第6話 盗賊、剣を抜こうとする
人間の木こりを見送ったあと、私はしばらく動かなかった。
理由は二つある。
一つは、あの人間が戻ってくるかもしれなかったからだ。人間は弱そうで強い。しかも、ひとりで来るとは限らない。斧を持った柔らかい生き物が、二体、三体、あるいはもっと集まる。そうなった場合、腕一本の私にできることは少ない。
もう一つは、単純に乾いていた。
泥が。
私ではない。いや、私も少し乾いているのかもしれないが、主に接合部の泥である。牙の根元、薄石の仮支え、腕の石と石の隙間。そこが乾くと、ぱり、と嫌な感触が走る。
《石核ログ》
泥接合:乾燥進行
固定率:低下傾向
推奨:湿潤環境への移動
湿潤環境。
つまり、また泥へ戻れと。
泥から出るために苦労したのに、泥がないと体が保たない。なんという仕様だ。水場が必要な石。いや、粘土なら分かる。だが私はゴーレムである。もう少し堂々としてほしい。
とはいえ、ログは正しい。
私は森の影に向かって移動した。土が湿っている場所を探す。剣を刺し、引く。牙が引っかからないように腕を少し捻る。薄石で沈み込みを抑える。動きは遅いが、第1日目に比べればかなりまともになっていた。
たぶん。
腕一本基準では、だが。
森の根元に、湿った土があった。落ち葉が積もり、下に水気がある。泥ほど重くない。土ほど乾いていない。接合部を休ませるにはちょうどいい。
私はそこに半分だけ腕を埋めた。
休憩である。
見た目は、折れた剣の刺さった石腕が落ち葉に突き刺さっている状態だ。休憩に見えるかどうかは怪しい。怪奇現象寄りだと思う。
しばらくすると、足音がした。
木こりではない。
足音が雑だった。踏む場所を選んでいない。枝を踏み、土を蹴り、草を折る。斧を扱っていた木こりの足音とは違う。あれは作業者の足音だった。こちらは、隠れているつもりで隠れられていない足音である。
二人。
たぶん人間。
私は動かずに、落ち葉の下で振動を拾った。
「本当にあったのかよ」
「木こりの爺が見たって言ってた。剣の刺さった石だ。魔剣かもしれねえ」
魔剣。
私は、腕に刺さった折れた剣を意識した。
これが。
魔剣。
ずいぶん評価が高い。
本人、いや本剣は泥を刺して私を引きずる仕事ばかりしている。昨日など牙の角度調整にも使われた。魔剣というより、多目的杭である。
「お、あれじゃねえか」
見つかった。
早い。
もう少し探索に時間をかけてほしい。こちらにも心の準備というものがある。心が石核にあるのかは知らないが。
落ち葉が踏まれた。人間の一人が近づいてくる。木こりより若い。動きが軽いが、安定していない。腰に短い刃物。手には縄。もう一人は錆びた槍のようなものを持っている。
装備あり。
道具補正あり。
嫌な予感しかしない。
《対象解析》
対象:人間
状態:警戒・興奮
所持:短剣/縄/錆槍
総合脅威度:D
D。
またD。
人間、個体Fのくせに道具を持つとすぐDになる。補正が強すぎる。調整が必要ではないか。
「見ろよ。剣が刺さってる」
「石に刺さった魔剣か。抜いたら売れるぞ」
売れる。
なるほど。
人間は道具を使うだけではない。道具を金に変えるらしい。金が何かはまだ曖昧だが、たぶん村や商人を動かす素材の一種だ。つまり、あの二人にとって私は宝箱。
いや、違う。
私は私である。
宝箱ではない。
剣の刺さった腕である。
その腕が私である。
かなり説明しにくい。
男の一人が、剣の柄を掴んだ。
私は動かなかった。
まだだ。
ここで動けば、即座に魔物認定される。いや、すでに十分怪しいが、完全に動く石腕になるよりはましだ。もしかしたら、少し触って諦めるかもしれない。
男が剣を引いた。
抜けない。
もう一度、力を入れた。
抜けない。
そうだろう。
私も抜けなかった。
自分で抜けないものを、通りすがりの人間が抜けると思わないでほしい。こちらは石核ログ公認の除去不可である。認証済み不具合だ。
「固ぇな。おい、手伝え」
もう一人が来た。
二人がかりで、剣を引く。
腕が引っ張られた。
私の全身が。
いや、全身と言っても腕だが。
石と泥の接合部に力がかかる。牙の根元が軋む。薄石の仮支えがずれる。剣は抜けない。だが、剣が抜けない分、私の方が引きずられる。
やめろ。
それは剣ではない。
いや剣でもあるが、今の私にとっては足であり、支点であり、移動装置であり、ほぼ生命線である。
勝手に抜くな。
「お、動いたぞ!」
動いたのは私だ。
魔剣ではない。
私だ。
怒りというものが、石核の奥から出てきた。
痛みとは違う。恐怖とも違う。もっと単純な反応だった。必要な部材を、勝手に外そうとされている。使っている足場を、作業中に抜かれようとしている。
現場でそれをやったら事故である。
重大事故である。
許可なく足場を外すな!
