加賀谷零、開幕を告げる
公都・大公執務室
調印式と襲撃を乗り越え、リィナたちが王城へ帰還したのは薄曇りの夕刻だった。
重い扉を押し開けると、執務室には加賀谷とヴァルド・レヴァンティスの姿がある。
大机の上には、南部連邦との正式調印文書と真新しい戦況報告書。紙の束は沈黙のまま、緊張を放っていた。
「――まずは、ご苦労だった」
加賀谷の声は低く、しかし確かな温度を帯びていた。
ヴァルドも一歩前へ出る。背筋を伸ばしたまま、深く頭を垂れた。
「リィナ殿の決断が、同盟を現実にいたしました。見事なお働きでございます」
「いえ、それは……」
リィナは言葉を探したが、喉の奥で途切れた。――逃げ場のない事実を、彼女自身が一番わかっている。
加賀谷が視線を合わせる。
「成果には責任が伴う。けれど君は“自分の意思”で動いた。それが国を動かしたんだ」
リィナは息を詰めた。
その言葉は賛辞である以上に――肩を並べる者への宣言だ。
「未熟さも迷いもあります。でも、それでも……証明してみせます」
拳を握りしめるその手に、怯えはなかった。
ヴァルドが静かに目を細め、満足げに頷く。
「よい覚悟でございますな」
束の間、室内の空気が和らいだ――が、次の報告が投げ込まれる。
「北方連合が、陥落いたしました」
ヴァルドが報告書を滑らせる。
加賀谷は紙面に走り読みしただけで、眉間の皺を深くする。
「グラース砦が三日……。早すぎる」
「帝国の示威行動かと存じます。公国と連邦の結束を、“無意味”だと示したいのでしょう」
「戦わずに屈させるための、最初の一撃……」
リィナの声は低く震えたが、恐怖ではなく怒りの色を帯びていた。
◆ ◆ ◆
加賀谷は窓際へ歩き、夜の街を見下ろした。
灯りが連ねる石畳の向こう、遠くの塔の影が揺れる。
北方陥落の報せは、やがて商人や市民の耳にも届くだろう。怯え、動揺し、抗議の声が上がるのは目に見えている。
――帝国はそれを狙っている。経済と世論の“不安”こそ最大の兵器だ。
(ならば、こちらは不安を武器にさせない)
机の上に戻り、連邦との条約文を指先で叩く。
ルーメ通貨の連邦導入、ゴーレム貸与、軍備協力――。それらはまだ“芽生え”に過ぎない。
「……ここからは、守りではなく“先に動く”交渉を始める」
声は静かだが、決意は鋼のように響いた。
「資源の囲い込み、兵站の再編、そして――経済を軸にした包囲網。時間は我々の味方にはならない」
「ヴァルド、早速で悪いが臣下を集めてくれないか。動揺が広がる前に手を打ちたい」
ヴァルドは言葉を発さずに深く頭を下げ、主君に与えられた役目の遂行に向かった。
◆ ◆ ◆
公都・城内大広間
加賀谷はゆっくりと振り返った。
目の前には集められた公国の貴族、文官、武官たちだ。
傍に控えるは加賀谷の人の忠臣たちだ。ヴァルド、ガロウ、ミロ、ノア、そしてリィナ。
加賀谷が壇上に上がるころには空気は、すでに変わっていた。
加賀谷の言葉一つひとつが、役者としての“舞台”を照らし始める。
「……皆、よく聞いてくれ。俺たちは今、とてもわかりやすい“敵”を得た」
視線は地図上の北方を刺す。
「帝国は力で制した。恐怖で黙らせ、絶望で膝を折らせた。それが奴らの“正しさ”だ。だが──それだけじゃない」
加賀谷の声が徐々に熱を帯びる。
「奴らは、我々に問いを突きつけてきた。“そちらの正義に、民は従うに足る希望があるのか?”と」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
「……俺たちは、答えなければならない。“はい”と。堂々と。胸を張って」
拳をゆっくり握る。演説というより、“宣言”だった。
「──だから俺は、ここから先の舞台を用意する」
壁の地図を一瞥しながら、加賀谷は続けた。
「〈共栄連合〉。そう仮に名づけよう。この土地を軸に、南部連邦、自由都市群、交易都市。資源と技術と流通を、それぞれが出し合う、“共に栄える圏”だ」
少し口元を歪めて笑う。
「なあ、信用できないか? 戦火もまだ終わらぬこの世界で、そんなもの夢物語に思えるか?」
誰も答えない。
だから、加賀谷は一人で答える。
「──いいか、俺たちはその“夢”を見せるんだよ」
バン、と机を叩く。
「事実なんて関係ない。民にとっては“夢を信じられるか”がすべてだ」
「だからこそ我々がその舞台装置となり、役者となり、英雄となって見せる。“あの国は違う”“この国にはまだ道がある”──そう信じさせることが、唯一の希望だ」
ミロが小さく息を呑む。
リィナが拳を強く握る。
ヴァルドのまなざしが鋭くなる。
「そのために俺は、国家ファンドを立ち上げる。初期資本は我々が出す。信用評価制度、出資配当、インフラ再投資……“繁栄の兆し”を数字で見せる」
「紙と貨幣で世界を変える。“国が変わる瞬間”を、全員に“見せる”んだよ。これが希望です、これが勝利の始まりですってな」
目が光る。
もはや彼は、“大公”ではない。
希望という脚本を語る脚本家
未来という舞台の主役であり演出家
嘘で真実を塗り替える統治者
「……皆、これから国民に芝居を打ってもらう。“勝てる国”という劇を演じてもらう。“この国に未来がある”と、信じさせる芝居をな」
「世界は見ている。帝国も見ている。ならば俺たちは、見せつけようじゃないか。“未来を選べる国”のあり方を」
静寂。
しかし、それは敗北の沈黙ではない。
言葉のひとつひとつが、信仰のように胸に刻まれていた。
そして、加賀谷は静かに結んだ。
「……舞台は整った。次は“選ばれる側”になる番だ」
◆あとがき◆
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