Eps.5
<アクトウェイ>は全長七二一メートル、排水量六八〇〇〇トンの軽巡洋艦に匹敵する規模の中型航宙船であり、国防宇宙軍の艦艇にも引けを取らない重武装船に分類される。
航続距離は軍用艦艇に匹敵する船体の大きさに見合ったもので、無補給でレイズの端から端までを航行することが可能。武装は高出力の中性粒子砲を艦首付近の両側面に四門ずつの計八門を備え、配置の関係で左右四五度という広い射角から正面火力を維持しつつ複数の目標への同時対処能力も高い。必要に応じ武装を内部格納できるハードポイントが大小さまざま随所に配置され、現在は船体中腹の上下にデコイを、左右にミサイル発射孔を装備している。弾頭は補給されていない。他、後方以外を射界に収めるレーザー砲を副砲として搭載しており、侮れない戦闘力を持つ。
民間船とは比較にならない重武装は見てくれだけでなくカタログスペックにも優れる。特に中性粒子砲は優れた効率的で大出力を誇るパワーコアからのエネルギー供給により、速射はできずとも一時的に重巡洋艦並みの出力で放つことも可能な代物だった。海賊船などに放てば木端微塵にできる。
防御面では現代艦艇の標準装備となっている、プラズマ流体力学と電磁気学の結晶であるAPS装甲を搭載。こちらも中性粒子砲と同様に大出力に裏付けされた優れた性能を誇り、総じて駆逐艦級の艦艇が相手であればじゅうぶんに抗堪できる頑強さを有していた。翻って軽量な排水量からもわかるように船体構造は頑丈であるものの直撃に弱く、軽巡洋艦相応より少し薄い装甲しか備えていない。重巡洋艦以上の艦艇と正面切っての砲撃船ともなれば脆さを露呈することになる。
だが何よりもリガルの琴線に最も触れたのは、アクトウェイの船首に装備された高度な索敵システムだった。
通常、宇宙空間の観測といえばレーダー走査となるが、強力な電磁波を無暗に投射するのは自位置を敵へ報せるために照明弾を打ち上げるようなもので、頻繁に使用されることは少ない。通常の航海であれば、輸送船や警備隊フリゲート艦は航宙ビーコンを焚くことで自位置を報せて安全な航海を保証しているわけだが、衝突やニアミスを避けるためにはそれだけでは不十分である。そのため、通常は可視光映像で背景の星海とは異なる軌道を取る物体を検知する受動的な検知が行われるわけだが、アクトウェイの場合はこれに加えて別種の索敵装備が艤装されていた。
<アクトウェイ>の船首には高出力のレーダーが備えてあるばかりか、常に絶対零度に冷却されあらゆる電子雑音から解放された高性能なカメラアイが備えられている。それだけであれば他の航宙船と遜色ないが、数枚の大口径レンズを一定の温度に保ち精密に倍率を操作する機構は<アクトウェイ>独自のもので、技術的な特色はないが性能面では現行の軍用艦艇に搭載されるものよりも二世代ほど進んでいる性能を有している。ほとんど仮説にすぎないが、条件さえそろえば星系の反対側にある小型の航宙ブイの捕捉が可能な精度を誇り、デモンストレーションでアキが投影して見せた星海の壮大さは見る者を圧倒した。カルツィオでさえ小さな感嘆の吐息を漏らしたほどで、今もリガルの網膜には星海の瞬きが焼き付いて離れない。
<アクトウェイ>の船橋はやや前方に寄った船体中枢部に位置している。直径三十メートルの半球形をしているドームをさらに半分に切り取った形状をしていて、曲面の内側は三次元ディスプレイにより高精細の映像が投影され、座席はやや高い位置にある中心の船長席とその後ろ両脇、前方の五つの計八席が床から生えて船の制御を担う。座席にはいくつものコンソールや三次元ディスプレイを備えており、船長席を中心に放射状の同心円に置かれ、複数の情報を処理することができる理想的な配置で席を空けていた。
