第4話 牙を付けたら邪魔
甲虫の牙は、泥の中に埋めておいた。
埋めておいた、というと聞こえはいい。実際には、持ち運ぶ手段がなかったので、泣く泣く近場に隠しただけである。宝箱ではない。倉庫でもない。ただの泥穴だ。
だが、今の私にはそれで十分だった。
折れた剣を泥に刺し、硬い層を探る。腕を引く。薄石の仮支えで沈み込みを抑える。昨日よりは少しだけ進みやすい。ほんの少しだが、少しは大事だ。工程改善とは、派手な変化ではなく、こういう小さな手戻り削減である。
などと冷静に言っているが、正直なところ急いでいた。
素材が心配だった。
あの牙を誰かに取られたら困る。甲虫に八%削られながら得た、初めての戦利品である。八%。何度考えても高い。私の体積が少ないせいで、損耗率の見た目がひどい。
もし人間が八%削られたら、たぶん大騒ぎだ。
私も騒ぎたい。
声がない。
不便。
《石核ログ》
仮置き場:接近
保管素材:甲虫牙×2/硬殻片×1
素材状態:泥汚染・軽微
あった。
よし。
私は泥を掻き分け、牙を取り出した。黒く短い二本の牙。硬い。曲がっている。先端は鋭いが、剣のように切る形ではない。押し込み、噛み、削るための形だ。
これを腕に付ければ、私も削れる。
甲虫に削られた側から、削る側へ。
素晴らしい。
やられたことをやり返す。とても分かりやすい成長である。倫理的にはどうなのか分からないが、私はゴーレムなので倫理窓口が未設置だ。苦情は後日受け付ける。発声器官ができたら。
問題は、どう付けるかだった。
腕に直接押し込む。
牙は滑った。
泥を挟んで押し込む。
牙は少し止まったが、触るとぐらついた。
削られた傷に差し込む。
入った。
入ったが、これはどう見ても傷口に異物を詰めているだけである。補修なのか強化なのか、判断に困る。現場写真を提出したら、たぶん怒られる。
《石核ログ》
甲虫牙:仮装着
固定率:21%
削撃補正:微小
警告:装着角度が不適切
不適切。
分かっている。
だが、最初から適切な角度で付けられるなら苦労しない。私は腕一本で、目もなく、工具もなく、作業台もない。あるのは泥と剣と、やる気だけである。やる気を資材欄に入れていいなら、私はかなり豊富だ。
とにかく試す。
牙を腕の外側に付け、近くの小石に押し当てた。ごり、と音がして、石の表面が少し削れた。
削れた。
よし。
これは使える。
私はもう一度、小石に牙を当てた。今度は少し角度を変える。削れ方が違う。剣は線で裂く。牙は面を噛む。折れた剣では入りにくい丸い石の表面にも、牙なら傷を付けられる。
なるほど。
武器にも役割がある。
剣は切る。
牙は削る。
石は殴る。
泥は邪魔をする。
最後の一つだけ仕事の方向性がおかしい。
私は調子に乗った。
いや、調子に乗ったと言っても、腕一本のゴーレムが泥の中で牙をこすりつけているだけだ。外から見れば地味な怪奇現象である。だが、私の中では大きな進歩だった。
牙で泥の下の硬い層を削る。
剣を刺す場所を作る。
そこに剣を引っかける。
腕を引く。
おお。
進む。
剣歩きと牙削りの組み合わせ。悪くない。いや、かなり良い。泥の下に引っかかりがない時でも、牙で浅い溝を作れば支点にできる。これは移動改善だ。
《石核ログ》
新規補助動作:牙削り
剣歩き効率:わずかに上昇
固定率:18%
下がっている。
なぜ良い報告の直後に悪い報告を混ぜるのか。ログは人の心が分かっていない。いや、私は人ではない。石の心も分かっていない。そこは分かってほしい。
牙がぐらついた。
削るたびに、牙の根元の泥が緩む。固定率が落ちる。動かせば動かすほど外れる。使えるが、使うほど壊れる。現場ではよくある。よくあるが、よくあってほしくない。
私は牙の角度を変えた。
腕の先端側ではなく、側面へ。少し斜めに。削る時に押し込まれる方向へ泥が締まるようにする。たぶん、これなら少しは保つ。
牙を押し込む。
固定された。
《石核ログ》
甲虫牙:再装着
固定率:32%
削撃補正:小
可動性:E → E-
可動性が下がった。
嫌な予感はした。
私は剣を刺し、腕を引いた。
がつん。
牙が地面に刺さった。
動かない。
もう一度、角度を変えて引く。
がつん。
牙がまた刺さる。
私は停止した。
これは。
これは、あれだ。
強そうな突起を付けた結果、地面に引っかかって動けないやつだ。
前回、小石で同じようなことを学ばなかったか。学んだ。学んだはずだ。なのにまたやった。素材が強そうだと、つい付けたくなる。現場あるあるである。
だが私は現場あるあるで沈みたくない。
《石核ログ》
警告:装着物が移動を阻害
原因:牙角度過大
推奨:再配置
知ってる!
