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遼遠のノクス・リーガル  作者: 夏木裕佑
Act.4 銀河一の大馬鹿野郎
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17/23

Eps.17

 クイナレ星系の戦いから二週間を経て、レイズ星間連合国防宇宙軍第一および第二艦隊と大型巡洋船<アクトウェイ>は、ようやくメキシコ星系方面の跳躍点に辿り着いた。

 戦いによって傷ついた各艦の応急修理は完了しているが、一隻の戦艦だけが恒星クイナレを巡る公転軌道へ向けてゆっくりと回航されていく。牽引しているのは軽巡洋艦<サーバス>で、同艦には負傷した将兵が生命維持装置の許容限界ぎりぎりまで詰め込まれていた。今も増員された医官たちが負傷者の面倒を見るのに大慌てのはずで、さらにはもう一隻の船を操作しなければならないため、寝る間もないほどだろう。

 戦闘が終息した後、各艦は互いに密集し救護活動および船体修復のために多くのリソースを融通し合った。メキシコ星系で大きな戦いを目前に控える今、負傷者は可能な限り後方移送することとされた。死者は最大限の敬意と共に、簡易的な棺に収められ、恒星クイナレに向けて射出された。宇宙葬の荘厳な景色は痛ましかった。疲れ切った将兵たちは仕事の手を止め、礼装軍服に身を包み黙祷と共に見送った。リガルら<アクトウェイ>のクルーも航宙服に喪章をつけて船橋で黙祷を捧げ、哀悼の意を示した。

 当初は大きな損害を被った第二艦隊旗艦、戦艦<パース>に死傷者を収容してセイル星系へ送り返そうとしたのだが、<パース>は艦橋の存在する中枢甲板まで届く甚大な損傷を負った状態であり、構造的な問題から加圧区画をじゅうぶんに確保できなかった。そのため、最も被害の大きかった——とはいえ、<パース>と比べれば無傷に近い——<サーバス>が牽引艦として選ばれ、セイル星系への帰還の途についたのだった。

 アステナが艦隊指揮権を掌握し事後処理を終える頃、戦闘の一部始終と今後の行動方針を含めた情報を<サーバス>に持たせ、セイル星系方面の跳躍点付近で監視任務を継続している駆逐艦<クファイル>にマルメディス星系へ伝令を送るよう命令を下した。とにもかくにも勝利したのである、その報せを届けるのは重要だった。

 淡々と仕事を進めながらも、れっきとした艦隊戦に初めて身を投じた<アクトウェイ>の乗組員たちは動揺していた。

 宇宙を渡る者であれば人間の生死がどれほど些末な問題に過ぎないのかを痛いほど理解している。しかし目の前で実際に大勢の命が奪われた瞬間を目の当たりにして、平静を保っていられる人間はほんの一握りだ。特にキャロッサは軍艦が被害を受けた際の地獄絵図にすっかりまいってしまった。リガルとイーライは曲がりなりにも実戦を経験した元軍人であるため、このような事態になるだろうと予測はしていたが、彼女は生え抜きの軍人ではなかった。

 ただ、キャロッサの抱えるストレスは現実を受け入れたためであるから見込みはある。イーライとセシル、時折フィリップが話し相手になり、だいぶ気が楽にはなったようだ。今では普段とほとんど変わらないが、ふとした拍子に記憶がよみがえるのか顔を顰めることがある。その時、だいたいはジュリーがハグするか、セシルが気遣わしげに背中を撫でるかだった。

 航宙船における医療は、惑星地表でのそれと比べて厳しい現実がある。宇宙空間は危険な放射線流が荒れ狂っているばかりか、忘れがちな事実ではあるものの外殻の向こう側は絶対零度と真空で満ちている。あらゆる生命にとって生存が絶望的な——絶望という表現すら希望的かもしれない——環境であり、医療技術とその従事者にとっても油断できない状況が航海の間にずっと続く。ましてや軍事行動が人間の身体にもたらす凄惨な影響といったら、まさに致命的だ。

 相変わらず程よい酸味で目が覚めるような味のするキャロッサのレモネードを保温ポットから口へ注ぎ込みながら、リガルは<アクトウェイ>の状態を示すいくつかのホログラフに目を走らせていた。<アクトウェイ>だけで見ればすこぶる良好で何の心配もない。だが次はいよいよメキシコ星系だ。この船に乗ってあの星系を後にした時には戻ってくるなど思いもよらなかったが、運命とは悪戯で編まれた糸のようなもので、人間を絡めとるのに嬉々としているに違いない。