私は反射的に腕を動かした。
落ち葉がはじける。泥が崩れる。男たちが悲鳴を上げた。
「うわっ、動いた!」
「魔物だ!」
そうです。
たぶん。
だが今の問題はそこではない。
剣から手を離せ。
男は離さなかった。
むしろ、動いたことで価値が上がったと思ったのか、さらに強く柄を掴んだ。もう一人が縄を投げる。縄が私の腕にかかり、牙の根元に引っかかった。
《石核ログ》
拘束を検知
可動性:E → F
固定部位:甲虫牙/折れた剣根元
警告:外力による剣基部損傷
剣基部損傷。
その表示を見た瞬間、私は冷静さをかなり失った。
こいつら。
剣を抜くだけでなく、根元を壊す気か。
私が泥の中からここまで来るのに、どれだけ剣を刺したと思っている。剣歩きの苦労を知っているのか。知るわけがない。だが知らないから壊していいわけではない。
男が縄を引いた。
腕が横倒しになる。
牙が土に刺さる。薄石が外れる。剣が変な角度に曲げられる。
まずい。
このままでは、剣も牙もまとめて壊される。
逃げるには動く必要がある。
だが、縄で動けない。
なら、動く部分を減らす。
私は自分の体を意識した。
石。泥。小石。牙。薄石。折れた剣。
このうち、絶対に残すものは何か。
剣。
次に牙。
薄石は捨てられる。表面の泥も捨てられる。乾いた接合部も捨てられる。小石もいらない。腕の外側の一部も、今は守るより外した方がいい。
外せない不良部材は仕様。
だが、外せる部材は、必要なら捨てる。
《石核ログ》
緊急分離:実行可能
対象:外層泥/仮支え/小石片
実行しますか?
