第71話 不死身の魔族
ぽたり、ぽたりと、マルセルの首から滴る血が白亜の床を汚していく。
一瞬の静寂の後、審問の間は狂乱の坩堝と化した。
「ひ、ひぃぃぃっ! 神殿長が!」
「ば、化け物だ! 逃げろ、逃げろぉっ!」
先ほどまで傲慢に誠一たちを断罪していた高位の聖職者たちは、威厳も何もなく、互いを突き飛ばし合いながら出口へと殺到した。
治安を維持するはずの聖堂騎士たちも、突然現れた魔族と、首のない最高神殿長の死体を前に完全に恐慌状態に陥り、武器を放り出して逃げ惑う。
阿鼻叫喚のパニックの中。
小山内誠一だけは、まるで凪いだ海のように静かだった。
「神代さん、ラッド、エルマさんを護って下がって」
短く的確な指示を出しながら、誠一の右手が腰に提げた愛刀の柄を握る。
迷宮の一階層で得た名刀、『白兎牙』。純白の鞘から滑り出た刀身は、ステンドグラスの光を反射して冷たく、そして美しく煌めいた。
(……相手は人であることを捨てた魔族。一切の容赦は必要ない)
誠一の瞳が、血塗れの手刀を下げて立つオオモリを冷徹に捉える。
次の瞬間、誠一の姿がブレた。
――スキル【瞬足】。
ドンッ!!
という爆発的な踏み込みの音が遅れて響く。
数十メートルあったオオモリとの距離を、誠一は瞬きすら許さぬ『ゼロコンマ以下』の速度で接近していた。
一切の予備動作も殺気もない、ただ純粋な「最速」の移動。
オオモリが誠一の姿を見失い、紅い瞳をわずかに見開いたその時には、すでに勝負は決していた。
「――シッ」
短い呼気と共に、白兎牙が銀色の弧を描く。
神速の剣戟。
ざしゅ!!
という肉を断つ生々しい音が響き、オオモリの首筋から斜め下へ、そして胴体を真横に薙ぎ払うように、二本の致命的な太刀筋が刻み込まれた。
「……はへ?」
オオモリの口から、間抜けな声が漏れる。
首と、上半身と、下半身。完全に三つのパーツに分断された魔族の肉体が、重力に従ってズレ、床へと崩れ落ちようとした。
誰もが、誠一の圧倒的な一撃によって脅威は去ったと思った。
だが。
「……おいおい、いきなり酷いじゃないか」
ずり落ちようとしていたオオモリの首が、不意にニタリと笑みを深めた。
直後、切断された三つの部位の断面から、コールタールのような黒い靄が勢いよく噴き出した。靄は互いを強く引き寄せ合うように絡みつき、ずれていた肉体を一瞬にして元の位置へと引き戻す。
傷口が塞がり、衣服の破れすらも復元され、ほんの数秒後には、何事もなかったかのようにオオモリが五体満足の姿で立っていた。
「なっ……!?」
ギルベルトが驚愕に目を見開く。
誠一は無表情のまま油断なく距離を取り、白兎牙を下段に構え直した。
「……再生能力か」
「くははっ! 驚いたか? だが、この魔族の身体を切るなんて、お前なかなかやるな。そこいらの聖堂騎士の攻撃じゃあ、全力で叩き込まれても傷一つつかないのによぉ」
オオモリは首をコキコキと鳴らしながら、下劣な笑い声を上げた。
そして、その背後で震えるエルマと、剣を握る手が白くなるほど怒りに震えているギルベルトを見下ろして、残酷な事実を口にした。
「なあ、爺さん。あの聖女を守ろうとしてた、若くて優秀な騎士たち。あいつらがどうなったか知りたいか? マルセルに命令させて、地方の辺境に遠征させた後……俺が直々に、一人ずつ殺してやったんだよ」
「き、貴様……っ!!」
ギルベルトの口から、血を吐くような唸り声が漏れる。
「いやぁ、最高に楽しかったぜぇ? あいつら、遠征先で待ち伏せしてた俺を見て、必死に剣を振るってきた。だから俺は、好きに攻撃させてやったんだ。俺の身体に傷一つつけられないことを思い知らせて、絶望で顔をグシャグシャにしたところを、じっくり、ゆっくり、肉を削ぐように嬲り殺しにしてやった。あの絶叫、たまらなかったなぁ!」
「そ、そんなっ……私の、ために……みんなが……」
エルマが両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちて泣き崩れた。
彼女を守るため、すべてを懸けてくれた心優しき騎士たち。彼らは名もなき辺境の地で、誰にも知られることなく、この悪魔の遊戯の犠牲となって散っていったのだ。
その悪逆非道な告白に、ラッドも「てめえ、この人でなしが!」と叫び、静もまた氷のように冷たい瞳で魔族を睨みつけた。
だが、誠一は。
一切の感情を顔に出していなかった。
激昂することもなく、言葉を荒げることもなく。
ただ、その瞳の奥にだけ、絶対零度の怒りを静かに、深く燃やしていた。
――ヒュッ!!
