第63話 死体は二度、嘘をつく
大森智也の意識は、一度完全に消失した。
脳漿をブチ撒け、頭蓋を粉砕されて死ぬという経験は、五十三年の人生で初めての事だったが、それは驚くほどあっけない幕切れだった。
だが、彼が三万ポイントという巨額の投資をして得た《不死》という理不尽は、世界の法則を強引に捻じ曲げ、彼を現世へと引き戻す。
「……おい、この上着、見たことねえ素材だぜ。絹より滑らかで、それでいて丈夫そうだ」
「靴も見てくださいよ。この複雑な構造、王都の特注品より質が良いんじゃねえですか?」
泥を噛む大森の耳に、下卑た略奪者たちの声が届く。
彼は全裸だった。
現代日本で着ていたスーツも、下着も、安物の腕時計もすべて剥ぎ取られ、死体として打ち捨てられていたのだ。
盗賊たちは、現代の化学繊維で編まれた衣類を「未知の高級品」として品定めし、笑い合っている。
その時、大森の肉体に異変が起きた。
膨大な魔力(MP)が激しく奔流し、熱を帯びる。地面に飛び散っていた血の滴が、重力を無視して大森の頭部へと吸い込まれていった。
ぐちゃぐちゃに潰れた左目と脳が、まるでビデオの逆再生のように形を取り戻していく。頭部を貫いていた矢が勝手に抜け落ち、肉が塞がり、骨が結合する。
それはポーションによる細胞活性化といった「治療」ではない。
大森の肉体から「死」という事実を削除し、時間を強引に巻き戻す――不気味な視覚効果だった。
(……ふぅ、スキルが発動して、生き返ったようだな)
脳が再生した瞬間、大森は冷徹に状況を把握した。
激痛の余韻はあるが、体の機能は完璧に戻っている。
しかも消費した魔力量は150程度で、大した負担ではなかった。元の積載量が多い彼にとっては「はした金」程度の価値もない。
(異世界に召喚され、野盗に殺され、そして生き返った。……投資は正解だったわけだ。三万ポイントの価値はあったな)
驚きも、神への感謝もない。
あるのは、自分が選んだ商品がスペック通りに動いたことへの、実業家めいた満足感だけだ。
大森はピクリとも動かず、死んだふりを続けながら盗賊たちの観察を始める。
「お頭、この全裸の死体、どうします? 埋めますか?」
「放っておけ。狼の餌にでもなれば、少しは街道も綺麗になるだろ」
会話から「お頭」と呼ばれるリーダー格の男を特定する。
毛皮のベストを羽織り、腰に大振りの曲刀を提げた大男だ。
大森は思考する。
この世界で一人で生きていくのは合理的ではない。
ならば、この盗賊団に寄生するのが一番の近道だ。
強い者の懐に入り、その牙を利用して甘い汁を吸う。彼が闇バイトの指示役として安全な場所から「捨て駒」を操っていた時と同じ手法だ。
(決めた。あいつが俺の『親友』だ)
大森は唐突に、爆発的な勢いで起き上がった。
「うおおおおお!!」
「なっ!?」
「うわあああ! 死体が動いたぞ!!」
パニックに陥る盗賊たちの間を縫い、大森は全裸のまま、驚愕に目を見開く「お頭」へと肉弾戦を挑む。格闘技術などない。ただ、必死に、情熱的に、その厚い胸板へとしがみついた。
「な、なんだ貴様! 離せ! 叩き斬るぞ!」
「……《精神共鳴》、発動」
大森の唇から、呪詛のような囁きが漏れた。
接触。
それがこのスキルの絶対的な発動条件だ。
お頭の脳内に、大森のどす黒い精神波が直接注ぎ込まれる。
数秒前まで、彼は大森を「剥ぎ取っただけの獲物」として認識していた。だが、その記憶の根底が、強烈な魔力によって書き換えられていく。
かつて死線を共にした戦友。
自分の命を救ってくれた恩人。
言葉を交わさずともすべてを理解し合える、唯一無二の親友。
偽りの記憶と共感が、お頭の脳細胞を侵食し、新たな回路を構築していく。
お頭の瞳から敵意が消え、代わりに熱烈な親愛の情が宿るまでに、十秒もかからなかった。
「……ああ。そうか。そうだったな、オオモリ」
お頭は大森の肩を強く抱き寄せた。
先ほどまでの殺気はどこへやら、その顔には再会を喜ぶ男の涙さえ浮かんでいる。
「お頭!? 何を言ってるんですか、そいつはさっき殺したカモで……」
「黙れッ! こいつはな、俺の命の恩人だ! いわば、俺の魂の片割れよ!」
お頭の怒声に、手下たちは困惑の極みに達する。
しかし、この暴力的なコミュニティにおいて、リーダーの言葉は絶対だ。
全裸の中年男性と、涙ぐむ大男の抱擁。
その異様な光景の中心で、大森は薄く、冷酷な笑みを浮かべた。
「悪いな、驚かせて。……ちょっとした冗談のつもりだったんだ」
大森の声には、親友に対する甘えと、支配者特有の傲慢さが混在していた。
彼はそのまま、お頭から手渡された粗末な外套を羽織り、盗賊団の焚き火の輪へと案内された。
誠一が、たった一人で暗い迷宮を彷徨い、孤独と向き合いながら必死に剣技を磨いていた頃。
大森智也は、他者の精神を蹂躙し、一瞬にして安全な衣食住と、暴力を振るうための手下を手に入れたのだった。
「さあオオモリ、まずは肉を食え。これからは俺のものは、全部お前のものだ」
「ああ、助かるよ。……親友(笑)」
大森は差し出された獣肉を汚らしく頬張りながら、内心で舌を出した。
この世は、なんて御しやすい。
大森という悪党にとって、この異世界は「地獄」ではなく、ルール無用の「遊び場」に過ぎなかった。
【今回の獲得・消費データ】
スキル発動: 《不死》……頭部欠損からの完全再生(消費MP:150)
スキル発動: 《精神共鳴》……盗賊団長を対象(消費MP:2,000)
現在の状況: 盗賊団「赤牙の団」に潜入(支配下)




