Eps.12
第二保安本部を後にしてから三日が経過し、リガルの<アクトウェイ>船内における通算走行距離が二〇〇キロメートルを超えた頃のことである。
航宙服のズボンを留めるデューティベルトに固定した携帯端末が電子音を発した。リガルは足を止めて灰色のシャツの裾を引っ張り上げて頬から滴り落ちる汗を拭う。ほのかに機械のにおいがする冷たい空気を吸い込むと、火照った体の熱が冷めていくようで心地いい。こういう時だけは航宙艦特有の冷たい空気はありがたい。
物資の補充とラズセ星系の戦い——今やどの電子新聞もそう一面を飾り立てている——で<アクトウェイ>が被った損傷の修復は昨日で完了し、今はアキが確認を行っているところだ。もともと損害は皆無だったので船の準備は完了しておりいつでも出港できるのだが、情勢がこの船から自由を奪っている。することがなければ走るしかない、というのが国防宇宙軍士官の口癖だ。
ベルトのホルダーからモブを手に取って画面のロックを解除し、耳に当てる。
「こちらリガル」
「船長、ランニング中に失礼いたします」
「構わん。何かあったのか?」
「つい先ほど、ハウスト星系方面とラズセ星系方面から連絡船が到着しました。我々の乗組員候補が間もなくアルファ・ステーションに集まりますので、ご連絡をと思い」
全速で船橋に戻ると、船長席の横に立っているアキが出迎えた。両肩を大きく揺らして息を整えるリガルに気を利かせて冷たい飲料水の満ちた保温ポットを差し出す。きっと船内の各所にある保安装置を通じてリガルの行動を見ていたのだろう。特に困るものでもないが、見られているのはそれだけで人間にとってストレスだ。
<アクトウェイ>はアルファ・ステーションの桟橋に接舷しているため、船橋を半球形に覆う外景の星空を投影したホログラフには格子状の構造物が上下左右に走っている。肩で息をしながら目当ての光点を星海から見出そうとあちこちを探した。
「どれだ、どこだ、いつだ?」
水を一飲みして口元を拭うリガルが席に着くやいなや前のめりに問いただす。アキは答える代わりに、ホログラフで相対位置関係を示した星系図を表示させた。リガルは汗が滴るのも構わず食い入るように恒星セイルを中心に回転する図を覗き込んだ。
アルファ・ステーションは恒星セイルから見てラズセ星系方面の跳躍点に近い軌道を公転している。二隻の連絡船はカルーザ・メンフィスが手配した連合警備隊が保有する中型輸送船で、同時にワープアウトしたとなれば距離の関係からラズセ星系方面の一隻が先に到着するだろう。およそ十時間の航海を経てアルファ・ステーションへ到着し、それから四時間遅れてハウスト星系方面からワープアウトした連絡船がやってくる。半日と少しでリガルが求める人材が集う計算で、カルーザが与えた通行許可証を手形に臨時運行している旅客船だ。
不意に、リガルはあの二隻の連絡船の鈍重な動きを物理学の法則を捻じ曲げてすぐにでもアルファ・ステーションへ到達させたい衝動に駆られたが、深呼吸して興奮を抑えた。気がはやるのは仕方がないが、それでは疲れるだけだ。それに、落ち着きのない船長として第一印象を与えたくない。
それから十分後、メッセージが届く。それぞれの連絡船に乗る乗組員候補からで、幸運なことに第一候補として挙げた面子は全員が来てくれたようだ。リガルは簡素なそれらに対し一通一通、一日後の一一〇〇時にまとめて面談を行う旨を返信し場所の確保など煩雑な調整を行った。雑務であるためアキが自分がやると進み出たが、こればかりは自分の手でやりたいとリガルは突っぱねた。
メッセージを送り終えるとやることは少ない。とにかく汗だくのままでは船長としての示しがつかないだろう。自室へ引き取ってシャワーを浴びることにした。