再び、誠一の姿が消えた。
オオモリが嘲笑の言葉を続けようと口を開いた瞬間、その口は顎ごと縦に真っ二つに両断されていた。
「がっ……!?」
それは、剣舞などという生易しいものではなかった。
言葉で応じる価値もない外道に対する、徹底的な『破砕』。
縦、横、斜め。
白兎牙の純白の刃が、光の網の目となってオオモリの全身を覆い尽くす。
斬撃の雨。
右腕が宙を舞い、左足が断ち切られ、胴体がサイコロのように切り刻まれる。
誠一の踏み込みと刃の軌跡は、極限まで無駄が削ぎ落とされており、一滴の血すらも自身に浴びることはない。
ざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅッ!!
時間にすれば、わずか数秒。
オオモリの身体は、数十の肉塊に変わり果て、ボトボトと音を立てて血溜まりの広がる床へと落ちていった。
もはや人間の形すら留めていない。原型を留めているのは、先ほどまで下劣な言葉を吐き出していた頭部だけだった。
誠一は血振るいをし、静かに刃を向ける。
「……これで終わりなら、いいんだが」
「――だから、無駄だって言ってるだろ?」
コロコロと転がったオオモリの首が、床の血溜まりの中から、愉快そうにそう言った。
「っ……小山内さん!」
静の切羽詰まった声と同時に、バラバラになった肉塊のすべてから、先ほどよりも遥かに濃密な黒い靄が爆発的に噴き上がった。
靄は意思を持った生き物のように互いを求め合い、渦を巻きながら急速に集束していく。肉が繋がり、骨が接合し、衣服が織り直される。
そして、数秒後。
そこには、切り刻まれる前と寸分違わぬ、無傷のオオモリが平然と立っていた。
* * *
「うっ……ぐぐっ……な、なんだあの化け物は……!」
ギルベルトが後ずさり、ラッドも信じられないものを見る目で言葉を失う。
「どれだけ切り刻もうが、跡形もなく消し飛ばそうが、俺は死なねえよ」
オオモリは首筋を撫でながら、傲慢に見下ろして笑った。
「なんたって、俺には【不死】という、この世界で最強無敵のスキルが与えられているんだからな。……さあ、どうする? 『地下牢の剣聖』。お前が力尽きるまで、俺が何回殺されるか数えて遊ぼうか?」
圧倒的な絶望が、審問の間を重く覆い尽くす。
物理攻撃が一切通用しない、文字通りの『不死』。どれほど誠一の剣技が優れていようとも、斬れば斬るほど再生する相手では、いずれ体力を消耗し尽くしてしまう。
しかし、誠一は絶望することなく、静かに白兎牙を正眼に構えた。
強大な魔の力を前にしても、決して退かず、ただ守るべき者のために刃を振るう。
真の強者による、果てなき死闘が始まろうとしていた。




