第69話 招かれざる騎士団
小山内誠一たちが、聖女エルマの護衛を引き受けてから数日が経過した。
その間、拍子抜けするほど屋敷は静まり返っていた。霊体系の魔物はおろか、人間のチンピラ一人すら姿を見せず、ただ時間だけが過ぎていく。
だが、誠一も神代静も、そして老騎士ギルベルトも、この「平穏」がいつまでも続くとは微塵も思っていなかった。
むしろ、息を潜めて獲物の油断を待つ、毒蛇のような気配が街中から漂っていた。
そして、その夜。
嵐の前の静けさは、唐突に破られた。
「……来たようだな」
一階の応接間で、目を閉じて壁に寄りかかっていた誠一が、静かに目を開いた。
ほぼ同時に、外の静寂を切り裂くように、無数の足音と松明のパチパチとはぜる音が屋敷の周囲を取り囲んだ。
窓の隙間から外を覗き込んだ静が、微かに眉をひそめる。
「小山内さん。完全に包囲されています。数は……百人以上。ですが、魔物ではありません。全員、武装した冒険者崩れのゴロツキです」
「やはり、数の暴力で押し切る気か……!」
ギルベルトがギリッと歯を食いしばり、腰の騎士剣を抜こうとした。
これだけの数を相手にすれば、いかに実力があっても屋敷の中に踏み込まれる可能性が高い。
エルマを守り切れるか、老騎士の顔に焦りが浮かぶ。
「ギルベルトさん、剣を収めてください。ここは俺が出ます」
誠一は至って平然とした足取りで扉へと向かった。
「お、俺も行くぜ、師匠!」
「ラッドはここにいて、エルマさんを守るんだ。神代さんは、念のために裏口の警戒をお願いします」
「分かりました。無理はしないでくださいね」
静が頷くのを確認すると、誠一は一人、屋敷の重厚な正面扉を開け放ち、外へと足を踏み出した。
夜の冷気が頬を撫でる。
屋敷の前庭から敷地の外周にかけて、松明を手にした百人以上のならず者たちがひしめき合っていた。下品な笑い声と、酒の臭い、そしてむき出しの悪意が充満している。
「あぁ? なんだ、あの爺さんが用心棒でも雇い入れたか?」
先頭に立っていた、顔に大きな傷のある親玉らしき男が、刀を抜かずに丸腰で現れた誠一を見て下劣に笑った。
「おいおい、腰に妙な刀を提げてるが、抜く度胸もねえのかよ。いいから引っ込んでな、優男。俺たちはお前の後ろにいる『聖女様』に用があるんだよ」
「ヒャハハ! そうだそうだ、神様からたっぷりポイントをもらった上玉なんだろ? 俺たちが可愛がってやるから、さっさと連れてきな!」
ゴロツキたちがいきり立ち、一斉に武器を振りかざして威嚇する。
誠一は、その殺気と悪意の波を真っ向から受けながら、ただ静かに、哀れむような目を彼らに向けた。
「……金で雇われたのか、それとも洗脳でもされているのか。どちらにせよ、これ以上踏み込めば命の保証はしない」
「あぁん? ふざけた口叩いてんじゃねえぞ、殺せ!」
親玉の号令と共に、十数人のゴロツキが怒号を上げて一斉に屋敷へと殺到した。
誠一は鞘に手をかけることすらせず、その場で深く、静かに息を吸い込んだ。
二十六年間、生死の狭間で研ぎ澄ませてきた『闘気』。
それを、一握りの殺意も込めず、ただ純粋な「意志の塊」として喉の奥から解き放つ。
「――失せろ」
声量は、決して大きくなかった。
しかし、その一言は物理的な衝撃波を伴って、その場にいる全員の鼓膜と脳髄を直接揺らした。
「がっ……!?」
「あ……え……?」
空気がビリッと震え、空間そのものが歪んだかのような錯覚。
先頭を走っていたゴロツキたちが、まるで透明な壁に激突したように足を止め、次々と白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
その衝撃は波紋のように広がり、後ろで松明を掲げていた者たちにも伝播する。
悲鳴を上げる間もなく、武器を取り落とし、膝から崩れ落ち、あるいは泡を吹いて倒れていく。