軽巡洋艦に迫る規模の船舶を制御するには人数が足りないように思えるが、アキは<アクトウェイ>の制御が高度に自動化されており、自分さえいれば問題なく操船できると請け負った。リガルは疑うでもなかったが、それでもこの船が想像していたよりもかなり特殊な構造とシステムを備えていることに自分の目を疑う思いである。
「とんでもない船だ」
船長席に腰を落ち着けてから五分後。リガルがようやく口を開くと、淡々と船の説明を続けていたアキが横から彼の顔を覗き込む。
「お気に召しませんでしたか?」
「いいや、その逆だ。これだけの装備なら、問題なくマルメディスまで到達できるだろう。それどころかバルハザール宇宙軍相手にいたずらを仕掛けてもいいかもしれない。想像していた以上の働きができそうだってことだよ」
不満が無いとわかってほっとしたのか、アキは元の直立不動の姿勢に戻ると頷いた。
「申し訳ありませんがクルーは別途、船長に選出いただく必要がございます。差し当たっての操船はわたしにお命じください。その他、本船の操作ならば万事つつがなく実行いたします」
「了解した」咳ばらいを挟み、リガルは座り慣れない座席の上で身を捩る。「では最初の命令だ、アキ。パワーコアを始動。直ちに航海準備に入れ。周辺施設、および船舶への警告はしなくていい。敵に悟らせるような徴候は可能な限り抑制しろ」
「了解」
パワーコアに火が入り、遠くで低い耳鳴りのような音がした。予備電源からエネルギー系統が切り替わり、巨大で圧倒的なエネルギーの渦があらゆる方向から伝わってくる。遠くで地鳴りのように響く音がこの船の鼓動なのだ。
国防宇宙軍を去ってからの二年余り、心のどこかでくすぶり続けていた憧憬が現実となった瞬間だった。全身を興奮が駆け巡り、しばし眼を閉じて感慨にふける。
今や延々と広がる星海は彼のものだった。無限の星々が、彼の足跡が記されるために冷たい光をたたえている。目覚めた<アクトウェイ>が放つエネルギーは錯覚としても尋常なものではない。巨大な推進器に見合った出力はしっかり確保されている。数値ではない実際の航続距離が気になるが、何度かジャンプを繰り返せばはっきりとした性能諸元として把握できるだろう。
「敵戦隊と我が方の位置関係を表示できるか」
「ただちに」
船長席の目前にメキシコ・サードと周囲を公転する五つの衛星、そして各所に散らばる採掘プラントとヘリウム集積所が一瞬で表示された。ホログラフによる色分けや立体的な表現もすべて込みである。そのおかげもあって状況はすぐに理解できた。
今も<ファーベンス>の目論見を阻止せんと接近し続けているバルハザール宇宙軍の一個戦隊が縮小された戦術図の遠方に表示された。予測進路はメキシコ・サードの二番目に大きな衛星を掠めるように伸びており、間違いなく<ファーベンス>を攻撃する構えだろう。このままだと敵戦隊は三時間も経たない内にここへ到達する。宇宙空間での戦闘において足を止めることは自殺行為に等しい。可能な限り素早く出港して戦闘態勢を整えなければいい的だ。アキの言った通り今すぐに出港できたとしても、ただ何も考えずに隣接するクイナレ星系への跳躍点を目指せば既に速度を保持している敵戦隊の前でもたもたと加速をすることになり、容易に捕捉されてしまうに違いない。
少し考え、リガルは手元のコンソールを叩いた。いくつかのホログラフを表示し、恒星メキシコの公転基準面を直上から俯瞰する二次元平面上で計算を実行する。おそらくアキに頼ればすぐに答えが出るだろうが、勘を取り戻したいのと、彼女がいなければ操船できない事態を見据えて手を動かすことにこだわった。物事に習熟するには、何事も実践が第一だ。
