第25話 罠を使い返す
泥水の流れは、まだ止まっていなかった。
細い沢が濁り、草の間を走り、盗賊が置いた枝や落ち葉を押し流している。私が作った道だ。逃げ道としては成功。村の水路としては失敗。
成功と失敗は、同じ方向へ流れるらしい。
私は倒木の下で動きを止めた。包囲は割れた。だが、まだ終わっていない。ヴォルグたちは村側の道を押さえている。旧鉱山道からは、かち、かち、と金属を噛むような音が続いていた。
そして、リッカが戻れていない。
彼女は水路と村道の間にいた。逃げようとすれば盗賊に近い。止まれば濁った沢に近い。旧鉱山道へ下がれば、虫の音に近づく。
悪い位置。
壊れやすい部材が、危険な支点の近くに置かれている。
そういう判断だった。
ヴォルグが短剣を抜いた。
「動くなよ、鉄拾い」
リッカの肩をつかむ。短剣の刃が、首の近くに置かれる。
私はそれを見て、いや、感じて、動きを止めた。
短剣。
柔らかい首。
盗賊の手。
村への道。
私との距離。
位置関係が悪すぎる。
《状況解析》
対象:リッカ
状態:拘束
危険:短剣接近
推奨:直接接近不可
直接近づけば、刃が動く。
刃が動けば、リッカが壊れる。
リッカが壊れれば、村側の反応が悪化する。鉄拾いが消える。ガレンへの小素材の流れも減る。村外縁の観察も難しくなる。
壊してはいけない配置。
私はそう結論した。
ヴォルグが笑った。
「分かるのか? この子供が惜しいか?」
惜しい。
そう言われると違う。
素材ではない。装備でもない。だが、壊れると周辺構造に悪影響が出る。つまり、失ってはいけない外部部材。
言い方がひどい。
だが、今の私にはそれが一番正確だった。
リッカは震えていたが、泣いてはいなかった。彼女の手には、まだ鉄串がある。盗賊はそれを取り上げていない。武器と思っていないのだろう。
鉄串は細い。
だが、隙間に入る。
使える。
私は薄鉄片を鳴らした。
きん。
リッカの視線が動いた。
私は破損鎖を、泥水の中へ少しずつ引いた。鎖は重い。だが、水が押せば、少し流れる。前に盗賊が私を引いた道具。今は、流れに乗せる。
ヴォルグは短剣を動かさず、こちらを見ていた。
「鎖を捨てろ」
捨てない。
持ちすぎないだけだ。
私は鎖の端を水路脇の倒木へかけた。もう一方は、盗賊たちが積んだ石の残りへ通す。流れが鎖を押す。倒木が支点になる。石が重りになる。
まだ足りない。
輪を固定するものが要る。
私はもう一度、薄鉄片を鳴らした。
きん。
リッカが、ほんの少しだけ手を下げた。
彼女は鉄串を落とした。
偶然のように。
だが、鉄串は泥の上を滑り、鎖の輪と石の隙間に刺さった。細い。弱い。だが、今は十分だった。鎖の輪がそこに引っかかり、流れに押されても外れない。
《外部部材反応》
鉄串:鎖輪を固定
破損鎖:張力発生
倒木:支点化
いい位置。
かなりいい位置。
リッカは守られるだけの部材ではなかった。細いものを、細い隙間へ入れられる人間だった。
ヴォルグが気づいた。
「何をした」
遅い。
泥水が鎖を押す。鎖が張る。倒木がきしむ。石積みが崩れ、流れが横へ増える。
張った鎖は、盗賊の足元を横切った。
一人が引っかかる。
二人目が避けようとして、濡れた泥で滑る。
ヴォルグの手が一瞬、リッカから離れた。
私はそこへ、鉤棒を投げるように押し出した。投げる、というほど勢いはない。だが、泥水と鎖の張力で、鉤棒は横へ滑った。
鉤がヴォルグの足元の鎖にかかる。
鎖がさらに引く。
ヴォルグの姿勢が崩れた。
短剣がリッカから離れる。
リッカは自分で転がった。綺麗ではない。泥だらけで、かなり危ない動きだ。だが、刃の近くから離れた。
それでいい。
私は剣を硬層にかけ、リッカとヴォルグの間へ入る。
近づきすぎない。
刃が届かない距離。
でも、進路を塞ぐ距離。
《石核ログ》
罠反転:成功
対象:破損鎖/泥流/倒木
効果:盗賊姿勢崩し
