幕間
公爵の夢は本当に一瞬で墜落した。
竜の背に乗り、瞬く間に弾き飛ばされてオーゼンは地面を転がり、そのまま立ち上がる事すら出来ずに血塗れになり反応すら見せないままであった。
竜は木をへし折りながら転がるが、生来の頑丈さからか、オーゼンが何かをしたのか、現状では何も分からないまま痛みに弱弱しく鳴いた。
だと言うのに公爵は笑っていた。
「おいこれはどういう事だ。何をどうしたらお前は何を考えていた」
流星よりも早く燃え尽き、娘が必死に治療している段階であるが、それよりも目の前で起こされた現実を認められず自身の心の内を無意志に溢れさせ、おいそれとは人に見せられない表情で笑っていた。
死にかけているオーゼンに必死で後ろを見る事など出来ないだろうが、失敗した男が目指していた場所を見る。
それは飛び立つというより放たれた鏃だった。
風が音を生み出し世界に波を溢れさせる。風に打たれるというよりは、空気という壁が押し寄せるような感覚、それが公爵の心臓の音だったのか音だったのかいまだにわからないが、間違いなくそこで見た光景は何かを逸脱するものであった。
竜騎士はこうは死なない。
墜落死は確かに竜騎士の死因の中では最上位に位置するものではあるが、削れて死ぬなど一体どのような事をすれば起こせるのかさっぱりと分からなかった。
風竜で似たようなことは起きてはいたがそれにしてもだ。
体が千切れるような状況を見たことなどない。
「想像が現実に殴り返されたのは分かったが、何を超えようとしてそうなったのだ」
「父上、喋れる状況にありません。一番弟子は竜騎士としてはもう終わっています」
正しい現状判断である。
公爵とてその言葉には三度しかできないほどには、自分の夢の塊は残骸と言うしかない状況に追い込まれている。
だが正気のままの言葉に意味はない。少なくとも公爵と彼はその基準で生きている人間では断じてないのだ。
「終わってなどおらんよ。四肢をもぎ取られた程度で、死にそうになったところで、それが終わると判断する事を私とそれは認めてない」
使用人を呼び出しながら、的確に初期治療を行うお嬢様は父親の理屈を理解できなかった。
だが見てみろと死体を指差す。
竜の背中から弾き出されて一瞬で宙を舞った男は、二度と戻らない腕も馬鹿みたいにひん曲がった足をしながら、地面に削られてあらわになる白骨も、見立てで言いうのなら再起不能と言われてもそうじゃなかったらおかしいと言うだけの状態だ。
だがお嬢様は気付けなかった。刺された指の先を見ても理解の範疇にはなかった。
何も言わずにそれでも沈黙が続く中で何も言わない父に何をと口に出そうとした時にようやく指し示られた場所の意味に気づく。
それがまともではない事はよく知っていた。
自分の都合で容易く他者を害することを知っていたし、本質的には人に対して一切の興味がない人間であることも知っていた。
だからこそ彼女は彼に反発したわけであり、自尊心と言う塊でもある彼女が唯一その感情をあきらめた理由も彼だ。
人では無いから人で無し。
人が人以外と比べた所でさしたる意味はない。そういう存在だからこそ、彼女は彼に対する認識を改めることができた。
だがそれでも認識が足りなかったのだ。
いや一番弟子と言った事からもわかるように、彼女はまだ彼をどこかれ自分とは違う『人間』だと判断していたのかもしれない。
「一番弟子は本当に竜騎士であったのですね」
それは憐憫だろう。
そして諦観だろう。
そういえばこいつはそんなのだったと、人の形をして人のままに夢を語るから、どこかで気付いていた事実から目をそらした。
自身の夢が破滅した状態と言ってもいい。彼の身体を見たら竜騎士としての次はない筈だ。
だがそれは所詮は視点が違うだけなのだ。
物狂いは笑っている。
竜騎士はまだ笑えている。
