十章 奉竜祭 前編
アラタアラマズはまだ彼を知らない。
彼が再起するまでにかかった時間は、怪我の程度からすればかなり早かったと言えるが、それでも長い時間を要したのは間違いない。
事故から三年の時間が経過していた。
彼女の記憶の片隅にわずかに存在するアバラの竜騎士が、表舞台に久しぶりに立つ事になると言う噂が広がり始めたことすら彼女は気付かず。
日々外交の使者として彼女は忙殺されていたが、天敵に近い竜騎士のお披露目や当代における最強の竜の乗り手を競わせる名誉以上の意味はない奉竜祭に今年もまた呼ばれていた。
とは言えこの奉竜祭は簡単に言えば王国の外周を一回りするだけのレースだ。
しかし一年目で彼女はこのレースを気に入ってしまった。
障害物などはないが、妨害有り、騎士法に弓に槍、ありとあらゆる手段を使って敵を追い落としての勝利こそが簡単に言えばルールである。
それを最高の練度と技量を誇る騎士たちが、死を厭わずに暴れまわる殆ど殺し合いに近い代物である。
本質としてはどこまでも戦の申し子であるアラタアラマズは、その血生臭さを好んでいた。
歴史だけは深いが故に真っ当ではない祭りではあるが、勝者は当代最強の竜騎士として竜爵という特殊な爵位を一年間与えられる。この竜爵というのは、戦場で先鋒を任せられるという権限だけを持つ極めて特殊な爵位ではある。
先鋒を任せれば相手を打ち砕くと信じられるだけの技量を持つ最強の竜騎士。
この国においてはまさに英雄を決める祭りだ。
だがアバラの竜騎士は建国当初こそ竜爵を輩出してきたが、既に竜の機能として火竜と風竜でレースをすれば当然だが風流が勝つ程度には運動性能が違いぎる為、六代前から奉竜祭に出ることはなくなった。
そんな歴史があるアバラの竜騎士ではあるが、久しぶりに奉竜祭に出るという。
はっきり言えば公爵のごり押しだ。
確かに彼はアバラの色子とは言われることは無くなった。その代わりにアバラの豚乗りと呼ばれている。
当然だが王冠とされた混血竜を見れば、この時代の常識でも、後の時代の常識でも、駄竜扱い受けるのは当然の事ではあるが、不遇と駄竜という扱いにより彼はいつの間にかそう呼ばれる事になっていた。
公爵の尻を舐めたとか、昔から噂されていた内容の信憑性がこういうことで強くなるが、本当に自分勝手な人間ばかりの性で最初から最後までそういった言葉を気にしたことは一度としてなかった。
そんな非常識が出る事すら気付いていない彼女は自分が見過ごした怪物がどういう存在か、生涯絶望する程度には眼球に刻み付けられる。
ウラジロは当事者でありながら傍観者であったが、この三年の事実を見続けてきた。
なんやかんやと彼との友誼を通じて、訓練の相手として選ばれたのが彼であった。
正直に言えば失敗だと思ったのは、彼が動けるようになってからだった。
彼は良い人間ではあるが、オーゼンは人を平気で道具として扱える人間である。
申し訳ないが手伝ってくれと頭を下げられた時、もっと言うのならボロボロの人間が再起の為に訓練相手になってくれと真摯に請われれば断り辛い。
最もそれ自体は障害を持った人を使った募金の請願に近い下劣な行為だが、そもそも言っている事自体は嘘偽りない。
人の善性を刺激して断れない状況を作り出す事が下劣なだけだ。
世間の噂の無価値さを身をもって体験させられることになる彼だが、後世という事に関してだけなら歴史に名を残す怪物の一人とはなる。だが生憎と現在の彼からすれば誰がそんなこと願ったかというだろう。
なにせ人間性を捨てた奴の訓練に付き合うのだ。
彼の手記などは存在しないが、オーゼンの死後に彼を述懐して語った言葉が残っている。『戯けた人生を送らせてもらって心底迷惑だった』と彼は語っている。
何せこの男訓練には付き合わせるが、一切竜に乗る姿を人に見せない。