バタバタと人が倒れる音だけが響き渡り、ほんの数秒後には、百人以上いたゴロツキたちが、ただの一人も立っていられなくなっていた。
残されたのは、静寂と、地面に転がる無数の気絶した男たちだけだった。
「……す、すげえ……」
窓から外を見ていたラッドが、言葉を失って呟く。
誠一は小さく息を吐き出すと、一番近くで気絶している親玉の首根っこを掴んで持ち上げた。
「さて。誰にどれだけの金で雇われたのか、リーダーから直接話を聞くか」
ペチペチと親玉の頬を叩き、意識を覚醒させようとした、その時だった。
「――そこまでだ! 武器を捨てろ!」
大通りの方から、金属鎧の鳴る規則正しい足音と共に、数十人の聖堂騎士団が隊列を組んで姿を現した。
白銀の甲冑に身を包んだ彼らは、倒れ伏すゴロツキたちを一瞥することもなく、まっすぐに誠一と、背後の屋敷へ向けて槍の切っ先を向けた。
「この神聖なるセレンヘイムの街で、これほどの騒ぎを起こすとは何事か!」
隊長らしき壮年の騎士が進み出ると、芝居がかった大声で告げた。
「我々は治安維持を司る聖堂騎士団である! これより、お前たちを騒乱罪の容疑で身柄を拘束する!」
「なっ……!?」
屋敷の中から飛び出してきたギルベルトが、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「馬鹿なことを言うな! 我々は襲撃を受けた被害者だ! 第一、こんな大勢のゴロツキが街の中央まで完全武装で入り込んできたというのに、貴様ら騎士団が今まで気づかなかったとでも言うのか!」
「口を慎め、元顧問殿。我々は通報を受けて駆けつけたに過ぎない」
隊長は冷笑を浮かべ、ギルベルトの抗議を鼻で笑った。
「誰が先に手を出したかなど関係ない。事実として、ここに大量の怪我人が出ている。そして、この屋敷の主である聖女エルマには、彼らを唆して騒乱を引き起こした嫌疑がかけられている。……大人しくお縄を頂戴しろ」
それは、あまりにも理不尽な言い掛かりだった。
最初から、このゴロツキたちは囮に過ぎなかったのだ。
騒ぎさえ起こせれば、それを口実に聖騎士団がエルマを「犯罪者」として連行できる。そのために仕組まれた、卑劣な罠。
隊長の合図で、数人の騎士が屋敷へと歩み寄り、扉の陰で震えているエルマに向けて槍を構えた。
「大人しく捕まれば、仲間の命だけは助けてやる」
そして、無遠慮に騎士の一人がエルマの細い腕を掴もうとした――
まさにその瞬間。
いつの間にか、その騎士の目の前に、誠一が音もなく立ち塞がっていた。
「なっ……貴様、邪魔を――」
騎士が剣の柄に手をかけたのと、誠一が右手の掌底を騎士の胸当てに触れるように当てたのは、ほぼ同時だった。
「……ッ!」
ドォン!
という、大砲を撃ち放ったような轟音が炸裂した。
誠一はただ、素手のまま軽く押し出しただけ。
しかし、闘気を込めたその一撃は、分厚い白銀の甲冑を粘土のようにへこませた。騎士の巨体は、悲鳴を上げる間もなく後方へと数十メートルも吹き飛ばされ、石畳を派手に転がって白目を剥いた。
「「「……!!?」」」
あまりの光景に、騎士団の全員が氷結したように動きを止めた。
殺気も、魔力の波動も一切感じさせないまま、完全武装の騎士を素手で吹き飛ばすという規格外の力。彼らの本能が、「この男に近づけば死ぬ」とけたたましく警鐘を鳴らしていた。
「……彼女を拘束する必要はありません」
誠一は、怯えて固まる騎士団の隊長を見据え、いつもの穏やかな、しかし絶対的な圧を伴う声で静かに告げた。
「そちらがその気なら、こちらから大聖堂に出向きましょう。――こちらとしても好都合だ。……案内してください」
それは、宣戦布告だった。
神殿の暗部を暴くため、そしてこの理不尽な悪意から少女を守るため。
誠一は、ついに巨大な腐敗の巣窟へと足を踏み入れる決意を固めたのである。