「兵力も位置も敵勢が有利だな。翻って、<ファーベンス>の支援は期待できない。彼らを戦闘に巻き込むのは自殺行為だ。なにか対応策はあるのか?」
コンソールを打鍵するリガルの横から覗き込んできたカルツィオが問う。彼への反感を忘れるほどの集中力を発揮しているリガルは頷いて、ホログラフの敵戦隊アイコンを指さした。
「やりようはある。敵も機動力のある編成だが、<アクトウェイ>一隻と比べれば鈍い。空間機動において隊形を維持するのは並みの練度では難しいのは知っての通りだ。そして敵が数の有利を生かすのなら、隊形を維持しなければならない。要するに、敵が軽巡洋艦だけで向かってくるなら分が悪いが、駆逐艦と強調して数の利を生かそうとするのならば、漬け込む隙はいくらでもある」
「蝶のように舞い、蜂のように刺す、か。とはいえロケットのように飛び出して何も考えずに跳躍点へ向かっても追跡は振り切れない。長距離の航行となれば君の言う有利も薄まるぞ」
「わかっている。だからいま考えているんだ、おれたちを追いかけ始めた敵が躓くような何かを」
リガルはホログラフから視線を外し、カルツィオの顔を正面から見据えた。
それまで不貞腐れたような鈍い眼差しが、見る間に鋭さを増していく。
カルツィオは少しの驚きと、自分が危惧した通りの恐ろしさが具現化するのを目の当たりにしていることに戦慄した。目の前に座っている男はもう酒浸りだった浮浪者もどきではない。
放浪者。この男は、自らの力量を宇宙に示すに最適な立場と翼を得たのだ。もはや何者も行く手を阻むことなどできないだろう。
リガルは目顔で、船橋のあちこちをうろついているEXUの要員を示した。
「EXUとあんたは今すぐ離艦してくれ。こっちは準備ができ次第すぐに出港するから構っている暇はない」
「了解した」
「ああ、それと悪いが<ファーベンス>は自力で生き残ってくれよ。ディウダの腕なら問題なく逃げ切れるとは思うが、僅かでも<アクトウェイ>が何とかしてくれると希望を持たれても困る」
「心配ない、彼は君の言う通り腕の立つ男だ。君のほうこそ頼んだぞ、大尉」
「おれは大尉じゃない」言いつつ、リガルは自分の言葉を噛みしめる。「もう、ひとりの男さ」
カルツィオは何秒かリガルを見ていたが、求めていた何かを見つけたかのように微かな頷きを残すと、踵を返してEXUに船外退去を命じた。あの女は意味深長な視線をリガルは投げてくる。気付かない振りをして作業をしているとやがていなくなった。
最後の入力を終えて、リガルはアキを振り返る。
「アキ、この計算を頼む。おれの算出した結果と比較して三次元ディスプレイでよしなに投影してくれ」
「少々お待ちください……算出しました、船長」
「オーケイ」アキが示した計算結果に素早く目を通す。「結果は想定通りってところか。このプランでいこう。カルツィオたちが離艦したらすぐに実行に移す」
「了解」
十分後、<アクトウェイ>の左舷側からシャトルが飛び出していった。すぐに行動を起こすとわかっているからか、急速に加速して<ファーベンス>へ向かっていく。シャトルの機影が<ファーベンス>と一体化して見えなくなったところで、短い電子音が着信を知らせた。
「<ファーベンス>より強指向性のレーザー通信。『貴船の航海に幸多からんことを』、とのことです」
「ディウダか、まめな奴だ。ああいう男は嫌いじゃない。生き残れるといいんだが」
「そのように返信いたしますか?」
「返信はするが、文面は変えよう。そうだな。同じくレーザー通信で、『感謝する。貴艦の武運長久を祈る』と」
「了解、送信しました」ただ座っているように見えるアキの周囲に、次々と新しいホログラフが表れては消えていく。「周辺のヘリウム採掘船も皆、バルハザール軍の接近を察知して退避しています。大気圏内に避難する船もあり、気圧式の曳光ブイを放出して滞空しているようですが実害はないでしょう。予定針路上に障害物なし。ご指示があり次第、いつでも出港できます」