三年間で何をしていたかといえば、片腕と指三本の相手との剣の打ち合いである。
歩けるようになったとはいえ右足は引き摺っている状態の相手と、真剣で打ち合いをさせられたりと付き合うには中々の地獄であった。
「それでなんで俺が負ける側何だろうとは思うが、あれを知っていると公爵のごり押しとも言い辛い。だが世間様がそれを実力で勝ち取ったとは言わないだろうよ。
あいつなんか毎回人生に逆風吹いているけど、本当に風が吹いているのを理解しないよな」
それを追い風だとあちらは思っている様だから性質が悪い。
あの風竜を選ぶと思っていたのに、あれの騎竜は駄竜と言うしかないが、もはやあれを自分の基準で図ってはいけない事をウラジロは見続けた。
あれと会話をすると笑えないブラックジョークのようものを言い始めるが、彼からすれば交流のつもりだが毒の方が強すぎて聞く方が頭を抱える。
餓死する人間で衰弱死に近いですよとか、笑い話の様に笑えない事を言うので、お嬢様から結構怒られているが本人はその辺りのセンスがないのか首を傾げて不服そうであったりする人間らしさが、人間の様に見えて気持ち悪い。
だが三年が経ち何かの確証を得たのか、公爵に直接出させてくれと嘆願した光景を隣で見ていたウラジロは、あの強面の髭オヤジが破顔してそうかそうかと涙を流す姿を見せられて別の意味で固まったりした。
正直気持ち悪かったが彼も常識のある人間である為口にはしなかった。
公爵の期待が重すぎる事に対して大丈夫かと声をかけた彼に対して「多分もう誰にも負けないと思う」などと返した存在に、どういう意味かと返す事も出来なかったが、オーゼンの言葉はつまりはそういう事なのだろう。
腕が無いなどと言うのは、これの前ではさしたる意味はない。その事実は三年間で彼は刻み付けられたし、異物でしかない不遇の男が何かをひっくり返すのだろうと言う確信だけは得た。
事故から立ち上がり夢の舞台に立つなんて言うよくある話だ。
そんな陳腐な話からの逆転劇なんて言う爽快な結果を見続けた男は期待した。
奉竜祭前日にお嬢様は地面に唾を吐いてようやくですかと呟いた。
未だ自己顕示欲を解消できずにいる彼女は、一番弟子と言った男にとってはどこまでも都合のいい道具でしかない事実を再確認させられる。
本質的には身内に甘く、懐に入れれば優しいお嬢様は、その性質を悪用されながら今の状況に辿り着いた。
見るだけで消し去りたい男だった筈なのに、死にかけた際には心配すらしている。
そんな彼女だが久しぶりにオーゼンと言う男に対して嫌悪感を抱いていた。
「三年であの体は飛び越えられるという事ですか」
三年の間、彼が竜を使って飛んだ場所を彼女は見ていない。
彼女もまた彼の訓練のために力を貸していたので、自分が眠っている時ですら竜に乗っていない事を知っている。
それで何がなせるのだと、また同じように墜落して死にかけるのではないかと思われても仕方はない。
その部分に対して何もしていない事に、真面目な彼女は嫌悪感を抱くのは当然と言えば当然だ。
悲しいかな狂人の理屈で生きていない彼女は、オーゼンの理屈を読み解く事は出来ない。
頭のいい彼女はその事実に気付けてしまうからこそ、お前は分からないよなと言われているようで不愉快であるのだが、彼は彼女に対して配慮は一切しない。
言い方はとても悪いが彼女と出会って以来、一定の価値を彼女に抱いているが興味自体は出会った時から一切ないのだから当然だ。
そう言った彼の態度が彼女の体調を崩す程の嫌悪感となったのだが、言い方を悪く言えば彼女の価値なんてオーゼンにとってはその程度でしかない。
それを久しぶりに再認識させられれば彼女の自尊心が刺激されてしまう。
数年前妥協しながら受け入れた傷が、今更ながらに膿んできた痛みに久しぶりに顔をしかめる。
