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遼遠のノクス・リーガル  作者: 夏木裕佑
Act.1 来訪と船出
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4/23

Eps.4

 第三番ガス惑星(メキシコ・サード)にはヘリウム採掘プラントがいくつも浮かんでいる。その形は画一的ではありつつも軌道離心率や質量により様々で、真空から内部を保護する外殻の侵蝕度合いがそのまま年代を表していた。

 メキシコ星系は理想的な地球型惑星であるメキシコ・プライムを有するばかりか、メキシコ・サードが巨大な燃料タンクとして機能するため、恒星間経済に必要な航宙船の活動を下支えすることで経済の骨子を担っている。経済発展に必要なのは産業基盤と、それを支えるエネルギー産業、そして豊富な人口。メキシコ星系はそのいずれも備えている。

 そのためメキシコ・サードは味気ない命名規則でつけられた単純な名前からは想像がつかないほどの価値を持つ。燃料供給という観点ではレイズ国内のみならず周辺国家をも巻き込んだ影響力があり、コロニカル・メビウスの一角で巨大な燃料供給地として戦略的価値を発揮する。アクセスの容易な燃料基地はオリオン腕全域で見ても数えるほどしか存在しない。

 銀河連合に加盟する十七ヶ国を繋ぐ環状経済航路(コロニカル・メビウス)はオリオン腕の巨大な物流、その中核を為す環状の星間航路だ。メキシコ星系もその一端に属している。いくつもの星系をまたがり長距離の物資輸送を行う宙運会社や独立商人にとっては、休暇も取れれば燃料補給もできるメキシコ星系のような豊かな星系は寄港地としてうってつけだった。経済、また地政学的事情から、メキシコ・サードで採掘されるヘリウム3は系内というより系外への輸出および提供を行う割合が多い。系内にとどまらない需要が集中するためにメキシコ・サードの低軌道上に並ぶ採掘プラントの数は大小含め十二を数え、各プラントで制御される無数の無人採掘船がガス惑星の大気圏内とを絶え間なく往還している。

 蟻のように小さな採掘船が、系内輸送船の外殻にヘリウムの充填されたコンテナを次々と敷き詰めていく。コンテナは両端が半球形の円筒で、その周囲を保護材が何重にも巻きつけられ、最終的に四角柱となって隙間なく積められていく。

 出発地と目的地が決まり切っている系内輸送船は各々の目的地へ向け最適な航路を選択し航行するため、まるで一本の橋が渡されているかのように船が連なる壮大な景色が見られた。その様子は観光船の運営が出されるほど幻想的で、宇宙空間に星間文明を築き上げた人類の偉業を再確認するまたとない機会として、多くの市民に親しまれている。特にメキシコ・プライムの学校教育にはうってつけだ。

 メキシコ・サードの衛星は五つあり、それぞれが大気のない低重力の岩石惑星であるため、地表には乾ドックが軒を連ねて大量に必要とされる航宙船の整備事業を賄っている。短期間の息抜きに最適な地下をくりぬいた商業コロニーまでもが集中していて、航宙ビーコンが所狭しと並んでは交通整理のための各種情報を光速で交換し数百隻の軌道を統制する。そしてその親玉たる公宙管理局は無秩序の中に秩序をもたらそうと日夜奮闘するのだ。他には連合警備隊のステーションも整備されており船舶同士の衝突をはじめとする事故への備えも万全である。

 にぎやかに成熟したメキシコ・サードの衛星軌道に展開する経済圏だが、最も発展した二番目の大きさと安定した軌道を持つ衛星の軌道上に、一隻の黒い船が隔世の感を漂わせながら浮かんでいるのは誰の目にも留まることはなかった。

 巨大な輸送船と並べばその体躯は細く全長でも劣っている。しかし決して見劣りしない威厳が息づいているその船影は、星々の一部よりも漆黒の闇をこそ好み、ただ静かにその時を待っていた。