 そろそろ、アステナ少将から会議の招集があるだろうか。そんなことを考えていると、二音階の警告音が鳴り響いて思わず身を強張らせた。これは状況に変化が起きた際に通知する音だ。好ましい印象はまったくない。

「メキシコ星系方面の跳躍点からワープアウトした物体あり」澱みないセシルの報告に乗組員たちが耳を澄ます。「これは、レイズ星間連合の駆逐艦です。一隻で、〇・一光速で進んでいます」

「艦名は?」

「いま誰何されて——先方から発信がありました。メキシコ星系防衛軍所属、ファスカロン級駆逐艦<ファーベンス>です」





「いい顔をしている。どうやら君の航海は万事順調のようだな、リガル船長」

 ディウダ少佐は疲れた顔で右手を差し出した。その手をしっかりと握り返しながら、リガルは記憶にあるよりも老け込んだ顔に頷きかける。

 メキシコ星系でサレイド・カルツィオの思惑に巻き込まれたという点では同じ立場である彼を、リガルは嫌いではなかった。実直な男だし、自分の船を操るということにかけては一流の腕前を持つ国防宇宙軍の士官だ。それに、二カ月半前に見た彼の顔には刻まれていなかった深い皺を見れば、疲れ切っているものの真摯な彼の言葉を無碍にできようはずもない。

 それに、とリガルは思う。この男は優秀な船乗りだし、話せば馬が合いそうな気がしていたものだ。

「万事というわけじゃないが、うまくやっているよ。あなたのおかげだ、少佐」

 最後にもういちど握った手に力を込めてから離すと、ディウダはさもありなんと首肯しながら自嘲気味な笑みをひらめかせた。世辞の中に込められた真心を、しっかりと受け止めてくれたようだ。

 メキシコ星系政府はバルハザール宇宙軍の降伏勧告に従ったが、星系防衛軍は独自に抵抗運動を実施していた、というのがディウダの報告だ。<ファーベンス>はメキシコ・サードで<アクトウェイ>が進発したあと、その混乱を利用して星系外縁部へ逃れていた。他に残存していた二隻の駆逐艦はメキシコ・プライムに係留されており、急速出港したもののバルハザール宇宙軍の侵攻艦隊に包囲され玉砕したという。その後、<ファーベンス>はメキシコ・サードよりも遠い軌道に軌道に向かいパワーコアの出力を下げて潜伏し、難を逃れた。

 もちろん、バルハザール軍は捜索のための戦隊をいくつか派遣してきた。何度も危ない場面があったらしいのだが、最終的にはろくに近代化もされていない敵のセンサーを欺く形で<ファーベンス>は生き残った。ここでもディウダはやはり有能な指揮官だったようで、敵が持たない情報、すなわち星系内を浮遊する天体情報をすべて洗い出し、その中に駆逐艦を紛れ込ませたのである。<アクトウェイ>が発見された時、公宙管理局が頭を悩ませた事例を真似たというわけだ。

 それでも捜索の手を掻い潜ることはできなくなり、最後は軽巡洋艦一隻と駆逐艦四隻を相手に大立ち回りを演じて脱出に成功した。

 二人が顔を合わせたのは第三艦隊旗艦<ウーズ>の会議室だ。イーライに留守を任せてシャトルで来たリガルとディウダ、そしていうまでもなく司令官のアステナと参謀長であるギンズ・バルトロメオを筆頭に幕僚の面々が顔を並べており、一頻りの挨拶が済んだところで椅子をすすめられたディウダが腰を下ろす。

 さて、というアステナの声で会議が始まった。

「ディウダ少佐、君の報告には目を通した。あらためて聞きたいのだが、メキシコ星系に敵軍が増派したのは事実なのだな?」

 背筋を伸ばしたディウダはきびきびと頷いた。

「その通りです、閣下。当初、奇襲攻撃を仕掛けてきたのは二三隻でしたが、現在は八二隻となりました。そのうち一二隻が輸送艦に準ずる支援艦であることを確認しているので、戦闘用艦艇に限れば七〇隻となります」

 幕僚たちの顔に暗い影が差す。損害をほとんど出さずに戦いを制したとはいえ、レイズ艦隊は六六隻。数的有利を確保するにも至らず、クイナレ星系の戦いの疲労を引きずり弾薬も損耗した状態で戦闘に臨むことになる。各艦の損害は軽微で戦闘能力を保ったままであるのが唯一の救いか。