当事者のようで部外者。
本質的には彼らを理解できないまともな人間である事を自覚しながら、彼らの中に一度は入ってしまったが為に当事者としての意識が抜けない。
なのに彼らは何を目的として行動しているのかを教えられる訳でもない事が、彼女にとっては精神的負荷になる。
お嬢様は言い方が悪ければ、自己を蔑ろにされるのを極端に嫌う自意識過剰な女性だ。
だが自尊心が高すぎるが故に、何も言わないで分かり合える公爵とオーゼンの二人と一緒にいる事が多ければ、自然と疎外感があるのだろう。
彼女は三年たってもファザコンの自意識過剰な女性のままだ。
この期間で変わったのは彼の歩き方ぐらいで、いまだに彼女の技術は国にすら開かれていない。
なぜなら下手にこの技術を広げると、暗殺の可能性が爆発的に上がる。
今ある技術を簡単に蔑ろにするような代物だと、その技術を持った者の反感が恐ろしく強くなる。
円錐の時代と言われる前段階の公爵はその技術がどういう代物かを冷静に判断した。
すぐにでもばら撒こうと考えた彼女を叱責したり、オーゼンを周りの人間に見せていない理由もここにある。
秘匿された技術を暴き出し、今までの常識であった学問を詳らかにして、権威という代物を台無しにする所業に反発が起きない訳がない。
公爵は晩年にならなければ復古派という派閥の事を知りはしなかったが、この工作を行う過程で派閥が出来たとも言えなくはない。
この国ではアバラ公爵と言うのは、既に政治において突然現れた怪物扱いされている。
先代までは国において国王に貴族の位階としては上の方であったが領地貴族であり、軍事以外では政治に一切関与してこなかった。
竜公爵とさえ言われており、戦争以外では本当に活躍のない公爵家であったとさえ言える。
だが竜を失ったとたんに訳の分からない事をしでかし続けて、既に司法においては公爵の名前を聞くだけで震え上がる法衣も少なくない。
当然の事だが一族一つを根絶やしにしたのだ。
理由かも理解できない状態で、文字通り関わりのある者の根を断つように、一人を除いて虐殺しつくした。
理解の出来ない沸点で証拠も出ない程に徹底して一族ごと抹消した。
こんなものが恐ろしくない訳がない。公爵は確かに司法に一切手を出さなかったが、楔だけは徹底して打ち込んだようなものだ。
わずか数年で公爵領を第二の王都と呼ばれるまでに発展させ、司法の中でも歴史が深い一族の子供引き取り、その一族の根を断ち王権から手放されていた司法を取り戻させ、挙句に王党派には属さず我が道を進む様は怪物扱いされてしかたない。
ほぼ九割が場当たり的な行動によるもの等と誰も思いはしない。
それこそ竜を失って、その暴力性が政に向かっているとしか思われない。
公爵は間違いなく娘を守りながら、表舞台に上げる為の努力を必死になって行っている。
だがどうしてもオーゼンと比べれば、あからさまに差別されているように感じてしまうのも当然の事だ。
最もあからさまに差別されているのは間違いないが、彼女の成果を見せる時期はもうすぐと言う所まで差し掛かっている。
彼が表舞台に上がるのならば、それは彼女の成果のお披露目という事だ。
自尊心は高く、天才と呼ばれるに足る知性を持ちながら、彼女はその性格から視野が途轍もなく狭い。
反吐が出るような不快感を感じている彼女の成果の結晶であるオーゼンと言う結果の意味を理解が出来ずに、本来激情の塊である氷のお嬢様は平静な顔をして自分の心に汚泥をためて居る。
だが公爵は準備を完了させたが、勉学は得意でも政治にはとんと興味もないお嬢様には伝わっていない。
悲しい話ではあるが、親の献身が子供に伝わるのは大人になって子供を産んでからである。
最近では見慣れた歩き方をしている男を彼女の視界に入る。