さっぱりとした姿で、アキに持ってこさせたランチパックの封を開けようとした時、モブに再び着信が入った。
「リガル、良い知らせだ」
応答ボタンを叩いた途端に画面いっぱいにカルーザ・メンフィス第二管区副本部長が映る。モブをランチパックの容器に立てかけてちょうど自分が見えるように調整すると、飲みかけの保温ポットに口をつけた。
「副本部長直々のご連絡とは恐れ入る。食事中で失礼するよ」
生じたばかりの軋轢を感じさせる投げやりな相槌に苦笑いしながらも、カルーザはあるデータパッケージを転送してきた。
「連絡船がマルメディス星系から到着したのは知っているな? 先ほど第二管区保安本部宛にメッセージが届いた。法務委員会と最高裁判所はお前に関する前科取り消しと司法取引の正当性を認め、国防委員会からもサレイド・カルツィオ中佐の計画通り<アクトウェイ>に対するお前の所有権を認めた」
「本当か!?」
思わず声をあげたリガルにカルーザは頷きを返す。
「ああ。近日中に電子書類をまとめて送付するから、電子署名を捺印して送り返してくれ」
以上だ、と用件だけを告げてカルーザは通信を切った。彼の友情は本当に信じられないほど落ちぶれてしまったのかという心配をよそに、人生に順風満帆な流れがきていることを確信し、リガルは笑みを抑えきれなかった。
それも一週間と経たない間のことであったが。
*
アルファ・ステーションは第二管区という海賊被害の頻発する宙域にあって、環状経済航路の一端として数多くの商船が行き交う交通の要衝だ。そのため、傭兵として護衛を請け負う放浪者にとっては絶好の稼ぎ場所である。未探査宙域へ出かけていく冒険的な依頼よりも、人間同士の諍いで誰も引き受けたがらない危険に挑戦していく仕事のほうが多いのがオリオン腕の実情だ。
その流れを決定づけたのは百余年前に勃発したオリオン腕大戦である。
人類宙域の外側へ向けて膨張を続けるべきだと主張するロリア連合と、現在の人類生存圏における海賊問題などを解決し内政に注力すべきだと主張するバレンティア連邦の二大超大国により争われた、人類社会の覇権をかけた銀河規模の星間戦争。一二年の長きに渡り数多の星系で総力戦が繰り広げられ、結果は資源が乏しく国家体力に劣るロリア連合の敗戦で終結し、現在、彼の国は五つの国家に分裂してしまい旧ロリア圏として名を残すのみだ。
バルハザール民主共和国、レイズ星間連合、そしてシヴァ共和国はロリア連合とバレンティア連邦の中間という地勢にあるため未曽有の大戦争から無縁ではいられず、熾烈な戦闘の主舞台となった。三ヶ国のうちレイズとシヴァはバレンティア率いる内政派に与し、バルハザール民主共和国はロリア率いる拡張派として旗色を鮮明に相争い、現代においても国家間の関係はこの時の情勢を土台としていることが多い。レイズ=バルハザール戦争も端緒を求めればここまでさかのぼることができるだろう。
いずれにしても、人類が新たな星系へ向け時間をかけて航路を開拓する試みはオリオン腕大戦を契機に激減した。バレンティア連邦の意向に従うというより、戦争によって疲弊し荒廃した人類社会において、海賊による商船襲撃や惑星やコロニーにおける犯罪率の増加は早急に対処が必要な水準まで高まってしまったのだ。それは肉体、精神の両面で疲労した人間の免疫機能が低下するようであり、正に海賊活動は人類社会の病魔として蔓延っている。同時に銀河連合はオリオン腕大戦後に専門の復興委員会を設け、財政、軍事双方の支援を加盟国へ提供。海賊対策が遅々として進まないのも元ロリア連合領への投資と治安維持が優先されているためだ。これは旧敵国の構成宙域が揃って私掠船を雇用し海賊活動を助長させることのないよう打たれた次善の策だったが、戦後復興という大事業を抱えた銀河連合の予算は潤沢ではなく、いずれも中途半端な感が否めない。
