第25話 本音を知ってしまいました.....?
正式に婚約を結んでから一週間が経ち、わたくしの日常は、以前と比べて少しだけ変わった。
朝食の席が隣になった。
仕事の相談をする時間が増えた。
庭を散歩することも増えた。
そして何より、ヴィンセントが以前にも増してわたくしを甘やかすようになった。
「今日はここまでです」
「まだ午前中ですわよ?」
「だからです」
「意味が分かりません」
「午前中から仕事をしすぎると、午後にあなたが疲れてしまいます」
「そんな理由で書類を取り上げないでください」
机の上から書類を回収される。
「返してください」
「嫌です」
「ヴィンセント」
「エヴァンジェリン」
互いに名前を呼び合い、しばらく睨み合う。先に折れたのは、わたくしだった。
「……午後に返してくださいね」
「善処します」
「返す気がありませんわね?」
「どうでしょう」
彼は笑いながら、わたくしの前に紅茶を置いた。そんな穏やかな日常が、今のわたくしには何より大切だった。
しかし、その日の夕方。
一人の騎士が慌ただしく執務室へ入ってきた。
「ヴィンセント様、新しい報告がございます」
「どうぞ」
「地下通路の先にある旧備蓄庫を調査したところ、壁の一部から古い文書が見つかりました」
ヴィンセントの表情が変わる。
「文書?」
「はい。十年以上前のものと思われます」
差し出された紙には、古い王国印が押されていた。
ヴィンセントが目を通す。
「……これは」
「何か分かりましたか?」
「旧備蓄路の使用記録です」
紙には、複数の倉庫番号と日付が記されている。
そして、その一番下に――。
「白百合の印があります」
わたくしは息を呑んだ。
白百合の印は、最近になって突然現れたものではなかった。
十年以上前から、この流通経路は存在していた。
「では、この計画は……」
「今回突然始まったものではない可能性があります」
ヴィンセントは静かに紙を机へ置いた。
「誰かが長い時間をかけて、王都の地下に流通網を作っていた」
「そして、その人物が今になって動き始めた」
「おそらく」
事件の輪郭が、ようやく見え始めてきた。
けれど、ヴィンセントはすぐに紙を伏せた。
「今日はここまでにしましょう」
「……またですか?」
「ええ」
「今、かなり重要なところまで来たと思いますけれど」
「だからこそです」
彼はわたくしの前へ回り、静かに手を差し出した。
「事件のことを考えすぎて、あなたが眠れなくなるのを知っていますから」
「そんなこと……」
「あります」
即答されて、わたくしは黙った。
「あなたは未来のことを考えすぎる」
「……否定できませんわ」
「私も同じです」
「え?」
意外だった。
ヴィンセントは少しだけ視線を落とす。
「あなたが危険な場所へ行くたびに、私は考えます。もし何かあったらどうするのか。私がもっと早く気づいていれば、もっと別の方法を選んでいれば、と」
初めて聞いた。
いつも余裕があって、何が起きても動じない人だと思っていた。
けれど、そうではなかった。
「……怖いのですね」
「ええ」
彼は素直に認めた。
「あなたを失うことが、私は怖い」
胸が締めつけられる。
そして、同時に嬉しかった。
「それなら、わたくしも同じですわ」
「何がです?」
「あなたを失うのが怖い」
ヴィンセントが目を見開く。
「だから、一人で抱えないでください」
わたくしは彼の手を握った。
「あなたがわたくしを守ろうとするなら、わたくしもあなたを守りたい。婚約者なのですから、一方的に守られるだけでは嫌ですわ」
「……それは、かなり困りますね」
「どうして?」
「あなたに守られることを想像したら、嬉しくて仕事ができなくなりそうです」
「本当にあなたは……」
思わず笑ってしまう。
彼も笑った。
その瞬間、部屋にいた騎士が咳払いをした。
「……お二人とも、その……報告の続きをしても?」
「あ」
「すみません」
わたくしは慌てて姿勢を正した。
騎士が苦笑する。
「地下通路について、もう一つございます。文書の最後に、古い指示書が残っていました」
「内容は?」
「『白百合は花ではない。道を示す印である』と」
わたくしとヴィンセントは顔を見合わせた。
白百合。
それは組織の名前ではなかった。
誰かが使う、流通経路を示す印。
ならば、これまで追ってきた白百合の先には、別の何かがある。
ヴィンセントが静かに言った。
「ようやく入口が見えましたね」
「ええ」
けれど、不思議と怖くなかった。
ヴィンセントが隣にいる。
それだけで、未知の未来へ踏み出す勇気が湧いてくる。
「エヴァンジェリン」
「はい?」
「事件が片付いたら、またどこかへ出かけませんか」
「……またですの?」
「ええ。今度は事件のない場所へ」
わたくしは思わず笑った。
「それなら、ぜひ」
「約束ですよ」
「ええ、約束です」
未来はまだ分からない。
けれど、未来が分からないことを、もう恐れてはいなかった。未来を知っていることが幸せなのではない。誰かと一緒に、知らない未来へ進めることこそが、きっと幸せなのだ。
そう思いながら、わたくしは隣にいる彼の手を、そっと握り返した。
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