 メキシコ・プライムを離脱した<ファーベンス>がメキシコ・サードへ到達するまで三日。効率度外視の最大速度でメキシコ・サードの重力圏へ到達した<ファーベンス>が船尾を前方へ向け減速しつつ衛星軌道に遷移し、非常に洗練された無駄のない動きで黒い船、<アクトウェイ>の近傍で停止した。

 ディウダ少佐の操船は文句の付けようもないものだった。退役軍人崩れと情報軍中佐を前にして下手を打てないと気負ったのかもしれないが、いい腕をしているのは確かだ。

 <ファーベンス>の格納庫で待機していたシャトルへEXU、カルツィオ、そしてアキと共に乗り込んだリガルは、三次元ディスプレイが投影表示するホログラフの小さな窓から船外へと視線を投げる。透明な窓ではなく高精細な立体映像だからか、手を伸ばせばすぐに真空に触れることができそうだ。

 唐突に三日間の航海を強いられたため着の身着のままの状態だったから、国防宇宙軍の乗組員と同じ生活を送る羽目になった。身に沁みついた生活習慣と共に軍務に服していた記憶がまざまざと蘇り、体には馴染んだものの苛立ちばかりが募る生活だった。特に支給された国防宇宙軍の航宙服じゃ、二年前に自身が身に着けていたものをわざわざ持ってきたのではないかと思えるほどに体に吸い付くようであり、自分がどんな立場なのかを否が応でも再認識させられる。民間人の立場であり軍規に縛られることはなかったものの閉鎖空間である航宙艦の中では制約が多く、気分転換と言えば艦内をぶらついたり展望デッキから宇宙空間を眺めるくらいのものだった。

 短いが苦痛に満ちた航海が終わり、身柄を拘束された際に身に着けていたジャケットを羽織っている今は釈放された犯罪者よろしく清々しい気分だ。<ファーベンス>は駆逐艦としては乗り心地がよかったし乗組員も親切とはいえないまでも適切な距離を保ってくれたからまだましだったと思いたい。

 シャトルは定員が一六名の中型機で、これはメキシコ・プライムでリガルがEXUの工作員に拉致された際と同じ機体だった。軌道エレベーターから飛び出してシャトルへ向かう時の記憶と同じ位置に擦り傷や塗装の剥げた場所があった。パイロットも同じと思われ、出迎えに出てきた真空作業服姿のまま口元を歪めて挙手敬礼する。ややふざけた態度のシャトルパイロットには腕の悪いものはいない、というのが軍人時代に得た教訓のひとつでもある。リガルは苦笑いもせずに憮然としたままハッチをくぐり席に着いた。

 隣の席には相変わらず影のように付き従うアキの姿がある。彼女はといえば、生体端末であるからいつも同じ黒い航宙服姿だ。航宙船特有の惑星上と比して低い気温で調整された空調や、多少の火災や作業でも問題の無いよう厚手で通気性に優れた合成生地で編まれたものだ。リガルが見たところ、レイズ星間連合の民間企業が採用する一般的なものよりも進んだ技術を用いて製作されているようだ。高級感というよりは純粋なハイグレードモデルといった質感なのである。年々、予算が縮小されている国防宇宙軍ではこうもいくまい、そして自分もこれを身に着けることになるのかと思うと少し胸が躍る。

 こんなものばかりに見覚えがあるというのも難儀なものだなと考えながら差し入れされた保温ポットに口をつけてコーヒーを啜る。何十万と存在する国防軍人全員へ行き渡るよう配慮されたコーヒーの味はお世辞にも洗練されたものとはいえない。苦味とカフェインだけを目的とした飲料と考えれば飲み下せるが、ほんの数日前まで市販の味がいいものを飲んでいた身としては震えがくるほど不味い。

「けっこう人たらしなのね」

 首をひねって後ろの座席から上半身を乗り出している女を見上げる。リガルに向けて骨を折るといったEXUのあの女だ。金木犀の匂いがあたりにただよい、機内が彼女の色に染め上げられたかのようだ。