戦勝国として、また、唯一の超大国としての座を確固たるものとしたバレンティア連邦は、軍の装備だけでなく規模も桁違い大きく、職業軍人が多いため、ノーマッドが出張ることはそれほど多くはない。バルハザール、レイズ、シヴァの中央諸国では退役した軍人や警備会社で経験を積んだ人間がノーマッドとして活動する例が多く、軍民一体となった傭兵市場を形成している。ノーマッドはその片翼を担う存在というわけだった。
リガルは食堂へ招き、並んで座る七人の男女を見回した。ヘッドハンティングという形式で連絡を取った乗組員第一候補たちは緊張している顔もあれば、不機嫌そうに口を一文字に引き結んでいる者、不敵に微笑んでいる者もいる。皆、食堂のテーブルをふたつ繋げて着席していた。リガルは長方形の卓の短辺になる場所に座り、左右に三人ずつ、正面に一人が腰を下ろし、アキが見様見真似で淹れたコーヒーを前に黙りこくっている。その微妙な雰囲気が、コーヒーの味の酷さによるものだとは露にも思わない。
咳ばらいと共に立ち上がって注目を集めた。七対の目が彼へ注がれる。
「ようこそ、<アクトウェイ>へ」胸を張って言うことができた。「あらためて、おれが船長のリガルだ。こっちは生体端末のアキ。諸君をこの船で雇うと決まったわけではないが、こうしてここで迎えられたことを嬉しく思う。足を運んでもらった目的だが、条件やこの船についての話し合いの場としてもうけさせてもらうと同時に、我が船の雰囲気も感じておいてもらいたくてね。早速だが各自、簡単に自己紹介を頼む。経歴は知っているが順序というものがあるからな」
「じゃあ、最初はおれでいいかな?」リガルに最も近い左手に座っている髭面の大男が言った。「おれはフィリップ・カロンゾ。アイアール宙運で十五年、機関士をしてた。ここに来たのはもっとデカくて面白そうな船の機関士をしてみたかったからだ。以上」
フィリップは手を振って隣の女性に水を向けた。彼女はきちんと椅子に座ったまま頷く。砂金のように流れるセミロングの金髪と青い瞳がリガルを見る。
「セシル・アカーディアです。ハラルドの航宙管理局で宙域管制官をしていました。私学で船舶管制官の資格を取ったのと、若いうちに諸国を見ておきたいのでここに」
次に手を挙げたのは、おずおずとしたショートカットの女性だ。青みのある髪を震わせて、大きく開いた髪と同じ色の瞳で一同を見回す。
「キャロッサ・リーンです。一通りの衛生看護資格は持っています。ノーマッドの徴募に登録したのは、医師資格の取得と航宙船生活に慣れるためです。将来は船医になりたくて。あと、色々な人と関わりたく……よろしくお願いします」
「次はアタシだね」
浅黒い色の肌にセシルより長く豪奢な金髪を手で漉いて、はだけた格好の女が緑色の瞳を輝かせた。
「ジュリー・バックってんだ。細かいことは経歴に書いておいたけど、いくつか宙運会社で航宙士を務めてた。デブリを回避しようとして宙返りしたらクビになったけどね!」弾けるような笑い声に、リガルとアキ以外が目を丸くする。「ここに来たのは、この船ならぶっとばしても文句を言われなさそうだったから。以上!」
あんたの番だよ、とジュリーは隣の男性を小突いた。生真面目そうな顔で短く刈り上げた金髪を整えてから咳ばらいをする。
「イーライ・ジョンソン。シヴァ共和国宇宙軍で駆逐艦砲雷長を務めていました。軍隊生活に嫌気が差してノーマッドに。この船なら軍人時代より一回り大きなことができると思って来ました」
「オーケイ、皆ありがとう。さて、まずはこの船についてだが先に話しておこう。後々になって話すというのも誠意に欠けるからな」