はい。
即答である。
男たちが縄を引く力に合わせて、私は腕の外側を崩した。乾いた泥が割れ、薄石が落ち、小石片がばらける。縄が締めていた部分そのものが、腕から外れた。
拘束が空振りした。
「は?」
男が間抜けな声を出した。
分かる。
私も少し驚いた。
自分の体を崩して縄を抜ける。なかなかひどい脱出方法だ。人間なら絶対にやりたくない。だが私はゴーレムである。多少崩れても、核が残ればいい。
たぶん。
核がどこにあるかはまだ知らない。
そこは早めに知りたい。
私は剣を土に刺し、残った腕を引いた。縄から抜けた反動で、体が泥の上を滑る。男が剣を掴もうとしたが、牙を少しだけ立てた。
男の手の近くの土が、ごり、と削れた。
「ひっ!」
男が手を離した。
よし。
ようやく離した。
私は続けて剣を刺し、引いた。逃げる。速くはない。だが、落ち葉と湿った土の上なら、泥よりはましだ。男たちは一瞬ひるんだ。動く石腕が、自分で崩れて縄を抜け、牙で土を削ったのだ。冷静に考えると、かなり嫌な光景である。
「待て! 魔剣が逃げる!」
魔剣ではない。
私だ。
そろそろ覚えてほしい。
男が錆槍を突き出した。私は剣を支点に腕をずらす。槍先が石の表面をかすめた。深くはない。だが、削れた。人間の道具はやはり危険だ。
《石核ログ》
右腕表面:追加削損 2%
可動性:F → E-
原因:緊急分離による軽量化
軽くなって動きやすくなった。
削られて。
嬉しくない改善である。
私は近くの根を牙で削り、剣を引っかける場所を作った。そこから一気に腕を引く。体が根の陰へ滑り込む。さらに落ち葉を被る。乾いた泥の外層を失ったせいで、見た目は一回り小さくなった。
男たちは追ってきたが、根の間で足を取られた。
「くそ、どこ行った!」
「石が逃げるなよ!」
それは私も少し思う。
だが、逃げる石もいる。ここに。
男たちはしばらく周囲を探した。縄を拾い、落ちた小石片を蹴り、私の外層だった泥を見て顔をしかめる。
「気味悪いな……」
気味悪いで済ませて帰ってほしい。
「剣だけでも取れりゃ金になったのに」
やはり目的は剣だった。
私は根の陰で、折れた剣を意識した。欠けている。錆びている。泥まみれ。見た目だけなら価値は高くなさそうだ。だが、石腕に刺さって動いた。それだけで、あの二人には魔剣に見えた。
外から見える価値は、実際の機能と違う。
私にとっては足場。
彼らにとっては売り物。
ログにとっては除去不可部材。
同じ剣なのに、扱いが違う。
人間は怖い。
硬いからではない。強いからでもない。
勝手に価値をつけて、勝手に持っていこうとするから怖い。
男たちはやがて森の奥へ戻っていった。完全に諦めたのか、仲間を呼びに行ったのかは分からない。後者ならまずい。人間は集団になると危険度が上がる。昨日学んだばかりである。
私はしばらく待った。
足音が遠ざかる。
振動が消える。
それでも、すぐには動かなかった。
今回、私は勝っていない。追い払ってもいない。ただ、逃げただけだ。しかも体を崩して、外層と薄石を捨てた。牙も少し緩んでいる。剣の根元には負荷がかかった。
被害はある。
だが、剣は残った。
牙も残った。
私は動ける。
なら、負けではない。
私は落ちた縄の一部を見た。男たちが慌てて回収しきれなかったらしい。短く切れた縄片が、根の近くに残っている。
硬くない。
鋭くない。
重くもない。
なのに、さっき私の動きを止めた。
あれは武器だ。
刃でも牙でも石でもない、別の種類の武器。
私は縄片に近づこうとした。だが、途中で止まった。今は追跡の危険がある。素材を拾う前に、まず隠れる場所を整えるべきだ。
順番。
手順。
人間から学んだばかりだ。
私は根の陰を少し牙で削り、腕が入る窪みを作った。剣を横に寝かせ、落ち葉を上にかける。湿った土に残った泥を押しつけ、乾燥を遅らせる。
簡易隠れ場。
見た目は、地面に刺さった折れ剣と石の塊。
まあ、まだ怪しい。
だが、さっきよりはましだ。
《第6話リザルト》
遭遇:盗賊風の人間×2
被害:右腕表面 追加削損2%/外層泥・薄石一部喪失
防衛成功:折れた剣の保持
新規機能:緊急分離
新規理解:人間は価値を付けて奪いに来る
確認素材:縄片
未解決:剣の保護/隠蔽方法/縄の使い方
剣を守った。
その代わり、少し小さくなった。
強化より先に軽量化が進んでいる。
……成長方向、大丈夫だろうか。
私は根の陰で、折れた剣を泥に埋め直した。
次にあの縄を調べる。
硬くないのに、私を止めた道具。
あれは、たぶん使える。