 バルトロメオがちらりとアステナへ目配せする。微かに頷いて、彼は発言を許可した。

「追跡されてはいなかったのか。<ファーベンス>はメキシコ星系の情報を持っているわけだろう。国防宇宙軍にとっては喉から手が出るほど欲しい敵情を。それに、敵としては真っ先にクイナレ星系方面の跳躍点を封鎖しにかかるのが定石だと思うが」

 考えてみれば当然のことだ、とリガルも頷く。メキシコ星系の交通を遮断しなければ、せっかく占領した宙域の情報が国防宇宙軍へ流れてしまう。少なくとも一個戦隊をクイナレ星系方面の跳躍点へ駐留させ、万が一にも航宙船が出ていかないように管制させるだろう。

「カルツィオ中佐も同じことを仰っておられました」

 名前を聞いた途端に、リガルは顔をしかめたが、意外にも同じような反応を示したのはバルトロメオだった。彼は眼鏡の奥で目を細め、彼にしては珍しい不快感も露わに口元を歪める。

「情報軍のサレイド・カルツィオ中佐か?」

「はい、そうです。ご存じなのですか?」

「以前、第一艦隊の演習のために兵站計画を立てたのだが、『重要機密の秘匿運搬』を理由に演習の一週間前に変更を余儀なくされたことがあった。あの時ばかりは……いや、それはいい。あの冷血漢は気に食わないが、情報戦にかけては随一であることは否定できない。彼は何と言ったのだ?」

「はぁ……ええと、かの御仁によると、バルハザール宇宙軍は内戦終結に伴い軍内部の粛清もおざなりなようで、勝利した軍閥の指揮官にとっては昇進ポストが我が国以上に不足しているのだとか」

「そのため、民間船を管制するために星系外縁部へ派遣されるような役を負いたがる指揮官がいなかった、というわけか。バルハザール軍人にとっては、左遷に近い扱いのはずだからな」

「ですが、我が艦が離脱する際には一個戦隊が派遣されました。だからこそメキシコ星系を離れる必要があったわけですが」ディウダが唐突にリガルを振り返り、会議室の面々の注目が集まる。「リガル船長、第三番惑星(メキシコ・サード)を攻撃してきたバルハザール宇宙軍の戦隊指揮官を覚えているか?」

 記憶を掘り起こす。<アクトウェイ>に乗船した直後の出来事であるため鮮明に思い出すことができた。

「その派遣だか左遷だかされた戦隊指揮官は、キンジャール中佐なのか?」

「そうだ。君を取り逃がしたことで、彼は立場が弱くなったようだ。たった一隻の民間船を五隻で仕留められなかったからだろう。わたしが思うに、あの脱出劇は君の腕前によるところが大きかったわけだが、キンジャールが油断し切っていたのも要因のひとつだ。申し開きはできなかっただろう」

「バルハザールは未だに軍閥時代からの政治的競争が激しい慣習をなぞっているというわけか。そうなれば、キンジャールのバルハザール軍内での立場は危うい、お先真っ暗と言ってよさそうだな」

「だとすれば、勝機はじゅうぶんにある」

 アステナの言葉に全員が背筋を伸ばす。彼は黒い髪と瞳で一同を見渡した。

「今のバルハザールにとって、七〇隻という数は機動兵力のほぼ全てを投入しているといっていい。カーレ星系へ兵力を差し向け二正面作戦を展開している可能性は、ほぼ無くなった。伝令は出したことだし、予定通りこのままメキシコ星系へ突入する」



 <アクトウェイ>の格納庫にシャトルが滑り込んでいく。ただの移送であるため無人だ。管制はアキが行っており、今も彼女が傍らに座っている。機密保護のため、<ウーズ>艦内には立ち入ることができなかったのだ。その気になれば内部システムへの侵入も可能だとアキは豪語したが、国防宇宙軍との間に余計な摩擦を生みたくないリガルとしては、いかに不満があろうと彼女をひとり残していくほかなかったのである。

 耐爆隔壁をいくつか通り過ぎてアームによりシャトルが固定されると、目の前の座席の背もたれ越しに見えるコックピットへ続くハッチ、その右上にあるランプが赤から緑の点滅に変わる。点滅が終わり常時点灯となった瞬間、船内の人工重力が身体をシートへ押し付けた。ベルトで体を固定していたため、特に問題なく重力を受け入れ息をつく。

 定位置まで移動してきたシャトルのハッチが開き、ドローンが運んできたラダーを降りていく。ひやりとした再生空気の肌触りに身震いし、床面に直接塗装された導線と並行に並ぶ艇体の左側に降り立った。

