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第38話 仕事から追放されてしまいますわ!?

 翌朝、執務室には昨日とは比べものにならないほどの書類が積み上げられていた。


 ハロルドの商館から押収された帳簿、十年前の王室輸送記録、北門地下で発見された命令書。そして、白百合の中央に王冠を描いた奇妙な印。


 机の上に広げれば広げるほど、事件の全体像は見えてくる。


 ――それなのに。


「エヴァンジェリン」


「何ですの?」


「その三冊目を閉じてください」


「嫌です」


 私は顔を上げることなく答えた。


 すると向かいに座っていたヴィンセントが、深々とため息をついた。


「昨日も同じ会話をしましたね」


「昨日は事件の手がかりが見つかったばかりでしたもの。今日は、その続きを調べる必要がありますわ」


「そして明日は?」


「もちろん、その続きを」


「明後日は?」


「……そのまた続きを」


「つまり、事件が終わるまで休まないつもりですね」


 ーー図星だった。


 私は黙って書類へ視線を戻す。すると、向かいから手が伸びてきて、私の持っていた羽根ペンを取り上げられた。


「返してください」


「嫌です」


「子どもですか?」


「あなたに言われたくありません」


「では、婚約者としてお願いします。今日は仕事をやめてください」


 私は思わず顔を上げた。


「……事件の手がかりを前にして?」


「ええ」


「本当に?」


「本当に」


 ヴィンセントは立ち上がると、机の上の書類を一枚ずつまとめ始めた。


「調査は私が進めます。あなたには別の仕事がありますから」


「別の仕事?」


「私と昼食を食べることです」


「…………」


「それから散歩をして、菓子を食べて、夕方には紅茶を飲みます」


「それは仕事ではありませんわ」


「私にとっては重要な任務です」


 あまりに真顔で言われて、私はとうとう笑ってしまった。


「あなた、本当に私を甘やかすことに関してだけは一切の妥協がありませんのね」


「ええ。仕事では妥協しますが、あなたのことではしません」


 その言葉が妙に胸に残った。


 結局、私はヴィンセントに連れ出されることになった。王都の大通りを抜け、少し人通りの少ない街角へ向かう。


 そこには小さな菓子店があった。


「ここは?」


「以前、あなたがショーケースを三回見返した店です」


「……覚えていたのですか?」


「もちろん」


「私、自分でも忘れていましたわ」


「私は覚えていますよ。あなたの好きなものは」


 店内には焼きたてのタルトの香りが漂っていた。


 私は目を輝かせた。


「……これは美味しそうですわ」


「でしょう?」


「でも、事件の調査中にこんなところへ来ていいのでしょうか」


「だから来たんです」


 ヴィンセントは店員に注文しながら、穏やかに笑った。


「事件のために生きているわけではありませんから」


 その言葉に、私は黙った。最近、私は事件のことばかり考えていた。未来を知っていると思っていたのだ。だからこそ、間違えてはいけないと焦っていた。


 けれど――。


「未来を変えることばかり考えていると、今を生きることを忘れてしまいます」


 ヴィンセントが、私の前に紅茶を置いた。


「未来は、今を犠牲にして手に入れるものではありません。今日を大切に積み重ねた先にあるものです」


 胸に、静かに染み込んでくる言葉だった。


「……あなたは、本当にずるい人ですわね」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「褒めていません」


「では、タルトをもう一つ追加しましょう」


「それは褒められている気がしますわ」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 ところが店を出たところで、ヴィンセントがふと足を止めた。


「……どうしましたの?」


「今、店の奥にいた男性を覚えていますか?」


「ええ。帳簿を持っていた方でしょう?」


「違います」


 彼は小さく首を振った。


「あの男、ハロルドの商館で見た顔です」


 空気が変わった。


 男はすでに姿を消している。


 だが、店員に確認すると、彼は数日前からこの店を訪れ、毎回同じ焼き菓子を大量に買っていたという。


「……包装紙」


 私は呟いた。


 白百合の印が入った包装紙。


 そこに倉庫番号を書き込んでいたのなら――。


「食料を運ぶためだけではありませんわね」


「ええ」


 ヴィンセントが頷く。


「人目につかない形で情報まで運んでいたのでしょう」


 事件は、また一歩進んだ。


 それでも私は、さっき食べたタルトの甘さを思い出していた。


 ーー事件を追うことも大切だ。


 けれど、こうして笑える時間を守ることも同じくらい大切なのだ。そして私は、その両方を一緒に守ってくれる人を、少しずつ好きになっている。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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 まだまだ書きたいことがございますので、よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!


 それでは、また次のお話でお会いしましょう!

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