普段と言うより数年前によく見た構図だと、何もかもを不快の感情に持っていく自分の陰湿さを理解してなお、足りないと思ってしまう彼の表情に久しぶりの吐き気を催した。
「一番弟子は何も変わりはしないんですね。出会った時からずっと、ずっと、目の前の願望しか見えてやしない」
お嬢様は公爵とは別の意味でオーゼンに憧れている。
彼女は認めないだろうが、それは恋愛のような感情ではなく、自分にはなれない自我の怪物としての有様に敗北感を感じていた。
人に影響されて嫉妬し体調を崩す様な自分の有様と、自分の願望以外に一切の揺らがない有様、対比としてはまさにと言う様なものだろう。
歯痒い、自分を見ろと叫びたくなる。だが無理なのだ、あれが人を見る事など生涯無い。
奉竜祭に出ると決まって以来、墜落する前の彼を思い出した。
人間なのだと錯覚する程に浮かれた馬鹿な男の姿の中にある墜落しても笑っていた竜騎士を、そしてその男の心胆があふれ出た生死を歪める精神の有様がどんなものだったか。
人生にそれしかない、人生がそれしかない。
多様性などなく、画一性しかありはしない。
それは人の在り方と言うよりは、何も変わらずいつの間にか見失うような在り方は、赫灼たる星の様だ。
近くにいるだけで、熱で焼き尽くされてしまう。
それに負けたく無いと思うお嬢様の在り方は何も間違ってはいない。
あんな風にはなりたいとは思わなくとも、この世界の中心に自分がいる様に闊歩するよな自身が欲しいと彼女は考える。
杖を突きながら鼻歌でもうたいそうな存在を妬みながら憧れる。
在り様が変わらないと言うのは、疑いもなく自信を信じられているともいえるが、そんなものは死体にでもなっていれば解決する話だ。
そんな存在が人として扱われる事などない。
効率を語るなら生きてる事自体が時間と資源の無駄だ。そんな事を平気で語れる人間は、まず自分の首を吊ってから死体で語ればいい。
どうせ死ぬ結末が分かっているのなら、その方が無駄がなく効率的だと言うのだ。
だが無駄と蛇足にこそ人の価値がある。
竜騎士でしかない男と、人間である彼女には差があって当然なのだ。
未熟な心の動きも、無い物をねだる性根も、全部が全部人間であるなら少なからず備える代物を持ち合わせていない存在は、それでも人らしい感情を持ち合わせているから何度も彼女は人と間違える。
それは断絶と言うしかない代物だが、そうありたいと願う事は人として何ら間違いではなく、嫉妬の感情によって一番弟子と叫びながらマウント行為を繰り返す。
そんな彼女は誰よりも彼らの周りで真っ当な人間だ。
ただ遠めに見ているだけだが、その男は祭りを楽しみに歩いていた。
その足が向かう先は彼の騎竜がいる場所だろう。墜落した際またオーゼンに反抗して、徹底的に同地らが上か判断させられたが、むしろ墜落の理由があまりにも恐ろしかったから抵抗しただけではないかとお嬢様は思う。
よく殴り合いの様な事をしているが、自我が強い者同士反発するのは当然だ。
彼が飛ぶはずだった日、墜落と言うしかない結末であった。
訓練もせずじゃれ合っているだけで、その先があるのだろかとも考えるが、あの男が意図もなくそんな事をしないのはもう理解しつつあった。
だからあの日の続きがあるのだろうと納得してしまう不快感がぬぐえないのだ。
彼が空を駆けるときに見せる墜落の先は、父が恋焦がれた竜騎士が見せる空の先が必ず達成されると知っている。
それがきっと彼女が生み出した技術を彼が求めた理由で、それの結果が何かを起こすかを早く見せろという技術に対する彼が考えたアプローチにこそ彼女は興味を抱いている。
と、錯覚しているだけだが、人は自分の常識の範疇に他の価値観を嵌めたがる。その典型ともいうべき行為をお嬢様は行っているだけだ。
この場合彼女は自覚してないだけで、ただは焦れているだけだ。