 歩き始めて、立ち止まる。振り返れば、アキがラダーの中ほどで中空を見つめ立ち止まっていた。

 彼女は<アクトウェイ>の中枢システムに住まう機械知性であり、時折、こうしてネットワークを通じて様々な情報処理を行う時に限って呆けてしまう。また別の船でもワープアウトしてきたのかと思い、リガルは航宙服のポケットに両手を突っ込んで辛抱強く彼女を待った。

 次の瞬間、不意にアキの両目に知性の光が戻ったかと思うと、彼女は何の予備動作もなくラダーの底面を蹴って飛び降りた。

 二メートル以上の高さから目を丸くしているリガルの前に軽々と着地すると、右手を挙げて背後にリガルを庇う。その視線の先には今しがた降りてきたシャトルのハッチがあった。

 状況が読めずに目を白黒させているリガルの前で、癖のある白い髪が揺れる。ふわりと石鹸の香りが鼻をくすぐると同時に、アキの絶対零度とも思える冷たい声が響く。

「姿を現しなさい」

 ようやく事態が飲み込めて、リガルも少し重心を落として身構える。アキはシャトルの中に存在しないはずの三人目がいると気付いたのだ。このタイミングからして、おそらく人工重力発生に伴うシャトルの重量変化に違和感を覚えたのだろう。それにしても、推進剤を考慮すると百トンを超える機重を精密に計測するのは至難の業ではない。格納庫の天井から伸びるアームを睨み密かに感嘆した。

 アキの声は微塵の油断もないもので、船長であるリガルを守るという責任感を遥かに超えた感情に裏打ちされた意思を感じる。そんな彼女に気圧されたのか、ハッチの中から間延びした声が返ってきた。

「そう身構えないでちょうだい。いま出ていくわ」

 どこかで聞いたことのある声だ。そう思った次の瞬間、見覚えのある顔がハッチの縁からひょっこりと出てきた。

「お前は——」

「お久しぶりね、色男」

 そこに立っていたのは、サレイド・カルツィオ中佐が従えていた非常執行部隊に顔を並べていた女だった。

 以前に顔を合わせた時より、いくぶん髪が伸びただろうか。空気を含んだ濃紺の髪に、髪よりは明るい色の瞳。透き通るような白い肌は触れれば吸い付くように艶やかであり、口元には残忍さと紙一重の妖艶な微笑みが張り付いている。身につけている灰色の国防宇宙軍で採用されている航宙服は機能性を重視したデザインのはずだが、開いた襟の間から見える白いシャツとその下の鎖骨、くっきりと浮かんだ美しいボディラインは否応無しに視線を惹きつけるほど蠱惑的だ。

 女が姿を現しても、アキの警戒は緩まない。天井の一角が物音を立てると共に天板ごとひっくり返り、中から小型のレーザー銃架が出てきた。銃口は女に向いており、その気になればいつでも発砲できる。現代でも火薬式の銃火器は廃れていないが、こうした航宙船などで用いられるエネルギー兵器は絶大な威力を持つ。いざ使用されれば、女の肉体は瞬時に蒸発し、ほんの少し残った肉片があたり一面に散らばることになるだろう。

 咄嗟にリガルは叫んだ。

「アキ、撃つな」

「しかし、船長」

「ここで殺せば厄介なことになる」

 しかも、と胸中で付け加える。この女は情報軍の人間だ。秘密主義の横行する組織でどんな任務を帯びているのか、たとえ軍事法廷で裁定されるとしても明らかになるとは限らない。このままお帰り願いたいくらいだが、何かあれば後々にまで禍根を残すことにもなりかねなかった。

 自身の置かれた状況を理解している危険な女は、悠然とした仕草で両手をあげてみせる。アキは今すぐにでも発砲したがっているようだが、自制して僅かに緊張を解いた。

「心配しなくても、武器は持ってないわ」女は顎をしゃくってラダーを示し、「降りてもいいかしら? わたしも任務で来てるのよ、話をさせてちょうだい」

「EXUに所属しているのであれば、徒手格闘でもじゅうぶんな制圧能力を持つでしょう。あなたを船長へ近づけるわけにはいきません」

 アキの肩に手を置く。彼女は目線を女から離さずに顔を傾けた。

「いや、大丈夫だろう。乗せてやれ」

「あなたの安全を保証できません」

 断固たる口調だったが、リガルはゆっくりと首を振った。

「おれを殺すつもりならシャトルに細工をして事故を起こせばいいだけだ。例えば、<アクトウェイ>に接近したら急激に加速するとか。ここまで乗り込む必要は無い」

 さもありなんと頷く女に向けて鼻を鳴らしそうになるのを堪える。リガルには彼女が大きなリスクを負いながらここまで来た理由に見当がついていたが、今すぐに彼女が行動を起こすことはないだろう。