 三日間の航海中は姿を見なかった。当然ながらあまりいい印象がないので、リガルは肩を竦めて無視を決め込むが、女はお構いなしに頭の上でしゃべり始めた。

「最初は乗組員にも煙たがれてたけど、たった三日であなたの文句を言う人間はいなくなった。それどころかコーヒーの差し入れなんて気遣いまでしてもらえるなんて、軍人時代に身に着いた人心掌握術が功を奏したのかしら?」

「特に何かした覚えはない。おれはただ、暇だから船内のあちこちをぶらついていただけだ」

「ぶらつくだけの割には、色々と口を出していたわよね。砲術士官の仕事に助言をするのがあなたにとっての散歩であるなら、一般的な意味合いからは大きくかけ離れてる」

「向こうから声をかけてくるんだから、無視するわけにもいかないだろ。ずっと乗り組むならまだしも、たった三日で嫌われて船を降りるのも癪だしな」

「本当に?」

 ただの暇つぶし以上の意図を感じ、リガルは眉根に皺を寄せながら女を睨んだ。何が言いたいにせよ、こういうタイプの女が詰問してくるからには彼女なりの回答を既に腹の中に持っているはずだ。そして、それはリガル本人にとり喜ばしいものではありえない。

「どういう意味だ、何が言いたい?」

 見定めるような眼で、女はリガルの黒い瞳を凝視した。侮蔑でも称賛でもない、用心深い目つきだから落ち着かない。目の色を確かめているのだと気付いてからは猶更だ。ともすれば次の瞬間には細く白い指が伸びて首をひねるかもしれない。その想像は突拍子が無いとも言い切れない。現代の情報工作員は時に惑星上でただ一人、危険な任務を請け負うこともある。高すぎる専門性と比例して、この女の持つ戦闘技術はリガルの想像をはるかに超えたものであるはずなのだ。

「目の色は確かなようね」納得し切ってはいない様子で女は頬杖をつく。「なるほど、サレイド・カルツィオが危険視するわけだ。あなたはレイズ星間連合にとって劇薬になりうる人物なのね。惑星上で安穏と暮らしを送ることなんてできるはずがない」

「奴がおれを危険視していたのは二年も前だ。今は軍人でも民間人でもない、犯罪者の身分だよ。そうしたのはあいつで、そしてあいつのやったことは間違いなく効果を発揮している。いまこの瞬間にも、<ファーベンス>の中でさえ大馬鹿野郎だと噂してるに違いない」

「わたしが言いたいのは現状の話ではなくて、将来の可能性についてよ。『銀河一の大馬鹿野郎』には今も熱烈なファンがいるってことを気付いていないなら自覚なさい、大尉」

「おれは大尉じゃないって言ってるだろ」

「駄々をこねないの」子供を躾ける母親のように真剣な目で、「人間ほど宇宙に憧れる知性はないけど、人間ほど色々なものを宇宙へ持ちこむ存在も他にない。望むと望まざるとに限らず、自身についた名前は意味を与える。そして繰り返し呼ばれる名前であればこそ、大きな影響力を持つもの。宇宙に暮らすものであるなら、真空と絶対零度であっても社会を断絶するには不十分であると気付くべきよ」

 意味深長なことを嘯いて女は席を立ち、コックピットへと姿を消した。何の花かはわからないが、やけに印象に残るコロンのにおいを残して去っていくその背中をじっと見つめたまま、アキが不思議そうに首を傾げた。

「ただコーヒーを差し入れされただけで、あの人が言うほど重大な意味を持つのですか?」

「どうもそうらしい。理由は聞くなよ、おれにもわからん」

 女の言葉は理解できるが、信じたくない話だ。世間一般からリガルへ対するそうした反応はすべからく、ありうべからざるものに違いない。侮蔑と嘲笑の対象となった過去の呼び名はカルツィオが名付け親だ。あの男の宣伝工作のせいで市井では肩身の狭い暮らしをしなければならなくなった。