意識を失っているのか、それともまだ意識があるのか、心臓の鼓動のように体を痙攣させながら死体はたった指折りを重ねる間の時間を夢をかなえた状況だと喜んでいたのだ。
彼にとっては僅かの間でも大人一人分程度の高さであったとしても、人生の全てを叶えたのと変わらない光景だったのだ。
ここまで、この程度で、彼の人生は報われてしまった。
ここで死んでもなにも後悔などない。
きっとこのまま竜に乗れなくなったとしても、彼の人生は完璧なものであったと納得するだろう。
彼はこの日の満足だけで朽ち果てる事ができるのだ。
だが彼の人生は、彼の満足だけでは許されない。
「そうともだからこそこいつは死ねんよ。死ねるわけがないだろう」
公爵は足りない。自分が求めた竜騎士はこの程度ではない。
自己の満足で死に絶える事が出来るが、公爵は彼を夢の場に間違い無く連れてきた。
それしかない男は恩を忘れる事など有り得ない。
その場所は自分の力では間違い無く辿り着けなかった。力を手にする事もなく殺されたか、野垂れ死にか、その程度の末路しかなかった筈なのだ。
願い以外を捨てたから、願いを叶えてくれた事実をないがしろには出来ない。
人生の全てを叶えてくれた。
自分が生きている全てを叶えてくれた。
だが人の欲望に終わりなどはありはしない。
それを告げるように公爵は冷淡な声で話しかける。
「満足の上塗りなど絶対に許さないぞ。私の焦点はそこではない、お前の目的もそこではないだろう」
願いとは人生の賛歌である。
ほかの獣と最も人間がかけ離れている場所はここしかない。
だがそれは本質的に最も醜く気味の悪い吐き気を催すような代物でしかないのだろう。
自己の満足の為に世界を歪める行為が高潔などとは言わない。
だがそれでも願いとは人が世界に向ける自分への賛歌でなくてはならない。
もっと言うのなら自分以外の何もかもをないがしろにする為の世界への宣戦布告であるべきなのだ。
「そで満足してもらっては困る。手段を目的にするものじゃない」
聞こえていないはずなのに、聞こえているように公爵は語る。
まるで彼が返答しているかのように、確信を持った話し方をしていた。
それは鼓舞なのかゆっくりと彼に近付いて行くが、だが全てを理解している中での発言であったのは間違いないだろう。
「あの竜に極潰し通りの羽などと名付けたのだ。ならばそこは手段だ満足には足りぬ筈だ」
惨めな賛歌を
見苦しいだけの賛歌を
のた打ち回る虫の様な賛歌を
世界の全てを捻じ曲げてでも叶える賛歌を
このまま朽ち果てて死にゆく筈の者に公爵は、その死すらも捻じ曲げて歌えと言う。
「お前は奉竜祭を目指したのではないか」
だがそんなもので梟は鳴くのだ。
「ぁ゛、ああ゛ぁ」
本当に見苦しいく惨めな呻き声でしかなかった。
欲望の詰まった執着だけの言葉は、まるで死霊術とさえ錯覚する。満足していた死体を地獄の激痛で目を覚まさせたような目の色の変わり方に、まさしく息を吹き返したと錯覚するものだった。
いつのまにか彼の目の前に立っていた公爵の足首を掴む。
死にかけだと言うのに力強く痛みに顔を歪ませる公爵に、聞き取るには弱く呂律のまわらない声が響く。
「あ゛ぁらぁ゛だ……ぁ゛だま、ず」
何を言っているかなんて、正直に言えばお嬢様には理解できなかった。
ただのうめき声でしかないし、それが言葉であったと認識するのは父の反応である。
しかしながらその反応は聞こえていた事というより内容への驚愕で目を見開いでいた。
「そうか、そうか、それであの先が見れるのだな。死なぬように必死に足掻け、いつも通りだ私が道を開いてやる」
家族の為に整える事も出来ない表情は、彼の夢の成就が近い事を象徴していた。