そうしてリガルがここ一カ月弱の来歴について搔い摘んで語ると、並んだ七人は始めは怪訝な顔つきをし、それから猜疑に変わり、やがて畏敬とも何ともつかない目でリガルとアキを交互に見やった。
話し終えた後の沈黙を破ったのは、イーライの唸り声だった。
「つまり要約すると、まず腐れ縁の情報部中佐に虚偽の犯罪歴で強請られ、この船の譲渡を条件に連絡船としての任務に就いた後、連合警備隊の旧友に目をつけられて海賊討伐に一肌脱ぐこととなり、今は全ての嫌疑が晴れて正式にこの船の所有者となったうえで、乗組員を揃えるために我々と面接をしている。そういうことですか?」
「そういうことだ。で、長々と話してすまないが、何か質問はあるか? もちろん後でも構わないが、こうして膝を交えている内に聞いておきたい」
それからちらほらと質問が続いたが、ほとんどが待遇や給与に関することだった。歩合制というのも今時はあまり見ないので、リガルは裁量労働制を提案していた。もちろん成果に応じて特別支給も考慮する。
「老後を考えて蓄えを最優先するような商人の真似事をするつもりはない」
その一言で全員が納得したらしく、質問も途絶えたのでリガルは手を叩いた。
「さて。言わないでおくのもいいかと思ったが、何も隠すことじゃないから、もうひとつ話しておくことにする」
リガルはさらに踏み込んで、<アクトウェイ>の出自について話した。もちろん、彼自身も知っていることは限られている。メキシコ星系での出来事は搔い摘んだものにし、それ以前のこの船の記録は存在しないこと、それどころかどこで建造されたものかも不明で、唯一といっていい手がかりのアキはこの船の疑似人格であるがためにメモリーに記録されていることの他は何も答えられないということ。
しばらくの沈黙が過ぎた後、ジュリーが膝を叩いて大笑いした。
「『銀河一の大馬鹿野郎』が舵を取ってるってだけじゃなく、元幽霊船ときたか。まったく最高だね!」
「笑いごとじゃないだろう」イーライが額を抑えながら頭を振る。「リガル船長、その話が本当ならこの船におけるあなたの所有権が認められたのは、レイズの法律がアクロバティックな作用を果たした結果としか言いようがありません。それとも、所有者不明の船を誰かに譲渡するなど、レイズでは普通のことなんですか?」
「おれも何度も経験があるわけじゃないが、一般的にあり得ない措置なのは認める。戦時下だからこそ許されたのかもしれない。それか、この規模の船がおれ以外の誰かに渡ることを恐れたのかもな」
「たとえば、海賊とか?」
セシルの言葉に車座に座っている面々が頷く。
「真相は闇の中ってことかい。だけど今まで、アキと二人で戦い抜いてきたんだろ。だったら些細なことに思えるけどねぇ。船長だって馬鹿じゃないんだし、何かあれば感じるものがあるはずさ」
「お前さんは見た目に反して信心深いんだな、バック」
「初対面だけどぶん殴ってもいいんだよ、カロンゾ」
宥めるように両手をあげて始まりかけた口論を遮った。その様子をセシルが冷静に観察している。品定めをされているのはわかっていたが、リガルは特に取り繕うこともない。
「おれの口から語ってもいいが、航海日誌は契約後に読んでくれ。他に質問は?」
それからは特に目新しい話もなく、最終的には全員が契約を締結するような感触を得られた。誰の目から見ても、<アクトウェイ>はその不審さに反して素晴らしい船だと思えたらしい。秘密の多い女性はミステリアスな魅力を持つということか、とリガルはちらりとアキを見ながら内心で苦笑した。
話も終わりに近付いた頃、リガルはアキに命じてコーヒーを淹れさせた。簡素なスチール製のマグカップに黒い液体を注いだトレーを運んできてテーブルを回るが、口をつけたものは一様に顔をしかめて手の中で揺蕩う液面を見つめる。