 追及されたくはないので生返事を返すと、アキがまた何か言いかけたのでホログラフの映像を指さして話題を変える。

「ところで、<アクトウェイ>は、すぐにでも出港できる状態なのか? バルハザール宇宙軍の艦艇が追尾しているんだろ。何日も暇を食ってるわけにもいかん。可能な限り早く行動する必要がある」

「まず敵勢に関してですが、離艦直前に取得した情報では駆逐艦四隻と軽巡洋艦一隻が隊形を離脱し、メキシコ・サードへと接近しつつあるということです。内戦後のバルハザール宇宙軍の編成については不確かですが、一個戦隊というところでしょう。敵艦艇の性能諸元を正確に把握してはおりませんが、国防宇宙軍の同型艦の性能を参考にすると、現在時刻からおよそ四時間以内に出港できなければ捕捉される可能性が高い計算になります。移乗後ただちに出港した場合でも、追跡を逃れるためにはひと工夫が必要です」

「補給はまだなのか。あのサイズの船なら、物資搬入だけでも丸二日はかかる」

「四カ月の連続航行に必要な物資を事前に搬入してあります。弾薬類も、最低限ですが搭載して——」

「武装しているのか?」

「ええ、ノーマッドの船ですから。驚きましたか?」

 近年、軍縮気運による国防宇宙軍の予算削減とは対照的に連合警備隊の予算は増額された。メキシコ星系はまだ安泰だが、アルファ象限と呼ばれる宙域は居住惑星が少なく、大規模な拠点を構えられないことと、コロニカル・メビウスにほど近いこともあり海賊の根城となってしまった。警備隊も民間用ステーションの増築や長期間の哨戒任務にも耐えうるフリゲート艦の調達で対抗しているが、海賊勢力の脅威は日毎に増すばかりで、士官学校を卒業後は連合警備隊でキャリアを積み栄達を目指すのが最近の出世コースとなっていた。

 増強された連合警備隊であっても、常日頃の輸送船護衛やちょっとした用心棒のような仕事まで連合警備隊に任せるわけにはいかない。治安維持任務と警備任務は明確に線引きされている。そこでノーマッドの出番というわけだ。

 ノーマッドは傭兵や冒険家として真空中に居を構える船乗りたちの総称で、輸送船の護衛や未踏査宙域の探査など、危険で割の合わない仕事を受注し生計を立てている船乗りたちを指す。

 法律により自衛用の武装の搭載が認可されており、入港の度に搭載武装や弾薬類の変化を申告し、細かな管理を求められる。航宙管理局とはまた別の法制執行機関を設けることが銀河連合加盟国には義務付けられており、海賊やテロリスト、あるいは別国家の武装勢力に対して高性能な兵器が横流しされることを阻止するための、巨大かつ肌理の細かい網がかけられていて、その脅威度は慎重にコントロールされていた。

 治安維持組織では賄いきれない自衛手段の需要と、反社会勢力への武器の流出を天秤にかけた結果としての法整備、そしてノーマッドの台頭なのだった。<アクトウェイ>が武装しているというのも、銀河連合法とレイズ星間連合の公宙法に則った範囲で用意されているはずだが、そもそもの出自が幽霊船(ゴーストシップ)であることからどんな兵器が搭載されているかは思いもよらない。

 そういえば自分は犯罪者の身分として身柄を拘束されているのではなかったか。そう考えるリガルの思考を読んだのか、あのミステリアスな女と入れ替わりにコックピットからやってきたサレイド・カルツィオ中佐が横から口を挟んだ。

「犯罪者なのだから、武装しているのは当然だろう。法解釈としては何も問題はない、違法であることには変わりないのだから。そうした意味では国防宇宙軍の保有する対艦ミサイルを融通してもいいくらいだが、そうなるとこちらが違法となるのでな」

「あのな、おれは何も法を犯していないし、濡れ衣にもほどがある。だいいち犯罪者の身分で伝令役なんて信用されるのかよ。マルメディスに到着した途端に取り囲まれて袋叩きにされるのは勘弁だ」