頷き、あらためてホログラフ上で異常がないことをざっと確認するとリガルは命じた。
「計画を承認、これより出港する。錨を上げるぞ、アキ。第一段階加速、開始」
ひときわパワーコアの唸りが大きくなったと感じられた次の瞬間、船長席の背もたれに体が押し付けられた。
返事をする代わりに、アキはリガルの立てた計画通り最大出力での加速を開始していた。巨大な船尾のプラズマ反動推進エンジンから青白く長大な推進炎が吹き出し、全身のアポジモーターを噴射して姿勢を制御しながら<アクトウェイ>の巨大な船体が宇宙空間へと弾き出された。
進路上にはどのような物体も存在しなかったが、船尾側となれば話は別だ。多くの船は<アクトウェイ>の機関が始動したことにすら気付いていなかったので、回避のしようもなかった。突如として<アクトウェイ>の推進剤の残滓を浴びる羽目になった周辺の採掘船やヘリウム輸送船から雨あられと罵詈雑言が浴びせかけられる。向けられた怒りすらもエネルギーへと変えているのか、<アクトウェイ>の加速が極まりリガルは呼吸すらままならない。
この短時間で立案した計画は単純なものだ。まずメキシコ・サードから進発し衛星軌道からホーマン遷移を行って静止軌道に移る。軌道が安定した直後、さらに加速を行いフォーマン星系へ向かう跳躍点へ軌道を遷移、その際メキシコ・サードの大気上層を掠めるように進み、希薄な上層大気を利用した強引な減速とフライバイを併用して本命であるクイナレ星系方面の跳躍点へと飛び出すのだ。この時、メキシコ・サード周辺を巡る必要があるがリガルはその際にわずかに傾斜角をつけて公転基準面から十五度ほど上方へ<アクトウェイ>が飛び出すように仕向けた。強引な機動が連続するが、これを可能とするだけの能力を<アクトウェイ>が持っていると信じるしかない。
第一段階の加速が完了し、滑らかな動きで<アクトウェイ>が静止衛星軌道へと向かう。予想を上回る驚異的な機動力にリガルは内心で舌を巻いた。この船は、外見から読み取れる以上の推力重量比を持っているようだ。本気になればあっという間に人間などぺしゃんこになってしまう。
青い尾を引いて、神秘的な輝きを後に残し<アクトウェイ>は虚空を突き進む。
重力工学を駆使した慣性補正装置の出力を上回る加速度を身に受けたリガルを気遣ってか、アキは隣席につき平然としていながら、船長席の周囲に展開していたホログラフのいくつかを削除して戦術図を大きく目前に投影しなおす。
正直なところ、一見して力業、無茶苦茶な機動を設定したのは<アクトウェイ>の性能を見たいという興味が理由の半分だった。軍人時代にも初等訓練課程における耐G訓練でしか味わったことのない負荷に息が切れ、また行う予定の加速に備える。
<アクトウェイ>が凄まじい速力を発揮し静止衛星軌道へ遷移したのを見て、迫りくるバルハザール宇宙軍の戦隊が散開し始めた。機動性に驚きながらも素早く対応している。敵の指揮官は<アクトウェイ>がフォーマン星系かクイナレ星系へ離脱する軌道を取るかの二択だと考え、戦隊の陣形を広げたのだろう。メキシコ・サードを利用したフライバイを行うこともわかっているはずだから、簡潔な指示で包囲機動は行えるはずだ。
折から、戦隊からの通信が届いたことを電子音と小さなワイプが告げた。加速が終わり自由に動かせるようになった右腕を持ち上げ、ホログラフの応答ボタンに触れる。
「わたしはバルハザール宇宙軍、キンジャール中佐だ。メキシコ・サード周辺の船舶は例外なく機関を停止し、わが軍の指示あるまで活動を停止せよ。従わざる場合は攻撃する」