「そういうこと。密航したのは謝るわ。でも帰るわけにもいかないし、事情を説明させてほしいのよ」

「いいだろう、あんたの乗船を許可する。ただし、納得のいく説明を頼むよ」

「もちろん」

 安堵の色を隠しきれず、両手を下ろして女がラダーを降りてくる。

 踵を返して船橋へ向け歩き始める。背中にはアキの視線が痛いほど突き刺さっていた。





「ヴィエラ・オリエガ。自称ではありますが階級は特務少尉。EXU所属であることは船長のお話からも間違いないとは思いますが、アステナ少将に問い合わせても特に有用な回答は得られませんでした。要するに、公的に官姓名も信用できない身元不明人というわけです」

 データパッドに目を落としながらセシル・アカーディアが報告する。船長席で上体を揺らしながら生返事を返すリガルを見やり、次いで船橋の入り口付近の隔壁に寄りかかっている青い髪の女を睨んだ。

 周囲に浮かぶホログラフに目を通しながら、メキシコ星系への跳躍前に必要な情報を精査しているところだった。

 何も言わずに指を振ってホログラフをスクロールしている船長に業を煮やしたのか、セシルは形のいい眉を潜めて身を屈めて耳打ちする。

「アキじゃありませんけど、わたしも彼女を乗せるのは反対です。彼女自身の説明によれば、メキシコ星系で待ち受ける戦闘であなたをサポートするためということでしたが、それなら密航する必要はありません。彼女なりの事情があって、ここに居座らざるを得ないんです。そしてこの船に乗らなければ遂行できない任務といえば、どんなものかは容易に想像がつきます」

「おれを殺すってことか?」

 息を飲み、セシルは再び気に食わない女——ヴィエラのほうを見るまいと歯を食いしばった。

「わかっているのならば対処すべきよ、リガル。それも《《今すぐに》》」

 その一言で、リガルは初めて顔を上げてセシルを正面から見つめ返した。彼女が丁寧語を使わずに話すときは、リガルよりも長い人生経験を主張したい、要するに姉や母のように自分の船長の面倒を見なければならないと決意したことを意味する。

 キャロッサ以外の乗組員は、リガルよりも年長である。普段は船長としてリガルを立てようとする彼らだが、必要とあらば年齢を理由に強弁することも少なくない。フィリップは最年長のため落ち着いた壮年の男性としての雰囲気で丸め込もうとしてくるが、特にセシルは厳しい姉のようにリガルを叱ることが間々あった。大抵の場合、のらりくらりと身を躱していたリガルであるが、今回ばかりは逃げも隠れもできない。

「あの女を信用してるわけじゃない。そうそうおれを殺さないという確信があるだけさ」

「あら、そう。じゃあ愚鈍なわたくしめに理由を説明していただけます?」

「そう怒るなって。考えてもみろ、おれを殺す気でいるならもう終わってるはずだ。何しろ、シャトルの中ではおれもアキも三人目の乗客がいるなんて夢にも思わなかったんだから。その彼女が今もあそこで呑気に構えているということは、それ相応の理由があるはず。そしてそれはおれが死ぬことではない」

 剣呑な光をたたえていたセシルのアイスブルーの瞳が落ち着きを取り戻す。彼女は胸の前にデータパッドを抱えて低くうなった。

「まだ実行する条件を満たしていないから、彼女は大人しくしているだけじゃないの」

「そういうことも考えられる」

「まったく……で、その条件とやらに当たりはつけてるんでしょ。聞かせてもらいたいものだわ」

「ここでは話せないし、何より確証がない——だからそう睨むなって。ともかく、用心しておけば大丈夫だ」

 しばらく目を細めていたセシルだが、諦念も露わに大仰なため息をつくと、背筋を伸ばして頷いた。

「わかりました。わたしたちにできることがあれば、遠慮なくおっしゃってください」

「ありがとう、セシル」

 セシルは不満気ではあるが、ちらりと笑みを見せてから管制セクションの自席へと去っていった。厳しさは優しさの裏返しなのだ。

 跳躍まで十分。セシルの諫言は、今を逃せば引き返せないと判断したからだろう。管制官として優れたスキルを持つ彼女は、複数の軌道を掌握して物体間の衝突を防ぐだけでなく、情報を整理し問題点を探し出す分析能力にも秀でている。むしろ明晰な頭脳はそちらの方面でこそ才能を発揮するのではないか。