打ち上る花火は確かに美しいものだと思うが、それを三年も待たされて準備すらまともに見たことがない状態で花火が始まると思う方が認識としてはずれている。
蚊帳の外で一人ぼっちで、結局必要な道具扱い。
結果は大一番でと言うのも一種のサプライズかもしれないが、生憎と彼女はオーゼンにそれほどの信頼は抱けないし、公爵のような全権委任が出来るような性格でもない。
自分が中心でない計画なんて、そもそも彼女は認められるような性格ではないのだ。
そんな時にオーゼンは浮かれているのは分かるが、彼女に対して一礼する。
ただの挨拶なのだろう。普段なら絶対しないような事だが、前と同じで、頭がばかになっているのかもしれない。
そして誰も笑わない冗談でも口にするのかと思いきや「お嬢様」と声をかけてくる。
はっきり言って珍しいどころの話じゃない。
非常識な男であるのは間違いなく、彼女に興味もない男なので当然だが、必要なこと以外話しかけてくる事も無い。
だからいつもの事かと彼女も思ったが、体を引きずるようにしながらも走ってくる。
「いや、私が行くから立ち止まりなさいな」
「いえいえ、今回ばかりはちゃんとした礼節が必要だろうと思いまして」
「あんたの身体で走られたら、罪悪感が先に沸くのは当然でしょう。あと身体欠損系の冗談は当然だけどやめてね。笑えないから」
言おうとしていたのか、ちょっと困った表情をするオーゼンに小さな自尊心を満足させる。
「それは重要な案件ではないのですが、今日は屋敷の人々にお礼を言って回ってるんですよ」
「あんたにそんな殊勝な感情が存在してたの」
「なんやかんやと私の我儘に付き合ってくれた人たちですから、ただすごく変な顔をされましたけれど」
そりゃそうである。
あれほどボロボロになっても竜騎士を諦めない存在を、ほぼ十年ほど見ていたのだ。その間にまともなやり取りはなく、頭のおかしい存在扱いされていた。
「そこまでしても諦め知らないで足掻く人間は、わかりやすく狂人ですからね」
「自分でも普通の人はしない事をしている自覚はありますが、あらためて自分を見るとまさにと言うしかないですが、やってきた事は確かに人でなしの分類ですね」
常識的感性がお前にあったのかと言いたくもなるが、彼がこうなった理由の一つに時間と余裕を感じなかった事がある。
スラムにいたとはいえ、読み書きができる程度には親に教育を受けている。
その後が人生でい言うなら地獄に近い事が起きてはいるが、そこそこには常識を持っている存在でもあるのだ。
夢の達成まであと一日ともなれば、ここで世界が滅びない限りはやる事は決まっている。
そうなってようやくだが、彼の人間的側面がようやく見え始めてきたのだ。
「一番弟子は意外ですがその程度の自己認識が出来る人物でしたか。いえ、出来たのにそれだったんですか」
「必要だから必要なことをしていただけです。今でもあまり自分以外の人間には興味と言うか価値と言うか、そういったものは抱けませんけど要不要で人を判断し続けるのはそのままだと思います」
「おおう、その一人に対してハッキリと言いますね。私がそういうことが嫌いなのを知っておきながら」
確かにと頷くが「今更ですが」と重ねる。
狭窄した視界の男が世界を見たところで結局は何も変わらない。もうそういう価値観で彼は固まってしまったが、それを外から見る感性ぐらいは持っていた。
「言い方はとても悪いですが、使えると思う程度には配慮してました。合計で六度殺害を考えましたが、それを覚えている程度には意識はしてたんですよ」
「君のそれは殺害予告であって、私には恐怖はあっても納得はないからね。そして私の認識は何も間違ってなかった証明をしないでほしいね」
戦闘においては不具である彼ではあるが、それでも彼女と戦えば確実に殺されるのはお嬢様だ。