右手指で銃を作り、アキへ向け発砲した。彼女はリアクションを取ることもなくリガルのジェスチャーをまじまじと見つめている。
「動くな! と、いうことかな」
「はあ……それで、いかがいたしますか? 返信を行うのであれば、準備は整っておりますが」
「いや、無視していい。ああそれと、第二段階加速はおれの合図を待て」
キンジャールと名乗るバルハザール宇宙軍の中佐は、間違いなく五年前まで続いていたバルハザール内戦で経験を積んだ歴戦の士官だろう。戦隊旗艦と思しき軽巡洋艦を中心に駆逐艦四隻を散開させ、<アクトウェイ>がいつ、どこへ向けて加速したとしてもインターセプトできるよう隊形を整えている。素早く無駄のない動きから、内戦時代からこの五隻は行動を共にしてきたのかもしれない。
だが加速はできないはずだ、とリガルは二年ぶりの戦闘思考の中で確信を抱く。<アクトウェイ>はまだ最終軌道を確定させていない。メキシコ星系から脱出するにはふたつある跳躍点のどちらかに向かうしかないとはいえ、キンジャールは<アクトウェイ>の次の一手を見極めてから戦隊へ指示を出すよりほかない。
敵戦隊のやや広がった隊形から伸びる予測進路は、まるでガス惑星へ投げかけられた投網だ。しかしただの投網ではない。あと十五分もすれば中性粒子砲の射程範囲に入る。射程範囲を考えれば網につかまる範囲は見かけよりもかなり大きいものとして考慮しなければならない。
「せっかちな野郎なら、今度は名指しで警告してくるかもな」
呟くと、アキが振り返った。
「キンジャール中佐から再度の通信です」
「<アクトウェイ>号へ告げる。即座に機関を停止し、我が方の統制下に入れ。従わざる場合は攻撃する」
どうしてわかったのですか、というアキの顔にありありと浮かんだ疑問を無視する。耳ではキンジャールの剣呑な警告の声を聞きながら、目はホログラフが投影する戦術図を睨んでいた。
リガルは軽く握った拳で船長席の肘掛けを叩く。
「第二段階加速、開始」
言い終わるや否や、<アクトウェイ>は船首をメキシコ・サードの上層大気付近へ向ける。流れるようにスムーズな姿勢制御。そして再びの大加速。ホログラフの中でゆっくりと回転しているだけだった巨大なガス惑星が見る間に近付き、視界のほとんどを灰色と茶色のまだら模様が占めた。
「敵戦隊、発砲を開始」
相対距離が二七光秒離れているというのに、キンジャールは攻撃を開始したらしい。<アクトウェイ>の想定進路上へ向けていくつもの中性粒子砲の青白い光条が伸びていく。砲火は全て<アクトウェイ>の撒き散らす推進剤を切り裂くに留まり、散開した駆逐艦四隻のエンジンが輝いて速度を増した。
<アクトウェイ>の軌道はフォーマン星系への跳躍点に定められているように見えるよう調整されている。キンジャール中佐は<アクトウェイ>が距離的にも近い同星系から離脱すると判断するはずだ。何しろ<アクトウェイ>は軍用艦艇ではない。戦闘時に適切な判断を下すことのできる人間が乗り組んでいるとは予想だにしないだろうし、たった一人で操船しているということは想像のさらに外側にあるに違いない。実際に駆逐艦四隻が砲撃しつつ取った軌道は、キンジャールが逃走経路としてクイナレ星系を選ばなかったと判断したことを如実に示している。全ての駆逐艦の妨害軌道はクイナレ星系方面にむかっていた。
お前は気付いているか、キンジャール。<アクトウェイ>の加速は、第一段階ほど強くはないと。
リガルが立てた計画通り、アキは<アクトウェイ>の加速を継続したままアポジモーターを稼働させて姿勢を変えた。進行方向に対し角度をつけて主機を吹かす強引な旋回である。メキシコ・サードの引力を利用したフライバイ軌道に入っていた<アクトウェイ>はガス惑星の上層大気にさらに深く食い込む軌道を取り、最後の加速を始めた。
