第29話 私の婚約者がなぜか嫉妬しています....!?
北門の地下で白百合の印が刻まれた扉が見つかった翌朝。
わたくしは、朝食の席で珍しく落ち着かないヴィンセントの姿を見ていた。
いつもなら、わたくしが食べ終わる頃には今日の予定を確認し、午後の休憩時間まで勝手に予定表へ書き込んでしまうような人なのに、今日は手元の書類を何度も読み返している。
「……何かありましたの?」
「いえ」
「その『いえ』は、何かある人の『いえ』ですわ」
「よく分かりましたね」
「婚約者ですもの。最近はあなたの顔を見れば、大体のことは分かるようになりました」
そう言うと、ヴィンセントは少しだけ嬉しそうに笑った。
「それは困りましたね。隠し事ができなくなってしまう」
「そもそも、わたくしに隠し事をする必要があります?」
「必要はありません。ただ、あなたが心配性なので、余計なことまで気にすると思いまして」
「……それは否定できませんわね」
ヴィンセントは苦笑しながら書類を閉じた。
「昨夜の調査で、北門地下の扉には二重の鍵がかかっていたことが分かりました。一つは普通の鍵ですが、もう一つは古い王家の紋章を使った特殊なものです」
「王家の人間でなければ開けられない?」
「昔はそうだったのでしょう。ただ、今の王家が使っているものとは型が違います」
「では、誰かが昔の鍵を持っているということですか?」
「その可能性があります」
そう言いながら、彼は少し黙った。
「そして、もう一つ問題があります」
「まだあるのですか?」
「あります。昨日、あなたと話したあと、私は一つ気になることに気づきました」
「何でしょう?」
「地下通路の位置です」
彼は地図を広げた。
北門。
旧備蓄路。
そして、その先にある王宮。
線を引いていくと、地下通路は王宮の外壁近くまで伸びている。
「この通路は、王宮へ物資を運ぶためのものだった。しかし現在は封鎖されている。つまり、ここを使えば王宮の警備を避けて人間を出入りさせることができる」
「……それは、かなり危険ではありませんか?」
「ええ。ですから、今日は私と一緒に来てください」
「護衛も?」
「当然です」
「では安心ですわね」
「いえ、安心してもらっては困ります」
「どういう意味ですの?」
「危険だから、私から離れないでください」
あまりにも真剣な顔で言うので、わたくしは思わず笑ってしまった。
「ヴィンセント、あなた最近、わたくしを守ることに熱心すぎません?」
「最近ではありません。婚約したことで、遠慮をしなくなっただけです」
「……なるほど」
「何か?」
「いえ。以前よりずっと面倒になったな、と」
「それは褒め言葉として受け取ります」
「どうしてそうなるのです!」
そんなやり取りをしながら、わたくしたちは北門へ向かった。
地下へ降りると、空気はひやりと冷たかった。
古い石壁には長い年月を思わせる苔が薄く張りつき、足音が何度も反響する。王都の真下にこんな場所が広がっていると思うと、今まで何も知らずに歩いていた街の景色さえ、少し違って見えた。
問題の扉は、地下通路の最奥にあった。
巨大な鉄扉。
中央には、白百合ではなく王家の古い紋章が刻まれている。
「こちらです」
ヴィンセントが鍵を差し込む。
しかし、回らない。
「壊れているのですか?」
「いえ。最初から鍵穴が二つあります」
「二つ?」
「ええ。つまり、二人必要だったのでしょう」
わたくしは彼を見る。
「二人?」
「おそらく、王家の人間と、もう一人の管理者です」
「では、今の王家だけでは開けられない?」
「そういうことになります」
ヴィンセントが扉を調べている間、わたくしは壁に刻まれた文字に気づいた。
『道は、門を守る者にではなく、門を開ける者に従う』
「……これ、何か意味があると思います?」
彼は文字を見上げ、しばらく考えた。
「おそらく、扉そのものが重要なのではありません」
「では?」
「誰が、いつ、どの目的で開けるか。それが重要なのでしょう」
その言葉を聞いて、わたくしは静かに息を吐いた。
未来も同じなのかもしれない。
未来そのものが決まっているわけではない。誰が何を選ぶかによって、その先は変わっていく。するとヴィンセントが、突然わたくしの肩へ手を置いた。
「ところで」
「何です?」
「さっきから、あの騎士があなたを見ています」
「……はい?」
振り返ると、少し離れたところにいた若い騎士と目が合った。
騎士は慌てて視線を逸らす。
「たまたまでは?」
「そうでしょうか」
「まさか、嫉妬していません?」
「しています」
「即答ですの?」
「婚約者ですから」
真顔で言われ、わたくしは思わず笑ってしまった。
「あなた、こんな地下通路で何を張り合っていますの?」
「恋愛に場所は関係ありません」
「そこは自信満々に言うところではありませんわ!」
結局、扉はその場では開かなかった。
けれど、ヴィンセントは扉の周囲を調べると、何かに気づいたようだった。
「……なるほど」
「分かりました?」
「ええ。ただし、ここでは話せません」
「どうして?」
彼は周囲を見回した。
「この扉、外側から開けるためのものではありません」
「では?」
「内側から開けるための扉です」
背筋に冷たいものが走った。
つまり――。
この地下通路の向こう側には、誰かがすでに入っている。
ヴィンセントはわたくしの手を握った。
「大丈夫です」
その声は静かだった。
「怖いなら、私の手を握っていてください。未来が見えないときほど、隣にいる人間の存在を確かめればいい」
その言葉に、わたくしは強く頷いた。
扉の向こうには、まだ知らない何かが待っている。
けれど、今のわたくしには、以前にはなかったものがある。
未来を一緒に見る人。
それだけで、不思議なほど心強かった。
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