第18話 隣に立たせてくれる人
その日の夕方、屋敷へ戻ると、ヴィンセントの部下から新しい報告が届いた。
西側の古い倉庫。
昨夜、そこへ出入りしていた荷馬車の一台が、王都の別の場所にある商会へ立ち寄ったらしい。
問題は、その商会が小麦を扱う商会ではなかったことだった。
「宝飾品の商会?」
報告書を読みながら、わたしは首を傾げた。
「はい。表向きは宝飾品を扱っていますが、最近になって大量の保存食を購入している記録があります」
ヴィンセントは報告書を受け取ると、しばらく黙って目を通していた。
「妙ですね」
「ええ」
「宝飾品の商会が、なぜ食料を?」
「それを調べています」
部下が退室すると、わたしはヴィンセントへ向き直った。
「わたくしも調べます」
「駄目です」
即答だった。
「……早いですわね」
「危険だからです」
「まだ危険と決まったわけではありません」
「決まってからでは遅いでしょう」
彼の声はいつになく低かった。
その瞬間、わたしは少しだけ驚いた。
普段のヴィンセントは、何が起きても冷静だ。
けれど今は違う。
明らかに焦っている。
「ヴィンセント」
「すみません」
彼は目を伏せた。
「あなたを危険な場所へ行かせたくないんです」
「……わたくしが弱いと思っています?」
「まさか」
顔を上げた彼の目は真剣だった。
「あなたは強い。私が知っている誰よりも、ずっと」
「なら――」
「だからこそ、あなたに『強いから大丈夫だ』と言いたくないんです」
胸が詰まった。
「強い人間だって傷つきます。判断を間違えることもある。怖くなることもある。それなのに『あなたは強いから平気だ』と言ってしまえば、その人が助けを求める場所を奪ってしまう」
静かな言葉だった。
けれど、そこには彼自身の経験が滲んでいるように感じられた。
「……では、どうすればいいのでしょう」
「私の隣にいてください」
「それだけ?」
「いいえ」
ヴィンセントは椅子を引き、わたしの向かいへ座った。
「一緒に考えてください。一緒に判断してください。あなたが危険だと思えば、私に言ってください。私が間違っていると思えば、遠慮なく止めてください」
「……」
「守るというのは、相手を何も知らない場所へ置くことではありません。隣に立って、一緒に危険を見ることだと私は思っています」
その言葉を聞いたとき、胸の奥がじんと熱くなった。
以前のわたしは、守ることと一人で背負うことを同じだと思っていた。
誰かを守るなら、自分が全部引き受ければいい。
自分が傷つけばいい。
自分が我慢すればいい。
けれど、それでは残された人は何もできない。
ヴィンセントは、わたしから戦う権利を奪おうとしているのではない。
むしろ――。
共に戦うための場所を、わたしのために残してくれている。
「……ずるいですわ」
「またですか?」
「そんなことを言われたら、あなたの言うことを聞きたくなってしまいます」
「では、聞いてください」
「そこは少しくらい遠慮なさい」
思わず笑うと、彼も笑った。
けれど、次の瞬間。
わたしは机の上に置かれた報告書へ視線を戻した。
「保存食の購入量……」
「どうしました?」
「多すぎますわ」
「ええ」
「小麦と同じです。宝飾品商会が買う量ではありません」
さらに帳簿を確認していると、一つの共通点が見えてきた。
「この購入日……小麦を買った商会と近いですわ」
ヴィンセントが帳簿を引き寄せた。
「本当ですね」
「しかも、どちらも同じ白百合の印がついた書類を使っている」
「……つまり」
「同じところから指示を受けている可能性があります」
ヴィンセントの目が鋭くなった。
「食料を集めている商会は、複数ある」
「ええ」
「そして、その商会同士には直接の繋がりがないように見せかけている」
「でも、同じ印を使っている」
「その通りです」
少しずつ見えてきた。
一つの商会ではない。
複数の商会を使って、食料を王都の市場から遠ざけている。それなら、帳簿にあった大量の小麦も説明できる。
「ヴィンセント」
「はい」
「これ、最初から計画されていたのではありませんか?」
「私もそう考えています」
「では、いつから?」
その問いに、ヴィンセントは答えなかった。代わりに、机の端に置かれた古い帳簿を開く。そこには数か月前の日付が並んでいた。
「……こんな前から?」
「ええ」
わたしは息を呑んだ。
つまり、今回の事件は最近始まったものではない。
ずっと前から、誰かが準備していた。
王都の食料を少しずつ買い集め、複数の商会を動かし、必要なときに一気に市場へ影響を与えられるようにしていた。
「怖くありませんか?」
気づけば、そう尋ねていた。
「ええ」
ヴィンセントは正直に答えた。
「でも、あなたが隣にいるので、逃げたいとは思いません」
その言葉に、胸が温かくなる。
「わたくしもですわ」
怖い。
けれど、以前のような孤独な恐怖ではない。
二人で見ている。
二人で考えている。
それだけで、同じ危険でも意味が変わる。
「では、明日から本格的に調べましょう」
「分かりました」
「ただし――」
ヴィンセントが少しだけ身を乗り出した。
「今日はもう仕事をしません」
「なぜですの?」
「あなたが先ほどからずっと眉間に皺を寄せているからです」
「……」
「私の婚約者は、難しい顔をしているより笑っているほうがずっと綺麗ですよ」
「またそういうことを……」
「事実です」
「本当に、あなたは隙がありませんわね」
「あなたに関してだけは、隙がないように努力しています」
その言葉に、わたしは小さく笑った。
事件はまだ続いている。
けれど、今はそれでいい。
答えを急ぐ必要はない。
大切なのは、二人で見つけること。
そして――。
どんな未来が待っていたとしても、一人でそこへ向かわないこと。
それだけは、もう決めていた。
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