この状態ですらその程度には怪物、いやそこまでしての状態にしなければあの日の先は見えないのだろう。
「もうしませんし、あとは飛んで飛んで、どれだけ飛べるかを考えるだけです。きっと私の最後は墜落死でしょうが、そういう生き方しかしてこなかったので仕方ないですね」
「病死なんかよりは、一番弟子らしい死因だが長くは飛んでほしい。一応だが君と私は師弟ではあるが、それ以前に昔からの付き合いだ。簡単に死なれると寂しいという感情ぐらいはわくんだ」
「生憎と長生き出来るような性分ではないと思うのですが、長く飛ぶと言うのは次の目標にはいいのかもしれないですね」
これから未来を語れば彼は長生きは出来ない。
そもそも現在ですら無茶を通しているのだ。
相応の代償があるのは当然と言えば当然であり、真っ当な人生を歩めるような生き方をしなかったのだから、人でなしの生き方のまま朽ち果てる。
「誰もが止めたでしょうに、ただそうじゃないと君はきっと生きていけはしなかったのだろうけど」
「後悔はないですよ。以前も言いましたが私の人生は完璧なんですから」
言い聞かせるわけでもなく、確信をもって告げる。
そうだろうともと思う。そうでしかないのだろうとも思う。
それをうらやましく思ったのが彼女なのだから。
「それだけ自由に生きたら、いえ自分のままでいられたら後悔なんて言葉は不要でしょう」
嫉妬だったのか、呆れだったのか、どちらにしろ珍しく感情をあらわにしてお嬢様はいう。
どこか疲れた言葉に一つの憧憬を混ぜてオーゼンの頭をたたく。
こんなことをされたことがなかった彼は戸惑っているが、人間じゃないくせに誰より人間らしく生きるんじゃないと、いろいろな感情が混じったものではあったがお嬢様はなぜがスッキリとした。
ああそうかと、全てに腑に落ちる。
「君はきっとあの祭の勝者になるのだろう。間違いなく全てをひっくり返して勝者になるんだろう。だがオーゼンがするべきなのはその後だ、人としての全部を蔑ろにした以上はその義務を果たすべきだ」
まだ戸惑っている彼だが、それより戸惑うのは初めて彼女に名前を呼ばれたことだろう。
自分にとって最大の目標よりもするべき事があるのは後だと言われ、戸惑いながらなぜと視線を向ける。
「分からないといった態度だが義務があるよ。簡単な事だから覚えておくといい」
分かる訳もない。
だが人でなしにはずっとそうあってほしいという彼女願いである。
オーゼンはオーゼンのままで居続けてほしいと言う。
憧れを自覚した彼女の単純な望みだ。
どうせでしかないが、どうせであっていいのだが、
「誰にも触れられないまま朽ち果ててくれ、この先にすべてを蔑ろにする様に飛び続けてほしい。空に浮かぶ星のように、手を伸ばしたところで届かないような星に君はならなくてはいけない。
それが竜騎士でしかいられなくなった君が、それにしかならない為に蔑ろにした全てに対する義務だ」
どうせこんな事を言わなくても彼はそうなっていくだろう。だがそれでも少しは自分の思い通りに彼を動かしたかった彼女の星を堕とす為の嫌がらせである。
だが彼女だって地面に唾を吐くぐらいなら、天に唾を吐いて生きる方が、言葉の分だけ格好がつくのだ。
よく分からないと思いながら『はい』と頷くオーゼンによく言ったと満面の笑みで彼女は彼の頭をなでて嫌がられるが、それも含めて天に唾を吐くと決めた彼女の宣戦布告だと、今は彼女以外は知りもしない。
知られた時はある意味では、それはそれで別の衝撃的な事件が起きるが十年後のお話だ。
公爵はバーガン通りで空を見ていた。
彼と公爵が出会った理由であり、彼の人生を変えた場所に公爵は立っている。
感傷と呼ばれようがどうでもいい。彼の人生を本当の意味で彩った場所は間違いなくここなのだと公爵は理解している。