「これを持て」

 リガルの質問を無視し、旧地球のニホンという国でよく放映されていた時代劇の悪代官のようになんの悪びれもせず、カルツィオは手に持っていたケースを差し出した。半ば放り出された格好のそれを反射的に受け取ると、予想以上の重量に身体のほうが押し返された。

「マルメディス星系の艦隊司令部へ連絡する情報を集約し、このケースの中へ物理情報媒体として保存した。情報軍の技術でな、石英に電磁的な加工を施すことで改ざんの余地はないし、読み取ろうとすれば必ず痕跡が残るようになっている。然るべき能力を持つ情報機関であればプロトコルを解除し情報を抽出できるように封印措置も施した。そもそも不可能ではあると思うが、身の安全を考えるならば間違っても開けようと思わないことだ。君の身の上を保証するものでもある」

「わかってるよ……こいつを無事にマルメディス星系へ届ければ、おれのありもしない前科は消える。そういうことだろ」

 カルツィオの骨ばった指がするりと伸びてケースを指さす。

「貴重な記憶領域を使って、君の犯罪歴が便宜的にでっち上げたものであることも追記してある。ともかく、これを艦隊司令部へ届ければ君への依頼は報酬譲渡を含め完了する手筈だ」

「艦隊司令部にこいつが届きさえすれば、後は自動的に手続きが進むというわけか」

 カルツィオは頷く。

「君自身が事の仔細を報告するよりも、こうして物理的な措置により情報伝達を行うほうが、艦隊司令部にとっても疑念の余地なく状況を認識できるということだ」

「おれの立場は極めて弱いものだ。あんたが嘘をついていないことを祈るしかない」

「事実だから祈る必要はない。ただ理解してもらえればいいのだ」

 まるで個人の祈りにさえ国防予算が割かれているような言い草を鼻で笑ったところで、シャトルの操縦手から到着五分前とアナウンスが入った。席を立とうとして、リガルはふと湧いた疑問をカルツィオへぶつける。

「なあ、あんたはどうするんだ。バルハザール軍が進駐すれば目の敵にされるだろう。いくら機密情報を処分したって、脳味噌まではいじれない。捕縛されて尋問されたって、廃人にされるのが落ちだ」

 僅かに片眉を吊り上げるのは、カルツィオにとって稀有な驚きを示す仕草だ。

「わたしの身を案じてくれているのかね?」

「馬鹿言え」不快感も露わに、リガルは頭を振る。「おれが気にしてるのはこの国のことだ。バルハザールは最近まで内戦をしていたからな、裏でどんな組織が連帯しているかわかったものじゃない。国防機密が拡散すれば手に負えなくなる。情報軍としても、ただバルハザール軍が激発して突発的に始まった戦争だなんて考えていないんだろ」

「その点は安心してもらうしかない。情報軍も馬鹿ではないのだ、大尉。君の懸念はとうに検討され、対策が練られている」

「情報軍の用意周到さは折り紙付きだとこの三日間で痛感したからな。あんた以外の情報員も同じようであると思いたいよ」

 アタッシュケースの取っ手を握り締める。いまさら国防意識に目覚めたわけでもないが、この戦争の行く末を考えればリガルですら心中穏やかではいられなかった。

 そもそも、サレイド・カルツィオのように抜け目のない、化け狐を相手にポーカーをしても渡り合える男がこのような強硬手段に出ている状況そのものが、レイズの劣勢を示しているのだ。バルハザールの奇襲攻撃は今のところ完璧な成功をおさめていると言っていい。本来であれば、このような想定外の事態を防ぐために情報軍は存在しているはずなのだ。外交や情報戦における失態の尻拭いをするのは予算不足の国防軍傘下の各部隊で、彼らが本腰を上げてバルハザール宇宙軍を迎え撃つためには一刻も早くマルメディス星系の艦隊司令部へ連絡せねばならない。