意識を失ったのか死んだのかも分からないが、それっきり完全に意識を失ったオーゼンは運ばれていくが、握られただけで骨に罅が入っている事にも気づかず。
少年と言うには歪み切った表情に笑みを張り付けていた。
一瞬だが父にすら話しかける事を躊躇わせる程に歪んでいたが、もうこれ以上は彼女も後には引けなくなっていた。
あなた達はどうしようもないのですねという為に。
「父上には最低ですと言った方が良いのですか」
「最悪の方が正しいだろうが、あいつと私にとっては当然だ」
「普通はあそこまで追い詰められたら諦めませんか」
その言葉に失笑する公爵の態度に、お嬢様は怒りよりは疑問の方を強く感じてしまう。
「あれはまた先を見出した。最初は私を、次にお前を、そして次はあの筋肉達磨だ。奉竜祭に出たいが為に、こちらの発想を飛び越して確実に見出してきた。
あれが先を見出すのなら、ましてあのような物を見せておきながら、私が諦められる訳が無かろう」
指を十五回数えた時間、彼は間違いなく空を飛んだ。
いやあれは空を貫いたというのだ。
たったそれだけで、公爵は彼を諦められない。
口を歪ませて、感情を歪ませて、見苦しい執着だけが体に染みついた。
「なにより三十年前からの意趣返しができる。あれに嫌がらせをするのに私は躊躇い」
「え、お父様はあの化け物を筋肉達磨って呼んでるんですか」
「拳で雲を突く様な奴は肉達磨で十分だ」
変なところに驚愕するお嬢様ではあるが、それ以前にだれか彼女は認識していなかった。
そこで死にかけていた男を見た。いや死にぞこなった男を見たが正しいが。
何もかもを無価値にみているから、必要なことに対する躊躇いがない。
それは彼女の家の最大の怨敵と言っても過言ではない存在にすら同様であった。
まったくもって真っ当では無い。何度も反復するように何もかもが一つで終わっている。
「私もお父様も大概身勝手ですが、あれはさらに頭一つ抜けています」
「だろうなあれはそう言う物なのだ。見苦しく羽はばたき周りに迷惑をかけるが、もとよりその様にしか飛べない生物だ。だがな飛び方を知っている者に飛べと言うのは愚かな行為だろう。
ならば飛ばせ続けるしかない、それしか出来ないのだからな」
身勝手ならば公爵とてさして変わらないが、娘はそれには気付けない。
本来ならば最悪の敵である筈のアラタアラマズさえも、必要だからと言って道具のように扱う思考は確かに公爵には存在しないが、どちらかといえばしなかったが正しい。
この二人の始まりはどこまでもオーゼンを始点とする関係だ。
まるで墨汁に染め上げられる紙のように、オーゼンの思想は公爵を塗り替えていった。
本来なら勝てないと思える怨敵すらも手玉に取ろうとする事を躊躇わせない。
彼と会う前の公爵ならば、そう言った前提すらなかったというのに、オーゼンのそれを狂気と言うのならば音と同じ性質なのだろう。
それこそ反響法と呼ばれるようになる新たな技術の様に波として世界に干渉している。
オーゼンがやると言うのなら、公爵もまた疑う事をしない。
確証もないのに、一緒に自殺できる覚悟を勝手にしていた。
そりゃそうだ本当は公爵のそれは狂気ですらない。
もっと単純で、もっと簡潔で、分かりやすすぎて勝手に小難しく考えてしまうだけの代物だ。
彼の初めての願いを聞いた瞬間から、公爵は夢を本来は違えている。
最強の竜騎士を、アバラの名を忘れさせない為の竜騎士を、そう願っていた本来飛びたかった男は飛ぶとこしか出来ない男の先を見続けたいと願ってしまった。
自分が目指せなかった先を、必要ないから人間性さえ捨てていく果てがどこなのかに魅了されてしまった。
いろいろと小難しく語っては見たが、結局の公爵はオーゼンと言う竜騎士に憧れてしまった。
だからその可能性を摘み取らせない為に、彼が彼のままいられるように必死に手を貸し続けているだけなのだ。




