↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/48

第26話 自分が作った不安によって人を動かそうとした者が最後には誰からも信用されなくなる

 正式に婚約を結んでから、わたくしの生活には一つだけ大きな変化があった。


 ヴィンセントが、以前にも増してわたくしの予定を把握するようになったのだ。


「本日の午後は商人たちとの会談があります」


「ええ、承知していますわ」


「その後、旧備蓄庫に関する報告を受けます」


「それも分かっています」


「そして夕方には庭でお茶を」


「……それは予定表にありませんわよね?」


「今、追加しました」


 朝食の席でさらりと言われ、わたくしは思わず眉を寄せた。


「どうして勝手に予定を増やすのです?」


「最近、あなたが仕事ばかりしているからです。予定表に休息を書かなければ、あなたは休まないでしょう」


「そんなことはありません」


「では昨日、夕食の席で帳簿を読んでいたのは誰です?」


「……わたくしです」


「一昨日、湯浴みの時間まで報告書を持っていたのは?」


「……わたくしですわね」


「三日前――」


「もう結構です!」


 わたくしが頬を膨らませると、ヴィンセントは満足そうに笑った。


「今日も可愛いですね」


「反省してください!」


「それは難しい注文です」


 こんな調子である。


 けれど、くだらない言い合いをしている時間が、最近は嫌いではなかった。


 むしろ、事件のことばかり考えていた頃よりも、心が軽くなっている気がする。


 そんな穏やかな時間は、昼前に届いた一通の書状によって終わった。


 差出人は、王都でも有数の商会を率いるギルベルト商会の当主、オルフェン伯爵。


 小麦の買い占めに関して事情を聞きたい、という内容だった。


 会談の場に現れた伯爵は、恰幅のいい男だった。


 仕立ての良い衣服に身を包み、いかにも自分が場を支配していると言わんばかりの態度で椅子に腰を下ろす。


「今回の小麦不足について、我々商人ばかりが疑われていることには、正直申し上げて遺憾ですな」


 わざとらしくため息をつく。


「市場価格が上がったのは、我々のせいではありません。王都全体の需要が増えた結果であり、適正な商取引の範囲内です」


「では、いくつか質問しても?」


 ヴィンセントが静かに尋ねた。


「もちろん」


「三か月前から、あなたの商会が小麦を通常の四倍購入していた理由は?」


「将来の需要を見越しただけです」


「では、その小麦が市場に出回っていないのは?」


「保管しているからです」


「どこに?」


 オルフェン伯爵が一瞬だけ黙った。


 ほんの一瞬。


 けれど、それで十分だった。


「複数の倉庫に分散しています」


「その倉庫の一つが、十年前に閉鎖された王家の旧備蓄路と繋がっていることについては?」


 伯爵の顔から笑みが消えた。


「……何の話でしょう」


 ヴィンセントは答えず、机の上に一枚の書類を置いた。


 そこには倉庫の所有権移転記録と、商会から流れた資金の記録が並んでいる。


「あなたは、小さな商会を一つ挟んで旧備蓄庫を買い取り、そこへ小麦を運び込んでいた。さらに同じ経路を使い、武器まで運び込んでいる」


「証拠でもあるのですか?」


 伯爵が強気に笑った。


「こんな古い記録だけでは、私が武器を運んだ証明にはなりませんよ」


「ええ。ですから、まだ証拠とは呼んでいません」


 ヴィンセントは穏やかに言った。


「ただ、あなたが今、自分から『武器を運んだ』という話を始めたことは記録しておきましょう」


「……!」


 伯爵の顔が引きつる。


 わたくしは思わず口元を押さえた。


 この人は本当に容赦がない。


「それから、もう一つ」


 わたくしが口を開く。


「あなたは先ほど、『王都全体の需要が増えた』と仰いましたわね」


「ええ」


「では、どうして地方の需要まで把握しているのです?」


 伯爵が黙る。


 わたくしは机の上に別の書類を広げた。


「あなたの商会は、王都だけではなく周辺領地からも小麦を買い上げています。しかし今年の収穫量と各領地の人口を考えれば、そこまで買い占める理由はありません」


「それは……」


「つまり、あなたは需要が増えることを予測していたのではなく、需要が増えるように供給を絞っていたのではありませんか?」


 静寂が落ちた。


 伯爵は、初めて言葉を失った。


 わたくしは彼を見つめながら思った。


 以前のわたくしなら、ここで怒りに任せて追及していたかもしれない。


 けれど今は違う。


 ヴィンセントが隣にいる。


 だからこそ、焦らずに相手の言葉を待てる。


「商人にとって利益は大切です。しかし、人の不安を利用して利益を得ることと、商売をすることは同じではありません」


 わたくしがそう言うと、伯爵は鼻で笑った。


「綺麗事ですな。世の中は利益で動くのですよ、令嬢」


「ええ。ですが、人は利益だけでは動きません」


 ヴィンセントが静かに続けた。


「信頼を失った商人から、誰が商品を買うのでしょう」


 その言葉と同時に扉が開いた。


「失礼いたします!」


 入ってきたのは王都商業組合の代表だった。


 その後ろには、複数の商人たちがいる。


「先ほど、オルフェン伯爵の商会が小麦の価格操作を行っていた証拠が確認されました。組合として、取引停止を決定します」


「なっ……」


 伯爵が立ち上がる。


「待て! そんなもの、私の商会を潰すつもりか!」


 けれど、誰も彼の味方をしなかった。


 むしろ一人の商人が冷たく言う。


「我々は商売をしたいだけです。あなたの騒ぎに巻き込まれるつもりはありません」


 伯爵は何も言えなくなった。


 その姿を見ながら、わたくしは少しだけ胸がすっとするのを感じた。


 それは大きな断罪ではない。


 けれど、自分が作った不安によって人を動かそうとした者が、最後には誰からも信用されなくなる。


 十分な結末だと思った。


 会談が終わると、ヴィンセントがこちらを見る。


「お疲れ様でした」


「……少し緊張しましたわ」


「見事でしたよ」


「本当ですか?」


「ええ。途中で怒って立ち上がらないか心配していましたが」


「わたくしを何だと思っていますの?」


「可愛い婚約者です」


「答えになっていませんわ!」


 思わず笑ってしまう。


 事件は、まだ終わっていない。


 けれど、確実に一つの歯車は止まった。


 そしてわたくしは、以前よりも少しだけ強くなっていた。


 誰かに守られているからではない。


 誰かと並んで立てるようになったからだ。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


 もし少しでもスカッとしたり、ニヤッとしたりしていただけましたら、評価ポイントとブックマークをいただけると、次の話を書く一番の励みになります!

 

 まだまだ書きたいことがございますので、よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!


 それでは、また次のお話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。