「言おうかどうか迷ってたんだが。これ、コーヒーだよな?」
「そうだが?」
「リガル船長、いつもこんなものを? まるで鍋の底に焦げ付いた炭を挽いて溶かしたみたいだ」
酷評するイーライを振り返り、アキが小首を傾げる。キャロッサが微笑みながら彼女を仰ぎ見た。
「気が早いようですが、こんど淹れ方を教えて差し上げますね」
「はあ……ありがとうございます」
小さく喉を鳴らして、セシルがマグカップをテーブルの上に置く。
「それで、リガル船長。お返事はいつまでにすれば?」
「そうだな。まあ、次の仕事を決めるまでだが、ざっくり一週間ほど——」
「船長」
割り込んだアキを全員が見る。モブの画面でカレンダーを開いていたリガルが顔を上げると、コーヒーどころではないと言いたげな彼女の目。
「なんだ、アキ」
「ラズセ星系方面の跳躍点から複数の船が出現しました。その船団の指揮官であるアーガス・ホメイ中将から通信が入っています。船長と話をしたいそうです」
人生とはこんなものか、とリガルはうなじを掻きながらため息をつく。
「こいつは、仕事というよりは無理難題が降ってきたってことなんだろうな」
*
レイズ星間連合国防宇宙軍第一艦隊は、有事の際に主力として戦闘の矢面に立つよう整備された空間機動兵力であり、現代国家正規軍に求められるあらゆる作戦遂行能力を有している。保有戦力は三隻の戦艦、六隻の重巡洋艦、八隻の軽巡洋艦、そして三六隻の駆逐艦の合わせて五三隻の戦闘艦。くわえて物資を積載した複数の輸送艦だ。本来であれば後方支援として第三艦隊の輸送艦も随伴するはずだが、恐らくリアクションタイムを優先し戦闘艦のみの機動打撃を任務としているのだろう、セイル星系にワープアウトしてきたのは五三隻の戦闘艦のみだった。
「なぜ第一艦隊司令官殿がおれなんぞに個人通信を繋ごうとしているんだ?」
徹夜明けなのか疲れた顔で見つめ返すカルーザ・メンフィスは頭を振った。手元にあるマグカップから何かを一口飲むと、まるで昆虫でも入っていたかのように恐る恐るその中を覗いている。アキの味に慣れてしまったリガルは少し優越感を持ってその様子を眺めた。
「副本部長とはいえ連合警備隊の人間に、国防宇宙軍の中将閣下が何を考えているのかはわからんし、事前連絡など何もないよ。ひとつ言えることは、現在は戦時下であり、敵軍に対応するには国防宇宙軍が動くほかない。そしてそのための法的根拠と権限が彼に与えられているであろうということさ」
「それは忠告か、カルーザ?」
顔を上げたカルーザの顔には険しい色が浮かんでいる。こうなることはわかっていたとでも言いたげだ。
もしかしたら、カルーザはおれが国防宇宙軍に登用されるのを防ぐために、連合警備隊で囲い込もうとしてくれていたのかもしれないという考えが頭をよぎった。
「軍縮で規模を縮小した国防宇宙軍が、有能な船長に指揮された軽巡洋艦級の高性能艦船をどう見るのか、想像に難くない。しかも相手はノーマッドときた。金さえ払えば何でもする連中だと思われていても不思議じゃない。軍高官はそのあたり高慢ちきだぞ。お前がリガルだと知って無理難題を吹っかけてくるかもな」
「くそったれ、こいつもカルツィオの仕業か?」
「そうとも限らんだろう。この際、動員できるならどんな兵力でも喉から手が出るほど欲しいのは警備隊も国防軍も同じだ。だがカルツィオ中佐の報告が艦隊司令部の連中にお前と<アクトウェイ>の存在を知らせたのは事実だ。彼の思惑がどうであれ、そこまで考えていたものかな」
その言葉の意味を考え、リガルは悩ましさにこめかみに手を当ててため息をついた。
