第4話 熊とおっさん
山を下り続けて三日目。
景色が変わり始めていた。
これまでの岩場や崖は減り、代わりに背の高い木々が増えている。
「おお、森だ」
クレスタは少し嬉しくなった。
森があるということは水がある。
動物もいる。
人間もいるかもしれない。
少なくとも山頂よりは生存しやすそうだった。
けもの道らしき細い道を見つけ、そのまま進んでいく。
傾斜はまだ下り坂だ。
木漏れ日が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえる。
実に平和だった。
だから油断していた。
ガサァッ!!
右の茂みが爆発したように揺れた。
「ん?」
振り向いた瞬間。
黒い塊が飛び出してきた。
巨大熊だった。
普通の熊ではない。
立ち上がれば三メートル近い。
筋肉の塊。
毛皮は黒曜石のように黒い。
魔物かもしれない。
だがクレスタに考える暇はなかった。
「うおおっ!?」
反射的に両手を出す。
次の瞬間。
ドォン!!
熊の突進を真正面から受け止めた。
衝撃で地面がめり込む。
周囲の落ち葉が舞い上がる。
しかし。
「あれ?」
クレスタは首をかしげた。
潰されない。
熊の方が大きい。
熊の方が重い。
熊の方が高い位置から押している。
なのに。
押し負けない。
手四つに組んだ状態で止まっている。
熊も驚いていた。
人間が潰れない。
意味が分からない。
「おれ、意外と力あるんだな」
今さらだった。
荷物持ちとして二十年。
毎日数百キロ級の荷物を運んできた男である。
普通の人間ではない。
本人だけが気づいていなかった。
熊が唸る。
さらに押してくる。
「ぐるるるるる!」
「うおっ、顔近いな!」
クレスタは足を上げた。
ドスッ!
熊の腹を蹴る。
熊が一瞬ひるむ。
さらに蹴る。
ドスッ!
ドスッ!
ドスッ!
「おらっ!」
「ぐるぁっ!?」
今度は前脚を蹴る。
膝のあたりだ。
何度も。
何度も。
熊が嫌がる。
前脚を引こうとする。
だがクレスタは離さない。
執拗に蹴る。
やがて。
ガクッ。
熊の脚が崩れた。
「おっ?」
体勢が低くなる。
ついに同じ高さになった。
すると。
今度はクレスタの方が有利だった。
「せいっ!」
全力で押す。
熊の目が見開く。
ドォォン!!
巨体が仰向けに倒れた。
地面が揺れる。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
「おお!」
クレスタ自身が驚いた。
倒れた。
本当に倒れた。
熊が暴れる。
起き上がろうとする。
しかしクレスタはすぐ動いた。
熊の両前脚を踏みつける。
完全に押さえ込む。
「悪いな」
収納バッグから短刀を取り出す。
熊が暴れる。
吠える。
だが逃がさない。
「食うか食われるかだからな」
そして。
首へ突き立てた。
ブスッ。
熊が絶叫する。
さらに刺す。
ブスッ。
もう一度。
ブスッ。
何度も。
何度も。
何度も。
やがて熊の動きが弱くなる。
血が流れる。
暴れる力が消えていく。
そして。
完全に動かなくなった。
森に静寂が戻る。
「勝ったか」
クレスタは息を吐いた。
しばらくその場に座り込む。
冷静になるにつれ思う。
危なかった。
だが。
「熊肉か」
少し嬉しくもあった。
昔から肉は好きだった。
せっかくだ。
無駄にはしない。
クレスタは解体を始めた。
冒険者生活が長い。
魔物や獣の解体経験は豊富だった。
皮を剥ぐ。
肉を分ける。
骨を外す。
手際は良い。
そして途中で思いついた。
「これ着たら襲われにくいんじゃないか?」
熊の毛皮である。
かなり迫力がある。
動物除けになるかもしれない。
単純な発想だった。
クレスタらしい。
綺麗に剥いでいく。
だが頭部が難しい。
耳。
鼻。
目の周辺。
苦戦した。
それでも何とか一枚皮にする。
「よし」
次になめし作業。
肝臓を利用する。
切り株を台にしながら皮へ塗り込む。
時間はかかった。
だが満足できる出来だった。
夕方になる頃には熊の毛皮マントが完成していた。
「おおー」
着てみる。
重い。
暑い。
だが格好良かった。
ちょっと偉くなった気がする。
「熊王だな」
誰も聞いていない。
その後。
収納バッグからバーベキューセットを取り出す。
鉄網。
炭。
着火道具。
全部揃っている。
便利すぎた。
肉を焼く。
ジュウウウウウ。
脂が落ちる。
香ばしい匂いが広がる。
塩を振る。
一口食べる。
「うまいなこれ」
思ったより柔らかい。
脂も美味い。
空腹も手伝って最高だった。
気づけばかなりの量を食べていた。
腹いっぱいになる。
火も暖かい。
森の夜は静かだった。
クレスタは熊の毛皮を被る。
ふかふかだ。
思った以上に暖かい。
「これ寝袋いらんな」
そう呟く。
そして横になる。
満腹。
暖かい。
疲労もある。
数分後には寝息が聞こえていた。
その頃。
遠く離れた崖の上。
小さな赤金色の雛が森を見下ろしていた。
「ピィ……」
クレスタの気配を感じている。
そして周囲に漂う熊の死臭も。
雛は首を傾げた。
助けてもらった人間。
その人間が。
なぜか熊の皮を被って寝ている。
理解できなかった。
だが。
少しだけ面白そうだった。