今度こそ薄れゆく意識の中で、幻想的な風景にリガルは息を飲んだ。
メタンとヘリウム、そして水素の混合大気がAPS装甲に衝突し、荷電粒子の渦となって目映い輝きを放つ。流星となった<アクトウェイ>は径の小さな弧を描きながら引力と主機により強烈な加速を行い、凄まじい速度で宇宙空間へと飛び出した。
四隻の駆逐艦は<アクトウェイ>の機動にまったく追いつけず、フォーマン星系行きの跳躍点から遅ればせながらクイナレ星系への跳躍点へ舳先を向け始めた。そのためにはまず減速を行わなければならない。仮に今すぐ体勢を立て直したとして、<アクトウェイ>に追いつくほどの加速を行うことは物理法則を無視しない限り不可能だ。
軌道が安定し、信じられないほどの高速でアクトウェイがクイナレ星系方面の跳躍点へ向かう軌道を進み始めると、慣性補正装置を突き破り身体にかかっていた加速度から解放される。巨人の手で押さえつけられていたかのような負荷が消え去り、リガルは大きく咳き込んだ。全身に汗をかき、動悸に震える。いくら息を吸い込んでも酸素が足りない。気絶しそうなほどに苦しい。
ひたすら全身に酸素を供給することに専念していると、いつの間にか隣に立っていたアキが保温ポットを差し出してきた。一口飲むと、ただの冷水だった。今は何よりもそれがありがたく、再び口をつけると一息に飲み干す。
ようやく呼吸の落ち着いてきたリガルがポットをアキへ突き返す。
「こんどキンジャールから通信があったら、こう言っておけ。『くそくらえ』ってな」
「了解しました、船長」
口元を拭う手を止めて、リガルはアキを見つめた。
「船長……船長、か」
震える手を動かしてコンソールを打鍵する。メキシコ星系が縮小され、レイズ星間連合の領宙となる。いくつもの星系が連なる中、メキシコ星系から首都星系マルメディスに至るまでの二つの星系が明るく輝いた。
「だが、正式に船長になるには、まだかかりそうだ」
二年前に退役してから、ようやく自分自身を取り戻すきっかけに手がかかった気がする。
静かに彼を見つめ返す星の海が船橋を覆う。その冷たい光の瞬きが意味するのは、歓迎か、拒絶か。
どちらでもいい、この船でなら何物をも乗り越えていけるだろう。そして当然のように、アキは傍で寄り添っているに違いない。もはや、人生はこの船を無しに進めることができないのだ。
「操船、見事だった。<アクトウェイ>なら、宇宙の果てまで届きそうだ」
「届くでしょうか、はるか遠いところまで」
「宇宙の反対側だって、届いて見せるさ」
船長席をリクライニングし、汗ばみ火照った身体を横たえる。
今はただ、この星の海と相対していたかった。星々の瞬きが歓迎するようにリガルを覆う。
程なくして、メキシコ・サードは制圧された。軽巡洋艦と駆逐艦といえど、民間船からすれば想像を絶する破壊力を持った軍用艦艇であることには違いない。ガス惑星の全周を取り巻くように戦隊が再配置を完了するまでの隙を突き、<ファーベンス>はメキシコ・プライムへ向け加速して離脱した。ディウダは腕がいい、とあらためてリガルは舌を巻く。あの様子なら、ひとまずすぐにやられることはないだろう。
キンジャール中佐はこれで二度の不手際を演じたことになるが、<アクトウェイ>を追う術はもはや無い。虚空を驀進する一隻の船はもう遠くへ、素早く離れていった。
<ファーベンス>はメキシコ星系各所へ散らばった二三隻のバルハザール宇宙軍に対してゲリラ戦を展開することになるだろう。ディウダ少佐もカルツィオ中佐も、リガルにとっては気に入らない国防軍人でしかなかったが、その前途に待ち受ける困難の数々に少なからずの祈りを捧げずにはいられなかった。




