第53話 強欲な司祭
ラッドの案内に従い、小山内誠一と神代静は村の中心にある屋敷を訪れた。
豪奢な装飾が施された応接室で彼らを待っていたのは、立派な法衣に身を包みながらも、どこか貧相で脂ぎった印象を与える男――ヴァルザック司祭だった。
「だめだ、だめだ! 得体の知れない旅人の薬を使うなど言語道断! それは慈光の守護者ミリア=セレノス様への重大な冒涜であるぞ!」
ヴァルザックはテーブルを叩き、大仰な身振りで誠一の提案を撥ね除けた。
誠一は表情を変えず、ただ静かに男の目を見つめ返す。
この司祭の言葉には、信徒を案じる慈愛の響きは一切ない。あるのは、自身の権益を侵されることへの苛立ちだけだ。
「……なるほど。教会の掟とあらば、旅の身である俺たちが無理強いすることはできません」
誠一は淡々と応じ、懐から小さな革袋を取り出した。無造作にテーブルへ置くと、チャリン、と金属音が響く。
中からこぼれたのは、旅の途中の魔物討伐で得た素材を売却して手に入れた数枚の金貨だった。
「では、治療代は俺が払います。これでラッドの母親に、もう一度あなたの『回復魔法』を使ってやってください」
金貨の輝きを見た瞬間、ヴァルザックの細い目が限界まで見開かれた。頬がぴくりと引きつり、口元に卑屈で強欲な笑みが浮かぶ。
「ほ、ほう……旅の身でありながら、なかなか感心な信仰心を持っているではないか。よかろう、そこまで言うのなら、この私が特別に祈りを捧げてやろう。これだけの上納金を本部に納めれば、私の評価もさらに上がる……ふひょひょ」
下劣な笑い声を漏らしながら、ヴァルザックは素早く金貨をかき集め、自らの懐へと滑り込ませた。
隣に立つ静が、嫌悪感に眉をひそめる。
「小山内さん……あんな人に、お金を払う必要なんて」
「いいんだ、神代さん。これで誰も傷つかずに済むなら、安いものだ」
誠一は静を宥めるように低く囁いた。
彼にとって金は、目的を達成するための手段に過ぎない。
* * *
一行は再びラッドの家へ戻った。
家主のバルトと長男は、司祭が直接足を運んできたことに驚愕し、慌てて土間に膝をついて頭を下げる。
「し、司祭様! わざわざ我が家のようなむさ苦しい場所へ……」
「よいよい。迷える子羊を救うのも私の務めゆえな」
尊大に頷きながら、ヴァルザックは病床の母親の枕元へ進む。
バルトたちがすがるような、そして恐れ慄くような眼差しで見守る中、司祭は両手を広げ、天を仰ぐようにして呪文めいた祈りを唱え始めた。
「おお、光の神ルミエルよ。慈深きミリア=セレノス様よ。この哀れな信徒に癒やしの奇跡を与えたまえ……!」
大声で祈りを捧げ、母親の傷口に手をかざす。
だが、少し離れた場所から観察していた誠一は、内心で静かに溜息をついた。
――魔力が、一欠片も動いていない。
スキル「魔力視」を持つ誠一は、空間に漂う微細な魔力の流れすら視認できる。
今、ヴァルザックの手からは何も放出されていない。ただの芝居だ。回復魔法など最初から発動していない。
「よし。これですぐに良くなるであろう。ルミエル様の恩寵に感謝するのだな」
芝居がかった仕草で額の汗を拭い、ヴァルザックは仰々しく頷いた。
だが、母親の荒い呼吸は治まらず、熱も下がらない。苦痛に歪んだ表情のままだ。
バルトたちの顔に、深い絶望の影が落ちる。
司祭はそそくさと家を出ようとする。
その行く手を遮るように、誠一が一歩前へ出た。
「……待ってください」
「なんだ? 儀式は終わった。私にはまだ職務があるのだ、道を空けよ」