 <アクトウェイ>の船体情報には問題がなく、船橋の船長席を囲むように半円形に配置されているセクションの最も右側にある席をくるりと回して、フィリップが親指を立てた。視線を転ずればジュリーが背中越しに手を振っている。イーライは背もたれにもたれかかり、キャロッサの淹れたコーヒーの香りを楽しみながらリラックスした様子だ。

「各セクションへ達する。定刻通り跳躍する。カウントダウンは十五秒前から」

「了解」

 とはいえ、準備が終わっていればあとは待つだけだ。時計を見れば予定時刻までまだ半日はある。

「アキ、いつもながら監視を頼む。おれはいったん部屋に引き取るよ」

「わかりました」

「ということは、お待ちかねの自由時間だ!」

 そう叫ぶや、ジュリーが席を立って船橋を駆け出ていく。去り際に片眼を閉じていくのは彼女なりの茶目っ気か。次にイーライ、セシルの順に立ち上がって肩を竦めながら出ていった。キャロッサは自席でホログラフをいくつか開いて戦場外科医療の科目教本を熟読していた。時折、コンソールを打鍵してレポートに書き込んでいる。通信教育課程で必要な課題なのだと以前に話していたのでそれだろう。先の戦闘からいっそう熱が入っているようだ。

(部屋に戻ってシャワーでも浴びるか)

 立ち上がって伸びをしていると、すぐ横にヴィエラが音もなく近付いて来た。さりげなくアキが間に入るので片眉を上げる。

「当然とは思うけど、随分と信用されていないみたいね」

「当たり前だ。それで、あんたは部屋までついてくるのか?」

「可能なら」

「ならば不可能だ。アキ、居室に案内してやれ。部屋はいくらでも余ってるからな。下手に出歩いてくれるなよ、捜索隊を出す羽目になる」

 欠伸を噛み殺しながら戦況を後にするリガルを見送る二人の女の内、髪の黒いほうが肩を竦めた。

「ですって。案内してくださる?」

 間近で相対するアキが警戒しつつも不用心に見えるのは、いつでもこの船の随所に設置された保安設備を起動してヴィエラを消し炭にできるという自負があるためだ。そしてそれが脅しではなく事実であることを二人とも理解している。

「意外です。あなたはあくまでも強情に船長の後についていくかと」

「余計な悶着は起こしたくないだけ。もちろん、わたしが今ここにいるだけで気に障るんでしょう。この船で問題を起こすことが任務じゃないから。それに、男の部屋に女一人で行くのって、よくないでしょ?」

「それはその通りです。船長に叱られてしまいましたから」

「どういうこと?」

 ヴィエラは目を丸くする。言外の、あなたは生体端末なんでしょう、という問いかけに気付いているのかいないのか、アキは唇をすぼめた。

「あの方が眠って起きるまで、部屋の前で待機していたことがあったのです。驚くからやめてくれ、と言われました」

「ああ、なるほど、そういうことか」

「そういうことです。では、お部屋へご案内します」

 アキとヴィエラが小声で話しながら船橋を後にする。分厚い耐爆ハッチが閉じると、フィリップとキャロッサは不意にお互いの顔を見やり、肩を竦めた。

「爆弾が乗り込んできたようなもんだぜ」





 呼び出し音で目を覚ます。いつになく深い眠りから覚醒して状態を起こすと、忙しい様子でもう一度、船長室のブザーが鳴った。

 重たい瞼をどうにかこじ開け、ズボンに足を突っ込み航宙服の上着を羽織る。前も締めずに室内の照明を点け、ハッチ横のパネルに手を伸ばして来客を迎えた。

「はい?」

「お邪魔してごめんなさい。どうしても話さなければいけないことがあって」

 そこにいたのは烏の濡れ羽色をした髪と瞳を持つ女だった。有無を言わさぬ勢いで指を突き出し、何か言いかけたリガルの口を噤ませた。

「お願いだから何も言わないで」

 しばらく睨まれた後、指を離す。ため息をつきながら、とにかく命の危険は無いようだとリガルは自分に言い聞かせた。

「アキに殺されるぞ」

「わたしは情報工作員なのよ? いくらでも誤魔化す方法はあるの。とはいえ三十分も稼げないから、手短かに言うわね」

 ヴィエラ・オリエガはさほど広くもない質素な船長室を見回す。そして脱いだままのシャツや靴下が散乱しているソファをひっかきまわしてモブを取り出すと、船内ネットワーク接続を切断しスタンドアロン状態となった端末にデータチップを突き刺した。

