第61話 報いと罰
大森智也の論理は、いつだってひどく単純で「合理的」だった。
表向きは、ごく平凡な中堅企業の営業マン。
だが、スーツの下に隠された本性は、学生時代から何一つ成長していない冷酷な捕食者のそれである。
彼は昔から、弱い人間やはみ出し者をいたぶることに何の痛痒も感じない人間だった。
むしろ、他人の苦痛や悲鳴は、退屈な日常を彩る程度のスパイスでしかない。
そんな彼に、昔の不良仲間からある「仕事」が持ち掛けられたのは、必然だったのかもしれない。
「闇バイトの指示役」――
それは大森にとって、まさに天職と呼べるものだった。
仕組みはシステマチックだ。
大森は海外に拠点を置くさらに上の人間から指示を受ける。受けた指示を、大森から海外在住の日本人へと流し、そこから日本国内の「実行役」たちへ細かな指示が伝えられる。
末端の馬鹿どもが強盗に入ろうが、詐欺を働こうが、大森の元には安全に金が転がり込んでくる。
仮に駒が捕まろうと、自分に捜査の手が及ぶことは絶対にない。
秘匿性の高い通信アプリと、幾重にも噛ませたダミーのアカウント。大森は自分が「安全圏から見下ろす神」であると信じて疑わなかった。
* * *
ある夜、テレビのニュース番組が、凄惨な強盗殺人事件を報じていた。
実行役の男たちが、標的の資産家と「間違えて」、全く無関係の一般家庭を襲撃したというのだ。血痕の残る現場の映像が映し出される中、大森は高級なデリバリー寿司を頬張りながら、軽く舌打ちをした。
「本当に使えねえな、あいつら」
被害者の無惨な死に対する哀れみなど、彼の心には一ミリたりとも存在しない。
あったのは、手際の悪い駒に対する苛立ちと、目減りした利益への未練だけだ。
そもそも、自分が直接手を下したわけではない。
指示を出しただけだ。彼にとって、モニターの向こう側で起きている悲劇は、単なる「数字の増減」でしかない。
(まあ、身内や仲間なら殺したくはないが。どこの誰とも知らねえ他人がどうなろうと、俺の知ったことか)
大森は冷えたビールで寿司を流し込み、気だるげにテレビの電源を切った。
彼は安全圏から人を動かす全能感に酔いしれることもなく、日常の一部として残虐行為を繰り返していた。
だが、彼が安全圏でふんぞり返っていられたのは、そのニュースを見た日から、わずか「三日後」までだった。
運命が、いや、世界の理そのものが、彼ら悪党を根絶やしにするべく牙を剥いたかのような、不自然極まりない破滅の連鎖。
事の発端は、大森の昔の不良仲間が、街角での職務質問から違法薬物の所持で逮捕されたことだった。
本来ならそれだけの話だ。
だが、警察は押収したスマートフォンの奥深くから、復元不可能とされていた秘匿アプリのログを「なぜか」完全に解析してのけた。
そこに残されていた大森の連絡先と、わずかな通信の痕跡。
警察の捜査網は、目に見えない糸をたぐるように、一瞬にして大森をマークした。
異常な事態はそれだけではない。
時を同じくして、安全であるはずの海外の組織拠点が、現地の警察によって一網打尽にされたのだ。
日本の警察と連携したわけではない。
現地の警察が別件で踏み込んだアジトが、たまたまその拠点だったという、天文学的な確率の「偶然」が重なった結果である。
周囲の人間たちの些細な不手際、不運、そして偶然。それらがドミノ倒しのように連鎖し、誰もが予想し得なかった速度で巨大な詐欺組織は壊滅した。
それはまるで、どこかの誰かが「三日以内に真犯人と黒幕が捕まること」を強烈に願い、世界がその呪いじみた願いに強制的に応えたかのような、完璧な包囲網だった。
もちろん、大森がその因果を知る由もない。
「ふざけるな! 俺は直接手を出してない! 上から頼まれたからやったんだ。断ったら、俺の家族が殺されると脅されてたんだ。仕方ないじゃないか、それに実行したのは他の奴だ。……俺は悪くない。なぜ俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ!」
法廷に立った大森は、見苦しくわめき散らした。
しかし、下された判決は「懲役十六年」。
(嘘だろ? いくら何でも長すぎる。実行犯がやったことじゃないか。俺は何も悪いことなどしていないのに!)
どれだけ心の中で叫ぼうと、冷たい鉄格子は彼を逃さなかった。
刑務所での十六年は、大森から若さと時間を奪い去った。
だが、彼の腐りきった性根を矯正するには至らなかった。三十代のほとんどと四十代の半分を塀の中で過ごし、出所してきた大森は、一滴の反省すら抱いてはいなかった。
表社会に彼の居場所などあるはずもない。
彼は相変わらず、裏社会の吹き溜まりで詐欺や恐喝といった小悪党のシノギにしがみつき、他人の上前をはねるようにして生きながらえた。
さらに十年という無為な歳月が過ぎた。
大森智也は、五十三歳になっていた。
薄汚れたジャンパーを羽織り、白髪の混じり始めた頭を掻きながら、彼は不機嫌そうに道を歩いていた。
その日、大森はある高校の近くを通りかかった。
そう、ただ通りかかっただけだった。
「……あ?」
突如、足元の空間がひしゃげた。
アスファルトが液状化したかのように波打ち、眩い幾何学模様――巨大な魔法陣が道路を覆い尽くすように展開したのだ。
それは、一人の女子高生――日置佳乃という、別の因果で世界に許されざる罪を犯した存在を異世界の地獄へと引きずり込むための「強制召喚魔術」の余波だった。
いわば、とばっちりである。
大森は標的ではなかった。
ただ偶然、その強大な魔力の渦の“近くを歩いていた”だけだった。
かつて、小山内誠一という男が、純粋な善性ゆえに「ついで」に異世界へ巻き込まれたように。
大森智也もまた、日置佳乃の召喚の巻き添えとして、この世界に残った純粋な「悪意の残りカス」として、その光の奔流に飲み込まれたのだ。
「な、なんだこれ!? ぎゃあああああああっ!!」
自身の足が光に飲まれ、視界が白く飛ぶ中、大森は阿鼻叫喚の絶叫を上げた。
理不尽な引力が、彼の体を次元の彼方へと引きずり込んでいく。
反省を知らぬ悪党の、二度目の、そして本当の意味での「地獄」が、ここから始まろうとしていた。