いや、ありがとう。分かりやすい。原因は牙角度。つまり牙が立ちすぎている。削るには良いが、移動には悪い。武器として使う角度と、体として動く角度が違う。
ここだ。
この問題は大きい。
素材は、強いだけではだめだ。
付ける場所と、向きがいる。
剣もそうだった。刃が当たっても、角度が悪ければ滑る。甲虫の背中には効かなかった。逆に継ぎ目には入った。牙も同じだ。どこに、どう当てるかで、強化にも邪魔にもなる。
私は牙を一度外した。
泥が剥がれ、削られた傷が見える。そこへ牙を寝かせて当てる。まっすぐ外へ向けるのではなく、腕の側面に沿わせるように配置する。普段は地面に当たらない。削る時だけ、腕を少し捻れば牙が出る。
固定率は下がるだろう。
だが、動けないよりましだ。
私は泥を噛ませ、薄石で根元を押さえた。剣の根元に使っていた仮止めの応用である。永久固定ではなく、必要な時だけ働く仮固定。
仮固定。
地味だが、また出番である。
《石核ログ》
甲虫牙:側面仮装着
固定率:27%
通常可動:維持
削撃動作:条件付き成功
新規理解:装備角度
よし。
私は剣を刺し、腕を引いた。
牙は地面に刺さらない。可動性は落ちない。腕を少し捻って牙を泥の下の硬い層に当てると、ごり、と削れる。必要な時だけ使える。
これだ。
常に強い形ではなく、必要な時に使える形。
剣は足場。牙は工具。石は支え。泥は……泥は、まあ、敵兼接着剤。嫌いだが使う。嫌いな相手でも使えるなら使う。現場とはそういうものだ。
私はしばらく牙削りを試した。
硬い層に溝を作る。
剣を刺す。
引く。
腕を捻って牙を浮かせる。
また剣を刺す。
前より少し進みやすい。
ただ、牙を出すたびに固定が緩む。長時間は使えない。削りすぎると泥が詰まる。泥が詰まると牙の角度が変わる。角度が変わると地面に刺さる。
問題だらけ。
だが、問題が見えるのは良いことだ。
見えない問題は直せない。見える問題は、少しずつ潰せる。
私は、甲虫の硬殻片も試した。牙より平たい。腕の外側に貼ると、泥との摩擦が減る。だが、曲がらない。腕を捻る時に邪魔になる。
つまり、今は保留。
強そうだから全部付ける、は失敗する。昨日学んだ。今日は覚えている。えらい。自分で自分を褒めるしかない。周囲には泥と死んだ甲虫しかいないからだ。
《石核ログ》
硬殻片:装着保留
理由:可動性低下
保管:仮置き場
保留。
大事。
使わない判断も、使う判断である。
私は牙を一本だけ側面に残し、もう一本と硬殻片を仮置き場へ戻した。片方だけなら、可動性は維持できる。戦闘になれば心細いが、今は移動が優先だ。
泥から出る。
まずはそこだ。
腕だけで、剣と牙を付けて、泥の中を進む。
客観的に見ると、かなり変な存在になってきた気がする。最初はただの石腕だった。今は折れた剣が刺さり、側面に甲虫牙を仮装着し、根元に薄石の支えがある。
魔物というより、失敗した工具箱である。
だが、工具箱なら悪くない。
工具は、使い方を覚えれば仕事をする。
私は剣を刺した。牙で少し削った。薄石で沈み込みを抑えた。腕を引く。
ずるり。
泥が少しだけ軽くなった気がした。
《第4話リザルト》
装着成功:甲虫牙×1
装着保留:甲虫牙×1/硬殻片×1
新規機能:牙削り
新規理解:装備角度
上昇:削撃補正
低下:固定率
未解決:牙の長時間固定/泥詰まり/硬殻片の使い道
リザルトを見て、私はしばらく考えた。
牙を付けた。
削れるようになった。
でも邪魔だった。
角度を変えた。
少し使えるようになった。
つまり私は今日、牙の生えた腕になった。
進化と言えば進化である。
ただし、見た目の方向性がかなり野生。
《石核ログ》
暫定呼称:牙付き石腕
やめて。
そのまますぎる。
せめてもう少し格好よくしてほしい。牙剣腕とか、削岩腕とか、そういう方向でどうだろうか。
《石核ログ》
名称変更権限:なし
ないのか。
私、自分の名前もまだ未設定なのに。
腕に牙が生えた。
でも名前はない。
順番、絶対におかしい。
私は泥の中で、折れた剣をもう一度刺した。
牙付き石腕は、今日も地味に前へ進む。
……やっぱり、その名前は嫌だ。