カルーザの言う通りだろう。言われるまでもなく彼が正しいことはわかっている。だがそうなれば、この先<アクトウェイ>が無事にいられる保証などどこにもないではないか。否応なく戦火に吞まれるのなら、相当な覚悟を持たなければならない。ようやく自由の身になったかと思えば、また一難だ。
「わかった。助言に感謝する」
「いいってことさ」カルーザは僅かに迷った様子だったが、やがて言葉を継ぐ。「用心しろよ、リガル。わたしに言えるのはそれだけだ」
切られた通信の後で、踏ん切りのつかないまま入れかわりに表示させたホログラフに悪態をつく。七人の乗組員候補は解散したが、食堂はそのままだ。帰ってもいいとは伝えたが当人たちは事の成り行きを見守る腹積もりらしく、ホテルから荷物を取ってくるといってそれぞれ下船した。一時間もしない内にまた集まるだろう。彼らからすればこの船は魅力的に見えるに違いない、リガルと同じく。
「面倒なことを言うなよな」
小声でまだ一光時は離れているまだ見ぬ艦艇司令官の男へ向け言い放つと、誰へ向けた言葉かとアキがきょろきょろと二人の他には誰もいない船橋を見回した。リガルは構わずにメッセージを再生させる。
表示された画面に現れたのは短い黒髪に灰色の国防宇宙軍の航宙服を身にまとった初老の男である。宇宙艦隊の中将、というフレーズで真っ先に思い浮かびそうな何の変哲もない男というのが第一印象だ。
「リガル退役大尉へ。わたしは第一艦隊司令官、アーガス・ホメイ中将だ。戦時動員法に基づき予備役である貴官を我が艦隊へ招集する。速やかにアルファ・ステーションを出港し合流せよ。以上だ」
こいつはとんでもない大馬鹿野郎だという感想は隅に置いておき、国防宇宙軍と共に戦火へ身を投じるつもりなど微塵もないリガルは反発心からすぐにボタンを押し込んだ。相手が軍の高級将官なだけあり、言動には気を付けるつもりで口を開くが語気が強まってしまう。
「ホメイ中将、こちらは<アクトウェイ>船長のリガルです。自分は国防委員会によって退役時に予備役登録も抹消されている身分です。現在わたしは放浪者として活動しており、何か依頼のある場合は正規の手続きと契約をお願いいたします。ご連絡をいただければ、誠意に則って検討させていただきます。リガルより、以上」
それからおよそ二時間弱——光通信波が一光時に満たない距離を往復した時間——の後、再度ホメイ中将からメッセージが届いた。明らかに困惑し、憤慨している。
「リガル退役大尉、再度通告する。即刻、アルファ・ステーションを出港し我が艦隊へ合流せよ」
ふと、リガルは大昔の士官候補生時代にカルーザと話したことを思い出す。軍縮に舵を切ってからは国防宇宙軍は精鋭意識が強くなり、量より質の軍となったが、それ以前に任官していた軍人とこれから昇進していく軍人とでは当事者意識も能力もまるで異なるものになるだろう、と。そしてここ十数年で世代入れ替えが円滑に行われるか否かが、国防宇宙軍にとって大きな転換期となるはずだ。
ホメイ中将は正に、軍縮時代以前から軍務に就いている老人だ。オリオン腕大戦の実戦も経験したことがなく、政治的手腕で昇進を手にしたタイプだろう。
連合憲章にある言葉も添えて、リガルは再び返事を送る。
「ホメイ中将、わたしの現況は先の通信でお知らせしたとおりです。わたしはレイズ星間連合のいち市民でありますが、軍役に服する義務も責任もありません。ほかならぬ国防委員会の判断によって、二年半前に、そうなりました。戦時動員であっても法令に遵守しない徴兵および招集に応える意思はありません。もしわたしに何かをお命じになる場合は、まず契約を取り交わしていただくようお願いいたします」
通信を無事に送信したことを確認すると、リガルはアキを呼んだ。彼女は先ほど客人に振舞ったコーヒーを自分で飲んでいたようで、マグカップを両手で包むように持ちながら奥から姿を現した。