 時計を見れば、床についてからまだ二時間ほどだ。追い返して寝なおすにも目が覚めてしまっているし、あきらめてコーヒーを淹れる。キャロッサの手がけたものほど美味くはないが、どちらかと言えば安物のフリーズドライ製品のほうが馴染みがあるというものだし、招かれざる客にはちょうどいい。

 マグカップふたつに茶色い粉末を放り込んで給湯ポットから湯を注ぐ。適当にカップを回しながらソファの前のテーブルに置くと、ヴィエラは尻をずらして自分の右隣りに腰かけるよう促した。二人分の体重を受けて寝台がきしむ。

「それで?」

「これを見てちょうだい」

 口元に運びかけたカップを手で押しのけて体を寄せてくる。まだシャワーを浴びていないのか、汗と金木犀のにおいがする。長くシャワーも浴びれていないため体臭をコロンで誤魔化しているのだろう。

 ふと見ればシャープな輪郭と掻き上げた指の隙間から零れ落ちる毛先の曲がった髪、そして首筋が目を引く。身に着けているのは灰色のティーシャツとズボンだけで、努めて意識しながら視線を胸元からモブへ引きはがす。

 画面には見慣れない設計図らしきものが表示されていた。昔ながらの、三軸それぞれで投影された線画だ。画面自体が小さいので少し見づらいが、指で拡大してみたりしたところ、紙コップの縁を繋ぎ合わせたような、やや細長い樽型をしている。寸法としては長辺が六十メートル、幅が二十メートルといったところだ。他には複数の専門用語と思しきメモ書きもある。設計図ではあるが清書された最終版ではないらしい。

 視線を巡らせればいくつか気になる点があるのだが、隅に記載された走り書きと思われる文字列に視線が釘付けになってしまう。

「《《超新星弾頭》》?」

「そう。バルハザール宇宙軍がメキシコ星系に搬入した可能性のある兵器のこと。メキシコ・サードのようなガス惑星を一時的に超新星化させることができるわ。いったい何を目的とした兵器なのか、教えるまでもないわよね」

 絶句したまま画面を見つめているリガルから端末を取り上げ、データチップを抜き取る。それをズボンのポケットに突っ込むと、他に誰もいないにもかかわらず盗み聞かれるまいと美しい顔を近づけてきた。吐息すらもかかりそうで、生真面目な表情の中で一対の眼がきらめく。

「わたしがここに来たのは、半分はあなたの想像通り。そしてもう半分はこれが理由。<アクトウェイ>には、バルハザール宇宙軍が超新星弾頭を使用する徴候を見せた場合に阻止してほしいと、カルツィオは考えてる」

「ちょっと待った。なぜ<アクトウェイ>なんだ。アステナに言うべきだろう、おれはノーマッドなんだぜ」

「そしてレイズ艦隊がメキシコ・サードへ殺到するのを見た敵軍は、自分たちの秘密計画が露呈したと考えて、即座に弾頭の使用に踏み切るわね」

 気が動転してしまい、心臓が早鐘を打つ。メキシコ・プライムに住まう数億の人々、そしてレイズ艦隊。タイミングを見計らい撤退すれば、バルハザール宇宙軍はレイズ星間連合の有する最後の機動兵力を一網打尽にし、領宙を蹂躙するだろう。

「しかし、こんな兵器が……あり得るのか? 国防宇宙軍にいた時だって、噂で聞きかじることもなかった」

 一縷の希望を込めた問いかけに、ヴィエラは無情にも首を横に振った。

「サレイド・カルツィオがメキシコ星系で活動していたのは、まさにこの兵器をバルハザールが開発、製造しているという情報を得たからだったのよ。そして<アクトウェイ>がクイナレ星系へ向かった後も、彼はわたしを<ファーベンス>に残して情報収集のためにメキシコ・プライムに残っている」

 頭の片隅でくすぶっていたいくつかの疑問が、途端に関連性を示して一本の線となり結びつく。

「なるほど。あのアタッシュケースには星系政府の機密情報ではなく、カルツィオが調べていたこの兵器に関わる資料が封印されていたのか」

「ご名答。ま、あなたとこの船に関する免罪符はちゃんと同梱されていたけれど、ともかくとして第一艦隊のホメイ司令官は超新星弾頭について知らされていたはず。ここにいるのは第二、第三艦隊だから、恐らく彼は亡くなったのよね?」

「そうだ。奇妙な銀色の艦隊と交戦して、旗艦と運命を共にした」

「ちなみに、その銀色の艦隊はバルハザールがどこからか調達してきた無人航宙艦だそうよ。こちらは詳細は不明だけど、恐らく旧ロリア圏、それ以外も含めた東側諸国のどこかで建造されたものだとカルツィオは見当をつけてた。わたしにはそうは思えない。ロリア圏の国々はやる気はあっても資源が無いから」

