第27話 婚約者の独占欲が想像以上でした......!?
オルフェン伯爵の商会が取引停止となってから、王都の小麦価格は少しずつ落ち着きを取り戻していた。
市場に並ぶパンの数も増え、買い占めを恐れて早朝から店へ並ぶ人々の姿も減っている。
目に見える変化があるというのは、それだけで嬉しいものだった。
けれど、ヴィンセントは浮かない顔をしていた。
「どうかしましたの?」
「事件が終わっていないからです」
朝食の席で、彼は淡々と答えた。
「オルフェン伯爵は末端の一人にすぎません」
「やはり……」
「ええ。あの男が握っていたのは、全体の流れの一部だけです」
彼は小麦の流通記録を広げる。
「伯爵の商会が買い占めた小麦の一部は、別の商会へ売られていました。しかし、その商会もさらに別の業者へ流している」
「まるで、誰かが意図的に痕跡を分散させているようですわね」
「その通りです」
ヴィンセントが指で線を引く。
複数の商会。
複数の倉庫。
複数の資金経路。
そして、そのすべてを繋いでいるのが、白百合の印だった。
「ただし、ここから先は危険です」
「……分かっています」
「本当に?」
「本当ですわ」
彼はしばらくわたくしを見つめたあと、ため息をついた。
「では、一つ約束してください」
「何でしょう?」
「調査へ行くときは、必ず私と一緒に行くこと」
「それくらいなら.......」
「それから、私から離れないこと」
「それは……」
「嫌ですか?」
珍しく、彼の声が少しだけ低くなった。
「嫌ではありませんけれど、過保護すぎません?」
「過保護で結構です」
即答だった。
「あなたが無事でいるためなら、私はいくらでも過保護になります」
その真剣な顔に、思わず視線を逸らす。
「……そんな顔で言われたら、断れませんわ」
「では、決まりですね」
「本当に調子がいいですわね」
「あなたの前でだけです」
その日の午後、わたくしたちは南区の倉庫へ向かった。
そこは以前の倉庫とは違い、表向きは普通の商業施設だった。
積まれた木箱。
忙しく動く作業員。
帳簿を確認する商人。
一見しただけでは、何の問題もない。しかし、ヴィンセントは入口に入った瞬間、足を止めた。
「どうしましたの?」
「匂いが違います」
「匂い?」
「小麦倉庫なら、もっと粉塵の匂いが残るはずです」
彼は周囲を見回した。
「ここは長期間、小麦を保管していた場所ではありません」
さらに奥へ進む。
そこには、空になった木箱が並んでいた。
ーー白百合の印。
そして、箱の側面に小さく刻まれた数字。
「……また数字ですわ」
「ええ」
ヴィンセントが箱の裏を確認すると、紙が一枚貼りついていた。
そこには短い文章が書かれている。
『第一段階、完了』
わたくしは息を呑んだ。
「第一段階……?」
「つまり、まだ次がある」
そのとき、背後から声がした。
「何をしている!」
倉庫の主人だった。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
ヴィンセントが一歩前へ出る。
「王宮の調査です」
「そんなもの、聞いていない!」
「では、こちらの書類をご確認ください」
ヴィンセントが身分証を見せる。
男の顔が青ざめた。
「……これは」
「先ほどあなたの倉庫から見つかった木箱について、いくつか質問があります」
男は黙り込む。
わたくしはその様子を見ながら、ふと気づいた。
「あなた、白百合の印をご存じなのですね?」
「……知りません」
「では、どうして先ほど、その箱を見た瞬間に顔色を変えたのです?」
男が口を閉ざす。
ヴィンセントが小さく笑った。
「エヴァンジェリン、素晴らしいですね」
「ありがとうございます」
「その調子で私の仕事まで奪われると、少し寂しいですが」
「では、もっと頑張ってくださいませ」
男を問い詰めると、彼はついに口を割った。自分はただ倉庫を貸していただけ。数か月前から、正体の分からない男たちが荷物を運び込むようになった。
そして、その指示を出していたのは――。
「顔は見ていません。ただ、いつも同じ言葉を使っていました」
「何と言っていた?」
ヴィンセントが尋ねる。
「『王都が揺れたら、門を開けろ』と」
わたくしは息を止めた。
小麦不足。
食料の買い占め。
武器。
地下通路。
そして、門。
すべてが一つに繋がり始めている。王都で混乱を起こすこと自体が目的ではない。
混乱を利用して、王都のどこかの門を開ける。
問題は、その先に何があるのかだった。帰りの馬車の中で、わたくしは黙って考え込んでいた。
するとヴィンセントが隣から声をかける。
「また一人で考えていますね」
「……少しだけ」
「では、こちらへ」
彼はそう言って、わたくしの肩を自分のほうへ引き寄せた。
「考えるなら、一緒に」
「……馬車の中でこういうことをする必要があります?」
「あります」
「即答ですのね」
「婚約者なので」
わたくしは諦めて彼の肩に頭を預けた。
「ヴィンセント」
「はい」
「わたくし、少しだけ怖いです」
「私もです」
彼は否定しなかった。
「だからこそ、あなたの手を離したくありません」
その言葉に、胸が熱くなる。
怖さを消してくれる人ではなく、怖いままでも隣にいてくれる人。それが、今のわたくしにとって一番心強かった。
「……では、しばらくこのままでいても?」
「もちろんです」
「仕事は?」
「今日はもうしません」
「珍しいですわね」
「あなたの頭が私の肩にあるので、書類が見えません」
「それ、わたくしのせいですの?」
「はい」
「もう!」
笑い声が馬車の中に響いた。
事件は深刻になっている。
けれど、それでも笑える。
それはきっと、隣にいる人がいるからだ。
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