 非常重大な時局で一刻を争う役目を負わされたリガルは心底この依頼が嫌になってきたが、船一隻を報酬としてぶら下げられては首を縦に振るしかなかった。これは人生でまたとない、再び宇宙へ羽ばたくための機会なのだ。国防宇宙軍の軍人として戦列に舳先を並べるわけでもなし、この程度の苦労は請け負うべきだろう。

 三日前には想像だにしなかった宇宙への道が開けていることに、リガルは内心穏やかではいられなかった。不承不承ながら、カルツィオの言う通りこれがリガルにとって最も理想的な()()への片道切符であることは疑いようもない。

 あらためて<アクトウェイ>を映すホログラフへ目を転じると、シャトルが接近するにつれてぐんぐんと画面いっぱいに広がる黒い外殻が見えた。見れば見るほど異質な質感を持つ外板は滑らかで、時々、長い航行を経た船舶に見られる微小粒子が高速で滑っていった擦過痕が見える。だがその傷も僅かに光るだけで、黒い。

 シャトルベイは船体中腹に口を開けており、そこだけは目の焦点を合わせるのに苦労しない場所だった。アキが遠隔操作をしたのか赤色の誘導灯が四本こちらへ伸びている。相対距離は二キロほどだろう、眼と鼻の先に迫った船体と衝突しないようにシャトルはアポジモーターを小刻みに吹かして<アクトウェイ>と系を同調させた。静止しているように見えるが、メキシコ・サードの重力と衛星を周回する軌道それぞれを考慮して速度を調整しなければならず、一筋縄ではいかないのだ。

 あちらこちらへ揺さぶられながらホログラフを見つめ続けていると、照明で明るく照らし出されたシャトルベイの内部構造がはっきりと見て取れた。同じサイズのシャトルであればあと二機は格納できそうなほど余裕がある。そしてやはり、格納庫の設備こそ標準規格らしいがその構造には見覚えが無い。実際に内部構造を見ればどこの造船企業が製造したのかわかるのではないかと思っていたが、これは本当に不可思議な船のようだ。

 ホログラフによる機外映像が途切れた十数秒後に僅かな振動が伝わってきた。シャトルベイの固定アームが機体を掴み、横滑りに<アクトウェイ>の腹の中へ引っ張り込んだのだろう。そのころにはEXUの男女が全員カルツィオの周辺に物も言わず待機していた。全員が感情の読めない視線をリガルへ射込んでいる。

「ドッキング完了、機外環境問題なし」

 アナウンスに対して小さくうなずいてみせると、カルツィオは思いがけない一言を放った。

「君が先に降りたまえ」

「おれが?」

 問い返すと、相槌を打って隣に座るアキが頷いた。

「<アクトウェイ>は、あなたの船ですから」

 リガルはアキの、黄色がかったブラウンの瞳を真っすぐに見た。波打った白髪は眩しく、その眼差しは機械知性のものであれ、底知れぬ信頼感に満ち溢れているようだ。

 大きく息を吸い込み、ケースをアキの胸へ押し付けて席を立つ。既に<アクトウェイ>の船内重力を受けているので、両足でしっかりシャトルの擦り切れた床面を踏みしめた。こつこつとブーツの音を響かせてハッチの前に立つと、カルツィオが制御パネルに手を触れて機密壁を開いた。

 横滑りして隔壁が身を避けると、目映い光が切れ目から差し込み、リガルの網膜を焼いた。目を細めながら、意を決して足を踏み下ろす。

 横付けされたタラップは無人のドローリーが運んできたようだ。他に迎える人影もない格納庫は耳が痛いほどの静けさに満ちている。ひんやりとした航宙船特有の乾燥した空気に触れて身震するも、果たして本当に気温せいばかりであっただろうか。

 アキと共にタラップを降り切り、リガルは<アクトウェイ>に移乗した。

 隣ではアキが微笑んでいる。傍目からはそれとわからぬほど、ほんの僅かに口の端を持ち上げる程度だったが、確かにリガルには微笑んでいると認識できた。

「おかえりなさい、船長」

 彼女がその言葉をいつから用意していたのかリガルが知るのは、ずっと後のことである。

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