「なるほど、道理であの艦隊は反応が素早かったわけだ。用済みになった海賊船の残骸を宇宙の藻屑に変えたのもそういうプログラムがされていたと考えれば説明がつく。それで、第一艦隊が敗退した今、超新星弾頭について知っているのはおれとあんただけだ」

「カルツィオがあなたにだけ伝えようとしたのは、さっき言ったとおり、国防宇宙軍がメキシコ・サードを確保しようとして敵軍が暴発するのを防ぐため。そして<アクトウェイ>ならば、国防宇宙軍の所属ではないから単艦で行動しても超新星弾頭への対応を目的とした行動だとは思われないでしょうし、臨機応変な対応が求められる場面でも、あなたなら任務をこなせる」

「待てよ、任務と言ったか。おれが引き受ける前提で話を進めてるんじゃないだろうな」

「じゃあ、断るの?」

 反射的に答えようとして、リガルは言葉を飲み込んで目を逸らした。

 今すぐにでもこの女を部屋から出して、夢の中へと舞い戻りすべて無かったことにしたいが、そんなことはできるはずがないのだ。

 なんてこった、と口の中で何度も繰り返しながら両手で顔を覆ったリガルの肩にヴィエラが手を置き、力を込めた。この女性は、今、本気でリガルの心情を慮っている。あまりにも重い事実は、情報として脳に蓄えるだけで人間を壊すこともできるのだろうか。

 金木犀の香りが、現実から逃避しようとするリガルの意識を現実へ引き戻す。

 超新星弾頭がメキシコ・サードへ投下されれば、筆舌に尽くしがたいほどの被害が出る。想像するだけでも背筋を冷たいものが走り、震えが止まらないほどだ。どこの誰が考えついたのか、その人物は掛け値なしの悪人に違いない。巨大ガス惑星を一時的とはいえ超新星化させるなど、産業的には何の意味も持たない。ただ純粋な、殺戮を目的とした科学技術の粋を集めた忌み物。

 とてつもない重圧を感じるが、どういうわけかアキの顔を思い浮かべた途端に心が軽くなった。

 そう、アキ。

「このことは、クルーに話す」

「あまり大勢に広めるのは感心しないわよ」

 明らかな警告に、しかしリガルは揺るぎない視線を返す。ヴィエラはたじろぎそうになるのを堪えねばならなかった。

「いや、これは譲れない。超新星弾頭について報せておけばあらゆる徴候を監視できるし、万が一の場合に行動できるのがこの船だけならば、脊髄反射的な対応が必要になる。それには乗組員の協力が不可欠だ」

「引き受けるということ?」

「おれの意思は、ある意味では関係ない。あまりにも多くの人命が左右される問題だからな」

「軍人でもないあなたが命を懸けるの?」

 リガルは挑発的なヴィエラの問いかけを鼻で嗤った。

「おれは人間として存在している。だから、人間でなくなるようなことはしない。超新星弾頭を生み出した奴は、そんなこともわからない奴らしいがな」

 言葉にしてしまえば腹が決まった。先ほどとは打って変わって、真っすぐな双眸をしばらく見返した後、ヴィエラは何か納得したように頷いてソファから腰を上げた。

「安心しろよ」華奢な背中に声をかけると、彼女は足を止め、「最悪の事態にはならないさ」

「『銀河一の大馬鹿野郎』の腕前、心から期待してるわね」

 一瞬、ヴィエラが微笑む気配がしたが、彼女は何も言わずにハッチを開いた。

 と、開いたハッチの向こうにはセシルが立っていた。データパッドを片手で持ち、ブザーを鳴らそうと手を伸ばしたまま目を丸くしている。

 わざとらしくセシルの前で振り返ると、ヴィエラは蠱惑的な笑みを浮かべ、片目を閉じてみせた。

「それじゃあね、色男」

 颯爽と背中を向けて通路を歩いていくヴィエラを見送り、セシルは訝しそうに船長室の中を覗き込んだ。

「お取込み中……というわけではなかったようですね。何があったんですか。というより、彼女はどうして一人でここに?」

 苦笑いしながら、リガルは立ち上がり航宙服の前を締めた。こんなことがあったと聞いたら、アキはすぐにでもヴィエラを殺しにかかるだろうな。

「セシル、全員を集めてくれ。船橋で報せることがある」

 そう言い、甘ったるい残り香を追いかけるべく部屋を出た。



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