王都の中でも南方に位置し、歓楽街の隣にあるが城壁の盲腸の様に唯一壁で遮られる事の無い場所が、バーガン通りと揶揄されるスラム街である。
唯一王都の扱いをされない場所であるが故に、奉竜祭では竜が真上を通り過ぎる場所でもある。
ここが竜騎士を生み出した場所だと言う。
一人の人間がああなってしまった原因だと言う。
馬鹿らしいと呟く、ここを竜が飛んだ如きで世界が裏返る訳がない。
その日の事は公爵だって知っているし勝者も知っているが、彼はそこには興味を持たなかった。彼が憧れたのは別に竜騎士ではなく、空を駆ける事である。
だから瞬きの間であろうとも空を飛べれば彼は満足したのだ。
その時の彼はそれ以外の全ての価値を捨て去った。
だから彼を産み落とし捨ててくれた事に公爵は感謝している。天然でしか生み出せない人間の失敗作が存在した理由だからだ。
情に縛れる公爵は彼にはなれない。道を指し示す事は出来ても歩む事が出来無い。
あんな怪物が産まれる理屈を公爵は作り上げる事が出来ない。
なぜなら身勝手による結末を無視するなど公爵には出来ないし、情の人である彼はオーゼンの家族の様な自分勝手な事を行う事は無いからだ。
しかし身勝手に生きて身勝手に捨てられる理解しがたい類の人種のお陰で、公爵の願いは作り上げられる。
捨てる神も拾う神もいるから世界は帳尻が取れているのであって、その過程で起きる悲劇は生憎とどんな事であってもよくある事にまで平均化される代物だ。
言い方は悪いが親が子供を殺す事も、子が親を殺す事もよくある話であるし、それをあたかも世界における一大悲劇のように扱うのは残念ながら人間と言う生物を過信し過ぎである。
自分で鏖にしろと命令しておきながら、彼と同じようにオーゼンをあんな風に成長させてくれた事に公爵は感謝している。
あんな人間の欠陥品を作ろうとを思っても作れはしない。ああなる前提条件など彼には思いつきもしない。
―――だが出来てしまった。
真っ当ではない人間であり、空に惹かれなければ野垂れ死にしていたか、何か別の物に価値を見出しろくな事をしていなかっただろう。
―――生み出してしまった。
彼の完成を見る筈だった三年前、どこかで欠陥品と思う感情もあるが、欠陥如きでどうしようもない代物がオーゼンだった。生きているのなら寝たきりだろうが、成し遂げると信じさせるのが、彼と言う人間が生きている限り持つ空に対する説得力である。
その言葉を嘘にしてくれなかった。
だから言葉のままに彼の道を開き続けてしまった。
結果―――人でなしの怪物が出来てしまった。
もう公爵の手から離れて、誰にも掴ませないまま飛び続けるであろう存在。
何もかもを蔑ろにした結果の集大成は、これから世界の空を蹂躙していくのだ。
彼を超える空の王はいない。
彼を地面に縛り付ける物はもうない。
公爵が望んだ竜騎士は空の果てまで飛び続けるだろう。
誰にも負けないと言ったのだ。
自分の言葉を曲げない男が負けないと、ならば飛び続けて朽ち果てろと公爵は言う。
誰にも負けないまま、自分勝手に飛び続けて、自分の限界の果てに朽ち果てればいい。
椅子に深く座り椅子が少し軋む音を鳴らしながら、彼がかつて見た空を見上げる。
同時に王都中に鐘の音が響き渡り奉竜祭は始まった。
満願成就はなされ、孤児と公爵の二人が始めた一つの結末の舞台として最良の舞台は整った。
見上げる空は昨日まで雨だったなんて、信じられないほど雲一つない晴れ模様。
嵐なんて起きない筈なのに、オーゼンを知る者たちだけが信じる天気は嵐の模様。
だがそれは今までの時代を破壊する大嵐だろう。
吠える様に、狂う様に、絶叫する様な、そんな風がこの時代に吹き荒れる。
「さっさと来いオーゼン、私はお前が飛ぶ姿に恋い焦がれているのだ」
始まりから続いた決着は音を立てずに、何もかもを引き連れて公爵の前に嵐の様に現れるのだ。