苛立ちを隠そうともしない司祭に対し、誠一は冷たく澄んだ声で問いかけた。
「……あの、約束の回復魔法は?」
「な、なに?」
「今のはただの祈りでしょう。魔力の流れが一切なかった。あなたの回復魔法は、いつ発動するんですか?」
その静かな言葉は、真冬の刃のように鋭く、神殿の権威を切り裂いた。
図星を突かれたヴァルザックの顔が、みるみる朱に染まる。
「き、貴様ぁ……! 神の奇跡を疑うのか! 異端者め、神罰を下してやる!!」
逆上したヴァルザックは、誠一の顔面へ拳を振り上げた。
だが、それはあまりにも鈍重で無軌道な一撃だった。
(……やはり、この人は回復スキルすら持っていないな)
誠一は軽く首を傾けて拳をいなし、すれ違いざまに足を払う。
それだけで司祭は無様に宙を舞い、土間へ顔から激突した。
「ぐべぇっ!?」
「っ、司祭様!?」
驚くバルトをよそに、誠一は病床の母親へ歩み寄る。
バルト一家に進呈した青い液体の小瓶――
ポーションを取り、栓を抜いた。
「小山内さん、手伝います」
「頼む、神代さん」
静が母親の上体を優しく支え、誠一がポーションを口元へ運ぶ。
バルトが「あっ」と制止するより早く、青い液体が喉を通った。
直後、部屋に淡い光が満ちる。
それは純度の高い生命力(魔力)が具現化した光だった。
ひどく化膿していた傷が、時間を巻き戻すように塞がっていく。
苦痛に歪んでいた顔から熱が引き、穏やかな寝息へと変わった。
「母ちゃん……!」
「おお……なんという……傷が、綺麗に……」
ラッドとバルトは、信じられないものを見るような目で母親を覗き込む。
本物の『奇跡』を前に、家の中は深い静寂に包まれた。
「貴様らぁ……! よくも私をコケにしてくれたな!!」
床から這い上がったヴァルザックが、鼻血を垂らしながら金切り声を上げた。
その顔は屈辱と怒りで夜叉のように歪んでいる。
「神聖なる教会の掟を破り、怪しげな魔薬を使ったな! この家は全員、異端として討伐隊に引き渡してやる!!」
怒鳴り散らす司祭に対し、誠一はゆっくりと振り返った。
その瞳に宿るのは、一切の感情を排した虚無の冷たさ。
「勘違いするな。バルトさんたちは俺を止めようとした」
一歩、ヴァルザックへ歩み寄る。
「これは俺が勝手にやったことだ。罰はすべて、この俺が受ける」
その瞬間、ヴァルザックは息を呑んだ。
目の前の旅人から、目に見えない巨大な圧力が膨れ上がるのを感じたのだ。
怒りでも殺意でもない。
強大な龍が、足元の虫を見下ろすような――絶対的な「格の違い」。
「ひっ……!」
ヴァルザックは喉を引き攣らせ、後ずさる。
触れれば死ぬ、と本能が警鐘を鳴らしていた。
「い、異端だ……! 貴様らは悪魔の使いだ! 今すぐ村から出て行け! 二度とこの神聖な土地に足を踏み入れるな!」
実質的な追放宣言だった。
だが、誠一の表情に動揺はない。最初から、こうなることは予期していた。
「分かりました。俺たちはすぐに出て行きます」
誠一は短く答え、静に目配せする。静もこくりと頷いた。
家族に危害が及ばないよう、すべての責任を自分たちで被る――それが誠一の選んだ最善だった。
「おっさん……お姉ちゃん……ごめん。俺たちのせいで……」
「気にするな、ラッド。お母さんを大切にな」
涙ぐむ少年の頭を優しく撫で、誠一はバルトにも一礼して踵を返す。
喚き散らす司祭を背に、誠一と静は傾きかけた夕日が照らす村の出口へと静かに歩き出した。
母親を救った代償として、彼らは村を追われた。
だが、誠一の足取りに後悔の色は微塵もなかった。




