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第15話 穏やかな顔の裏に隠してること......?

 その日の夜、屋敷へ戻ったあとも、わたしの頭から昼間に見たパン屋の張り紙が離れなかった。


 小麦価格の高騰。


 大量購入。


 帳簿と実際の在庫の不一致。


 そして、あの白百合の印。


 わたしが知っているゲームの中では、この時期に王都の食料が不足するイベントなど存在しなかった。


 だからこそ、余計に不気味だった。


 寝室へ戻ろうと廊下を歩いていると、執務室の扉の隙間から明かりが漏れていることに気づいた。


 こんな時間まで仕事をしている人間は、一人しかいない。


「……ヴィンセント」


 扉を開けると、机の上には何枚もの書類が並んでいた。彼は顔を上げると、わたしを見るなり苦笑した。


「どうしました?」


「それはこちらの台詞ですわ。今日は休むと約束したでしょう?」


「あなたとの散歩は十分に休みになりましたよ」


「そういう意味ではありません」


 わたしが机へ近づくと、ヴィンセントは反射的に書類を一枚裏返した。


 その仕草を見て、わたしは足を止めた。


「……何を隠しました?」


「何も」


「今、明らかに隠しましたわ」


「気のせいですよ」


「ヴィンセント」


 少しだけ声を低くすると、彼は観念したように息を吐いた。


「あなたには敵いませんね」


 裏返された紙が、わたしの前へ差し出される。


 そこには商会の名前と、複数の倉庫の所在地が記されていた。


「これは?」


「小麦を大量購入している商会を追っていた記録です」


「もうここまで調べたのですか?」


「あなたが眠っている間に少し」


「……また無理をしていません?」


「その言葉をあなたから言われると、少々耳が痛いですね」


 思わず睨む。


 彼は苦笑した。


「ただ、あなたに隠していたわけではありません。確証がなかったので、余計な不安を与えたくなかっただけです」


「それでも、話してください」


 わたしは椅子を引いて、彼の向かいに座った。


「わたくしは、あなたに守られて何も知らずにいたいわけではありません」


 ヴィンセントの表情が少し変わる。


「……分かっています」


「わたくしはあなたと一緒に、この国の未来を考えると約束しました。なら、危険なことも一緒に知るべきでしょう?」


 しばらく沈黙したあと、ヴィンセントは静かに頷いた。


「その通りですね」


 彼は一枚の地図を広げた。


「問題の商会は、ここ数週間で王都周辺の小麦をかなりの量、買い集めています。しかし、王都内の倉庫へ運び込まれた形跡がない」


「では、どこへ?」


「西の街道です」


「西?」


「王都から隣国へ向かう街道とは別方向ですが、その先に古い街道があります。現在はほとんど使われていません」


 ヴィンセントは地図上の一点を指で示した。


「ここに、昔使われていた穀物倉庫群がある」


「……古い倉庫」


「ええ。登記上は閉鎖されています。しかし、最近になって周辺の土地を買い取った商人がいる」


 胸の奥がざわついた。


「その商人は?」


「まだ調査中です」


「でも、関係がある可能性は?」


「高いでしょうね」


 彼はそう言ったあと、少しだけ眉を寄せた。


「ただ、一つ気になることがあります」


「何ですの?」


「倉庫を買い取った商人の帳簿に、不自然な白百合の印が残されていました」


 息が止まりそうになった。


「……あの印」


「ええ」


 あの市場で見た紙。


 あそこにあった、小さな白百合。


 偶然ではなかった。


「でも、白百合はこの国では珍しい紋章ではありませんわ。教会でも使われていますし、貴族の家紋にもあります」


「だからこそ厄介なんです」


 ヴィンセントは静かに答えた。


「誰が見ても意味のない印に見える。けれど、同じ場所で何度も使われているなら、話は変わってきます」


 その言葉に、わたしは黙り込んだ。


 白百合。


 ゲームのタイトル。


 そして現実で起きている不可解な事件。


 偶然なのか。


 それとも――。


「エヴァンジェリン嬢」


 考え込んでいると、ヴィンセントが柔らかく声をかけた。


「何でしょう?」


「一つだけ、約束していただけますか?」


「内容によりますわ」


「この件を、一人で調べないこと」


「……」


「あなたは、危険だと分かると自分から近づいていく癖がありますから」


「それは誤解です」


「では、以前庭に囮として立った件は?」


「……」


「反論できませんね」


「必要だったのです!」


「分かっています」


 ヴィンセントは笑った。


「だからこそ、あなたを止めるつもりはありません。ただ、私にも一緒に行かせてください」


 その言葉に、胸が温かくなる。


「……分かりました」


「ありがとうございます」


「でも、あなたも無茶をしないでください」


「善処します」


「その返事は信用できませんわ」


「お互い様でしょう」


 思わず笑ってしまった。


 深刻な話をしていたはずなのに、いつの間にかいつもの空気に戻っている。


 けれど、その直後。


 ヴィンセントは地図を見つめたまま、低い声で呟いた。


「食料を集める理由は、単なる投機ではないかもしれません」


「……何かを起こすため?」


「ええ」


 その目には、先ほどまでの柔らかさが消えていた。


「食料は、人間を動かせます。値段を上げれば不満が生まれる。供給を止めれば混乱が生まれる。そして混乱が大きくなれば、誰かが『秩序を取り戻す』という名目で人々を動かせる」


 背筋に冷たいものが走る。


「つまり、食料そのものが目的ではなく――」


「手段である可能性があります」


 静かな声だった。


 けれど、その言葉の重さは十分に伝わってきた。


 ヴィンセントは地図を畳むと、いつもの穏やかな表情へ戻った。


「ですが、まだ推測です。確証がない以上、今は慌てる必要はありません」


「……あなたは、本当に落ち着いていますわね」


「内心ではかなり焦っていますよ」


「え?」


「あなたに危険が及ぶ可能性があるので」


 彼はあまりにも自然に言った。


「国の危機だから、ではなく?」


「もちろん国の危機も重要です」


 そこで一度言葉を切る。


「でも、私にとってはあなたも同じくらい大切ですから」


 胸の奥が熱くなった。


 事件の話をしていたはずなのに、どうしてこの人は、こういうところでわたしの心を揺らすのだろう。


「……ずるいですわ」


「何がです?」


「そんなことを言われたら、怖がっている暇がなくなりますもの」


 ヴィンセントは少しだけ笑った。


「それなら成功ですね」


 窓の外では、王都の灯りが静かに揺れている。


 平和な夜。


 けれど、その裏側では誰かが食料を集めている。


 白百合の印が、少しずつ姿を現している。


 わたしはまだ、その意味を知らない。


 けれど――。


 知らないからこそ、二人で探していけばいい。


 その夜、わたしはそう思った。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


 もし少しでもスカッとしたり、ニヤッとしたりしていただけましたら、評価ポイントとブックマークをいただけると、次の話を書く一番の励みになります!

 

 まだまだ書きたいことがございますので、よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!


 それでは、また次のお話でお会いしましょう!

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