバルがいるくらい俺が卓球好きだったら、向こうでなんかこっちの球技をしようと思った時にやるだろ。サッカーよりも先にさ。だけどそうじゃないんだよ。向こうにいる間に卓球の事思い出したこと一度もないもん。絶対卓球でライバルできたことなんてないって。
……なんか龍胆がニヤニヤしててムカつく。
「あ」
「ん? どうした蘭堂」
「い、いや、とにかく俺は別に蓮下とライバルのつもりはないからな。陸上部のよしみで助かってる部分はあるが」
まさかと思うけど、蓮下めちゃくちゃ卓球弱いんじゃないか? そんで更にその下に俺がいるという……いや、まさかそんな虚しいライバル関係とかないよな? 無い……と思いたいけど俺、魂の底から卓球嫌いだもんなぁ。弱いってのは間違いじゃ無いような気がする。
っていうかさ、第一声が『遅くなってないか?』だったのに、なんでライバル関係が卓球で成立するんだよ。もうどっから突っ込めばいいのかわかんねえよ。
「まあいいや、蓮下との話が終わったんなら俺と話そうぜ!」
「お前とまだなんか話すことあったか?」
「おう、で、その奇病感染るの?」
「ねーよ」
「チッ」
舌打ちすんな。ついさっきお前デリカシー無いって怒られたばっかりだろうが。
「感染るなら来ないし、だいたい完治してるっつの」
「いやでもだいたいみんな期待してるぞ? 多分」
「自分の身長伸ばすために?」
「おう」
再び周囲に目をやると、明らかに肩を落とすやつやギクリと身を震わせるやつがいる。おいおい。
「お前らなんていうか……友達がいねぇなぁ」
いや、友達って言える人間がクラスに何人いるのか知らないけどさ。
いつも読んでくださってありがとうございます。