「なんだ、飲み食いできるのか?」
「消化できるものは限られていますが、飲食機能は備わっています。味覚もありますが理解しがたく」
「そいつは難儀だな……じゃなくて。次からホメイ中将の通信にノーマッドとしての契約事項なんかが内容に含まれていない場合は着信通知を出さないでくれ」
「承知しましたが、本当に船長は予備役ではないのですか?」
もし勘違いしているのならばリガルは戦時動員法に違反したとみなされる。せっかく虚偽の罪状が撤回されたのにまた新たな荷物を抱え込むのではないかと心配しているのだ。そんな心配は杞憂とばかりに顔の前で手を振る。
「任意退官したことになってるが、実態は不名誉除隊みたいなものだったからな。内部手続きとしては扱いが変わらず、だからこそ予備役にも登録されないで放り出された。能力のあるなしに関わらず、不適切な人材だと評価されたんだよ」
「それは難儀ですね」
アキの言葉に唇をへの字に曲げた。
それからホメイ中将は通信自体を送ってこなくなった。アキがフィルターをかけて通信が来たことを報せないだけかと思いきや、<アクトウェイ>の存在を無視するかわりに、アルファ・ステーションの第二管区保安本部と忙しく連絡を取り合っているようだった。そしてそのまま第一艦隊はアルファ・ステーションを素通りして真っすぐにクイナレ星系方面の跳躍点へと進路を変えた。
同時にアルファ・ステーションから一隻のフリゲート艦が出港した。そしてカルーザから通信が入る。
「お前、艦隊司令官閣下に何を言ったんだ。今すぐマルメディスに言って予備役登録情報を確認してこいと言われたぞ」
この忙しい時に余計な仕事を増やすな、という批難がありありと感じ取れる物言いに、リガルは思わず苦笑いした。
「黙ってついて来いと言われたから、そんな義理はないと返しただけだ」
「ああ、そういうことか」その一言でカルーザは状況を察した。「だとしたらお前の言い分が正しい。国防宇宙軍の予備役名簿からリガルという名は消えている、保証するよ」
「啖呵を切っといてなんだが、お前の口から聞けて安心した。それにしても、おれがここにいるのは事前情報でわかったのだろうが、あの恩着せがましい態度は何なんだ」
「これは推測に過ぎないが、カルツィオ中佐の仕業でお前の人事情報は国防宇宙軍から抹消されているのかもしれん。軍の人間であったのならまだ予備役登録されているはずだとホメイ中将は考えたんだ。だけど彼の旗艦データベースに情報がないから、艦隊司令部に問い合わせるしかなかったんだろう。その使い走りがわたしに回ってきたというわけだが、こっちにもそんな暇はない。一隻は出すが、ぐるっとラズセ星系を回って帰ってくるだけだ」
「またカルツィオか。今度あいつに会ったら殴り飛ばしそうだ」
軽口に笑うこともなく、カルーザは生真面目に頷いた。
「次に会う時までに彼が生きていれば、それも叶うだろうな」
消えたホログラフの残像を見つめながら、リガルは何も言えないでいる自分に苛立った。
*
翌日、一〇〇〇時には七人の乗組員候補が再び<アクトウェイ>で一堂に会した。電子署名入りの契約書は先に届いており、あらゆる手続きを終えて手荷物を持った彼らを左舷エアロック前で迎え入れる。
通路で横一列に並んだ彼らが頭を下げる。元軍人であるイーライだけはきっちりと挙手敬礼をした。リガルは苦笑いしながら手を振る。
「敬礼なんぞしなくていい、ここは軍じゃない」
挙げた手を下ろしながら、イーライは顔を赤らめた。
「失礼しました、まだ癖が抜けなくて」
「ああ、わかるよ」
退役してから数週間のことを思い出し、リガルは再び愉快ではない笑みを漏らすと一人ひとりの目を見た。
「ようこそ<アクトウェイ>へ」