リッカ危険距離:低下
ヴォルグはすぐに立とうとした。速い。倒れても弱くない。だが、彼の片足には鎖が絡んでいる。自分たちが持ち込んだ鎖だ。
私は鎖を引かない。
倒木に任せる。
水に任せる。
固定点に任せる。
私が全部を動かす必要はない。
ヴォルグが短剣で鎖を切ろうとした。切れない。鎖は切るものではなく、外すものだ。だが、彼は泥で滑り、輪に力が入らない。
盗賊の一人がリッカへ向かおうとした。
私は薄鉄片を強く鳴らした。
きん。
旧鉱山道の奥で、音が返った。
かち。
かち、かち、かち。
虫の音が増えた。
盗賊たちが止まる。
「虫だ」
誰かが言った。
「鉱山の虫が来るぞ!」
その声には、私への警戒とは違う色があった。
恐怖。
人間は、金属を食う虫を知っている。
盗賊の腰の短剣。鎖。鉄具。全部が虫の餌になる。私の剣や鉄楔片もそうだ。つまり、この場で虫を呼ぶのは危険だ。
だが、盗賊にとっても危険。
私はさらに薄鉄片を鳴らさなかった。
必要以上に呼ぶのはまずい。
音は広がる。広がったものは、戻せない。
ヴォルグが鎖から足を抜いた。短剣を拾い、こちらを睨む。
「覚えたぞ、剣付き石」
覚えなくていい。
できれば忘れてほしい。
彼は倒れた仲間を引き起こし、村側ではなく、森の奥へ下がった。だが、一人が旧鉱山道の方へ逃げかけた。
奥から、殻音が強くなる。
盗賊はすぐに悲鳴を上げ、別の方向へ走った。虫そのものは見えない。だが、鉱山道の入口に落ちていた錆びた金具が、少しずつ泥の中へ引き込まれていく。
見えない方が嫌な時もある。
かなり嫌だ。
ヴォルグは舌打ちし、部下を連れて引いた。完全な敗走ではない。私を諦めたわけでもない。だが、今この場所で解体するのはやめたらしい。
クラウドファングは去った。
少なくとも、今は。
リッカは泥の中で座り込み、息をしていた。壊れていない。鉄串は鎖の輪に刺さったままだ。彼女はそれを見て、それから私を見た。
「……使ったの?」
問いかけ。
答えられない。
私は薄鉄片を小さく鳴らした。
きん。
リッカは少しだけ眉を寄せた。
「返事なのか、威嚇なのか、分かんない」
私にも分からない。
音の分類はまだ少ない。
ただ、今は攻撃ではない。
それだけは伝わってほしい。かなり難しい注文だが。
私は鎖の輪から鉄串を外し、リッカの方へ押した。返却。彼女の道具だ。外部部材として有用だが、無断保持はたぶん関係を悪化させる。
リッカは鉄串を拾った。
「沢、怒られるよ」
それは困る。
だが、今は仕方なかった。
仕方なかった、という言葉で村が納得するとは思えない。水は濁った。道は崩れた。盗賊は逃げた。虫の音は残った。
問題が消えたわけではない。
配置が変わっただけだ。
《石核ログ》
盗賊団:一時撤退
外部部材:鉄串返却
破損鎖:一部残存
旧鉱山道:危険度上昇
警告:情報流出
情報流出。
ヴォルグは逃げた。
つまり、外へ話す。
剣付きの動く石。素材を持つ魔物。罠を使い返す何か。村の外にいる謎の存在。金属を食う虫の近くで動くもの。
噂は広がる。
私が置いた素材から始まった噂が、盗賊を通じてもっと遠くへ行く。
これは危険だ。
同時に、旧鉱山道の奥の音も無視できない。
かち。
かち、かち。
金属を食う虫。
私の装備を食う可能性がある敵。
そして、おそらく、金属を集める場所。
素材場か。
捕食場か。
まだ分からない。
だが、確認する必要がある。
《第25話リザルト》
小決着:クラウドファング一時撤退
使用:破損鎖/泥流/倒木/鉄串
新規理解:敵の罠も向きを変えれば使える
外部協力:リッカの鉄串配置
回収:破損鎖一部
警告:盗賊による情報流出
未解決:沢の濁り/村側の反応/旧鉱山道の金属食い
罠を使い返した。
勝った、とは言いにくい。
沢は濁り、盗賊は逃げ、虫は奥で鳴っている。
片づいたものより、増えた問題の方が多い気がする。




