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閑話:公女の憂鬱

 政庁舎の業務が一区切りついた夕暮れ、加賀谷とリィナは中庭をゆっくり歩いていた。白壁に映る藤の影が長く伸び、噴水の水音が小さく響く。ヴァルドは事務方の報告をまとめに戻り、ミロも帳簿室へ引っ込んだ。珍しく二人きりだ。


 リィナが口を開く。

 「ねえ、カガヤ。帝国の皇女さま、ずいぶん大胆だったみたいね?」


 芝居がかった軽い調子。だが語尾だけが微かに揺れた。

 加賀谷は苦笑しながら答える。

 「大胆通り越して直球だったよ。“恋に落ちた”と言い切る度胸はたいしたものだ」


 リィナはふんと鼻を鳴らす。

 「恋、ね。……あの人、本気でそう思ってるとは思えないけど?」


 肩越しにちらりとこちらを見て、手すりに凭れた。

 (探っている――いや、牽制か)

 加賀谷はそう悟る。婚姻は政治の切り札。リィナほどの生まれなら、腹の底で覚悟は済ませているはずだ。それでも彼女は“公女”である前に“一人の同僚”として、俺の反応を見ようとしている。


 「本気なワケないだろう。けど、彼女自身が“勝負に出た”のは確かだ」

 加賀谷は石畳の先、薄桃色の桜樹を見やりながら続ける。

 「帝国を揺らす火種を探していて、俺とヴェステラが目についた。それだけのことだ」


 「ふうん……」

 リィナは小さく息を吐き、視線を空にやった。

 雲の切れ間を染める夕焼けが、彼女の横顔に淡い朱を落とす。


 (この人が誰かと結ばれるのは、政治上で利ならためらわない――わたしだってそう教わってきた)

 心の内側でそう繰り返しながらも、胸の奥がわずかに軋む。

 ――甘い期待を抱く資格なんてない。けれど、もやもやが消えないのは事実だ。


 「まあ、“政略結婚”は昔からあるものだし」

 リィナはわざと明るく笑ってみせる。

 「カガヤが帝国の皇女を選ぶなら、それはそれで――ねえ、どんな披露宴になるのかしら?」


 「はは、招待状ぐらいは送るさ」

 冗談めかして返す彼の声は軽い。それが妙に癪だった。

 (やっぱり鈍い。察しているようで、肝心なところは気づかない)


 「ま、わたしぐらいの公女じゃ、相手にならないかも」

 少し棘を混ぜてみた。芝居がかった嫉妬――そう自分に言い聞かせてカモフラージュする。


 だが加賀谷は歩みを止め、真面目な声で言った。

 「リィナ、お前が誰より先に俺の背中を押してくれたこと、忘れていない。帝国だろうが皇女だろうが、それで揺らぐほど軽い恩じゃない」


 鼓動が一拍、速くなる。


 リィナは視線を外し、わざと肩をすくめた。

 「……なら、せいぜい私の見る景色を面白くしてくれると助かるわ。退屈、きらいだから」


 「了解。期待には応える主義だ」


 そう言って歩き出す加賀谷の横顔は、夕陽を受けて柔らかく染まっていた。

 リィナは小さく息を吸い、追いつくように並ぶ。互いの影が石畳に重なり、ふたつの形を描く。


 (この距離感でいい。いまは――まだ)


 公女の憂鬱は胸の奥にそっと押し込み、リィナは笑みを浮かべた。

 春の風が、ふたりの間を柔らかく通り抜けていった。

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